アリス・デュリア(1)
相も変わらず寝覚めの悪い夢を見て目を覚ますと、そこには見覚えのない天井があった。
また気絶したのだろうとは分かるがそれにしては身体軽い。軽すぎる。
被せられていた布団を捲り自身のボロボロのスーツを捲ると、先の戦いで負った傷は一つも見当たらなかった。
寝ている間に傷が治ったのか?
不思議に思いながらも寝かされていたベットから降りる。
そして立ち上がった所で重要なことに気づく。
左腕がある。機械ではなく生身のやつが。
千切れて空中でくるくると回転する左腕の映像は鮮明に頭に残っている。間違いなくこの左腕は一度身体から離れている。
袖を捲り肩の辺りを確認するが特に縫合跡は見当たらない。元のまんまで綺麗なものだった。
まるで最初から腕が千切れた事実は無いかのような……。記憶を信じるか目の前の事実から推測するか難しい選択のように思えてきた。
「起きたのね」
そうして混乱している最中に部屋のドアが開いた。そこには見覚えのある金髪のラフな格好の女性が立っていた。2位のアリス・デュリアだ。
そしてその姿をここで見るということは。
「お前が連れてきたのか」
「見つけた時にはボロボロになって倒れてたからね。一日に2度も同じ奴を背負って運ぶ羽目になるとは思わなかったよ」
「そうか、それは悪かった」
彼女が現れたことで色々と合点がいく。
以前も俺のボロボロの身体を手で触れただけで治して見せた。理屈はさっぱりだが彼女はそんな不思議な力を持っているのだろう。
そして恐らく今回もそれで治してくれたようだ。あの惨状の俺が元通りになるには俺が突然吸血鬼になるか或いは不死身男と同じ身体になるか以外だとそれが一番まともな理由に思える。
しかしまさか千切れた腕までくっ付くとはな。思ってたよりもとんでもない力だ。
「さて、取り敢えず反乱の結末だけ教えた方が良いのかな?」
「首謀者は二人とも殺した。何を仕出かしたかもそいつらから聞いた。終わったんだろ、この街は」
「知ってたのね。その通りよ。下らないショーは貴族共の命と共に終わったわ。私たちは自由の身よ」
D&Eは終わった。世界を形作る悪法は死刑囚と一部の反乱分子の市民の手で消滅したのだ。
まぁ相応しい末路だろう。処刑人が罪人を裁いたのだから。
「それで貴方はこれからどうするつもりなの? この街にいる必要は無くなったのでしょう?」
「……いや、まだやることがある」
借り物のこの思いとはいえ、それを理由に道すがら背負ってしまった幾つもの罪。引き返せる道理は最早ない。
全く碌でもないことである。
「グレンを殺したいのね」
「アンタにそのことを言ったことあったか?」
「言ってないわよ。でも前にグレンについて話している時の貴方の様子から何となくね」
「そんなに分かりやすかったのか」
「ねぇ……今からでも止まれないかしら?」
彼女のその言葉はとても魅力的で心が揺さぶられる。
決意が無いわけじゃない。覚悟が無いわけじゃない。この炎に己の命を賭す思いは確かにある。
けれども迷いが無いわけじゃない。常に何かが引っかかる違和感。亡き祖父と父と他の犠牲者達の思いに報いたいとは思っている。
ただそれがどこか空虚な思いであるようにも感じている。心の底から湧き出る情念とは思えない虚ろな感じ。
しかし確かにこの胸には炎が宿っている。俺をここまで進ませた執念が無ければ俺はとうの昔に死んでいるはずだ。
ならばこの炎の正体とは何なのだろうか。
分からない。
しかしもう一度奴に会えればこの感情の正体が分かるような気はする。
だったらやることは決まっている。やれることはそれだけだ。
「助けてくれたことには礼を言う。でも止まることは出来ないんだ、悪いな」
「そう……」
彼女は目を伏せ悲しげな表情をする。それが絵画のように様になっているのは褒めていい事なのか悩ましい。
「付いてきて」
彼女はいきなりそう言うと踵を返してそのまま部屋を出ていった。
意図がさっぱり分からず一瞬硬直してしまうが、別に敵意があるようにも見えなかったので素直に付いていくことにした。
「ところで君、違和感とか感じてない?」
「違和感?」
「そう、例えば空気が綺麗に感じたりさ」
空気が綺麗ってなんだよ……と思い意識して呼吸をしてみる。確かに普段より軽い感じはするな。
「言われてみればってレベルだけどそれが何だよ」
「一応ここが何処かの説明が必要かと思ってね」
この場所の説明?
そう疑問に思った所で玄関らしき場所に着く。どうしてかその玄関の扉が普通の造りには見えるのだが何か異様な感じもする。
何か恐ろしいものと今を隔てる境界線のような感じが。
その扉を彼女は躊躇いなく開いた。
その向こうには信じられないような光景が広がっていた。
白、白、白。
見渡す限りに白い花が咲いた花畑がそこにはあった。
信じられない光景だ。
現代において自然と呼べるものはほぼ壊滅していると言ってもいい程に環境汚染は深刻だ。俺の知る限りではまともに花が咲ける環境が残っているとは到底思えない。
いや、一部の好事家達の努力で残っている場所も無くはない。しかしそれにも有り得ないほどの膨大な財力を投資して初めて可能なことだ。
故に貴族達には権威の象徴として豊かな自然を持つというステータスも存在するらしい。
何にせよこの場所には、死刑囚を閉じ込めておくこの街には決して存在する筈のないものなのは確かだ。
「実はね、ここはあのコクーンドームの中なんだ」
「コクーンドームってあのデカいやつの……!?」
「信じられないでしょ?」
当然だ。ミュータント共が湧いてくることしか分かっていない未知の空間であるコクーンドームの中がこれだと言われてそんな簡単に信じられるわけがない。
「肝心のミュータントは何処にいるんだよ」
「いるよ、ここにはいないけどね」
いやどっちだよ。
「シュレディンガーの猫って知ってる?」
「いたりいなかったりするって話のことか」
「そう箱の中にいれた猫は観測が出来ないから存在と非存在が同居するって実験のこと。この空間は正にそれと同じ状況なの。ありとあらゆる可能性が同時に存在する異常空間となっているわ」
「ありとあらゆる可能性が同時に存在するだと?」
「可能性、即ち平行世界。それがこのドームの中という限定的な空間においてのみ同時存在する。研究所が破壊されてミュータントが生まれた世界もあれば、世界が過渡に汚染されず自然が残った世界も存在するの」
「自然が残った世界ね……」
だからさっき空気のことを聞いたのか。ここは汚染されていない世界だから。
「ミュータント達が無限に湧き出て来るのを不思議に思ったことは無い? 出てきた側から殺しているのに一向に減る気配を見せないことに」
「その理由もこの場所に平行世界が同時存在しているからってことか」
しかし、ただ人を殺すためだけにこの街に来たのにどうしてこう超常現象に遭遇するのか。いい加減頭痛くなってくるぞ。
「そうだな、今はあの子達もいなくて二人っきりだから君に体験させてあげられるよ」
「体験?」
「目を瞑って」
いつの間にか彼女の端正な顔立ちが触れ合いかねないほどの距離にあった。思わず目をそらすが彼女の両手に頬を挟まれ彼女の方へと無理矢理向けさせられる。
そして片手でこちらの両目の瞼を閉じさせる。
「平行世界が同時に存在しても私たちが触れられるのは常に一つだけ。そして一瞬でも観測者がいなくなれば世界はその形を失い、新たな観測を待つ待機状態になる。さぁ貴方の世界を観て」
瞼を覆っていた手が退けられる感触がした。
再び目を開くとまだ目を閉じているデュリアがおり、そして今いる場所が先程の白い花畑ではなかった。
草葉一つ付いていない1本の木と枯れた茶色い草が点在し、あとは地面がひび割れた不毛の大地が地平線の果てまで広がっていた。
「なん……花畑は……っ!?」
「へぇ……君だとそもそも研究所すら建てられないのか」
荒涼と吹く風には正気を感じられず、異様な程赤い空にて変わらず大地を照らしている太陽にはその色に反して熱がない。
異様だ。何もかもが。
目の前の異常風景からは、この世界は汚染に次ぐ汚染で汚れたきった俺の世界よりも下手したら終わっている。そんな確信に満ちた予感を感じさせた。
「この空間の異常性を観た感想はどうかな?」
「何処だここは? 瞬間移動でもしたか?」
「瞬間移動か……ベルーナならそういうイタズラもやっただろうね。でも残念、ここはさっきと同じ場所だよ」
さっきと同じ場所。確かに目を閉じていた時に移動した感覚は一切無かったが、幻覚か何かを見させられてると言われた方がよっぽどマシに思える。あまりにこの光景は攻撃的で生々しい。
見渡す限りの赤色。全てが血で染まったような光景。何か一つでも生命の欠片は見つからないかと探す、本能的に求めて探す、しかしそんなものは俺とこの女の二人しか存在しない。
それでもと、無意味に探し続けていると一つだけ立っている木の根元に何かがあるのを見つける。
近づいて見るとそれは地面に刺さった鞘に収まったままの刀だった。
何でこんな所にこんなものが?
地面から抜き取り刀を鞘から抜くとこの世界の惨状にしては意外と使えそうな代物だった。
「ハハハ! まさか刀があるとは。丁度刀が必要なタイミングでこれとは実に運命的だ。君に纏わりついている可能性は思ったよりも面白いものなのかもしれないね」
「俺がこの世界にしたみたいに言うな。たまたまなっただけだろ」
「いや、ここは君の観測で確定した世界だ。決してランダムじゃない。君の縁が呼び寄せた世界だよ」
この死の世界が俺と縁の深い世界だというのか。碌でもないな。
「君がこうしたのか君に連なる何かがこうしたのかとても気になるところだが、そろそろ本題に入ろうか……」
彼女は果てのない荒野に向けていた視線をこちらに向ける。
そして次の瞬間こちらの顔面に向けて凄まじい速さを伴った拳の突きを放ってきた。
「……っ!?」
咄嗟に持っていた刀で逸らして追撃を防ぐためにバックステップで距離を取る。
「本当に丁度良かったね。実は刀はこっちでも用意してたんだけどまさか拾えるなんてね」
「何の話だ! 今のはどういうつもりだ!」
「貴方が彼を諦めてくれたら何もしなかったけど、諦めないのなら……全力で協力してあげる」
「今の攻撃が協力だとでもほざきやがる気か!」
彼女は腰を落とし半身になって拳を構える。明確な戦闘態勢だ。
「彼を、不死身を殺したいのならまず私を殺しなさい。出来なければ彼を殺すことなんて不可能よ」
纏う気迫からその言葉に嘘偽りは一切含まれていないことが分かる。だからといって納得出来るわけでもないが。
しかし殺意をもって拳を構え、殺して見せろと言う相手に対しての礼儀作法ぐらいは弁えてるつもりだ。
鞘から刀を抜き正眼の構えをとる。
「訳分からんが分かった。ただ斬るだけだ」
ショーは終わり処刑に意味はなくとも、殺し合いの続きは始まる。
主人公が運び込まれた建物はアリス・デュリアがこの街に来させられた子供たちを匿うための場所。子供たちの飯なんかはアリスのポイントで賄えるが寿命としてのポイントはどうしようもないため実は地下に沢山無力化して捕えられた死刑囚達がいた。人前では殺してないから聖女。
ちなみにベルーナもここの出身で生きていた頃は定期的に訪れていた。ときおり座標を見失っていたのもこの不思議空間に入っていたため。