もう一度会うために
王宮、私が住む離宮とは趣の異なる廊下を歩く。離宮から用があって来たため、伴ってきた侍女と離宮に戻るところだ。
先ほどの父親と母親の話を思い出していた。こんな娘でも幸せを願ってくれて、持ってきてくれた話なのだろう。そう考えると断る理由はないのだろうけれど……。
「殿下、良いお話ではありませんでしたか? やはり他国へとなると、ご不安でしょうか」
「うーん……そういうわけじゃないけれど……」
「国内にも良い方はいらっしゃられますわ。公爵家の――」
侍女たちが、私が乗り気でないことを見てとり、あれこれと言う。両親の話にあった人物について、または国内の貴族の年頃の子息について。
そうは言っても、私を妻にしたいと思う貴族はいないはずだ。王族なのに、魔力のない娘なのだから。扱いが難しいことは重々承知しているところだ。
だけれど、私が乗り気ではないのはそういうことを考えて言っているのではない。単に私は、忘れられないのだ。そのためにこの世にまた来たから。地位を考えると一生独り身はないかもしれないと分かりながらも、別の人をと考えることが中々出来ない。
「でも、私に縁談を見つけてくるってきっと難しい話だったわよね……どうしようかしら……」
どうやって断るかが問題だ……。断ると考えている時点で、まだ、なのだろう。両親共に、どんな顔をするだろう。
王女というのは恵まれているが、恵まれすぎているように思う。窮屈なところもあるけれど、不自由なく暮らせる。不自由なく暮らせすぎて、先々の世話までしてくれる。例えば、結婚、とか。
ひとまず離宮に帰ってから、うんうん唸って悩もう。そう思って顔を上げる前、誰かとすれ違った。
服装もよくは見えなかったし、顔なんて視界にも入っていなかった。奇抜な何かが視界に入ったというわけではないが――顔を上げるついでに、私は、何気なく、振り向いた。
するとそこには、同じく立ち止まって振り返っている人がいた。
服装は――軍人だろうか。髪は黒、瞳は深い緑色。長身の男性と目が合い、実際には数秒ほどだったろう。
男性が、突如崩れ落ちた。
「えっ」
と言ったのは私だけでなく、周りの侍女たちも。
しかし男性は崩れ落ちたのではなく、崩れ落ちたように膝をついただけだった。そして、私を見上げてくる。視線を掬い取るように、下から。え、何?
驚きで、何が起こっているのか分からない。
「……嗚呼、俺が、ずっと生きてきたのはこのためだ」
さらにぼろぼろと泣き始めた男性に、私はひきつった。
この人誰、いや何、こわい。
意味不明な出来事に、後ずさろうとする。その一歩を察したか、男性が「俺だよ」と言った。もちろん、私を見て、私に向かって。
「だ、誰よ」
俺って言われても、と即座に一言当たり前のことを返しただけだったはずが。男性は途端に弱い表情になった。今にも崩れてしまいそうな。
その表情を、見たことがある気がした。でも顔も、目の色も違って。だけどその表情はたぶん、「私」の最期の記憶にあるものだ。
強くて、ずっと私を支えてくれていた彼が、ひどく幸せだった三日の最後の日、ずっと泣いていたから――
「……レルヴェ……?」
無意識に名前を呟くと、彼は溢れんばかりその目を見開き、泣きそうに、けれど嬉しそうに笑った。
私には、物心ついたときには自分のものと言える記憶があった。鏡を見て映る姿と異なる髪と目を持った自分がおり、徐々に記憶が増えていくのに従ってなぜこのようなことになっているのか思い出した。
生まれる体は、老いて耐久性がないからには一度きり。けれど中身はそのままで、生まれなければならない理由と目的があった。
それはさておき、前世私は王女ではなく平民ながら、魔法使いの筆頭だった。当時五十年も続いていた戦というものがあり、私もまたその戦いに身を投じることとなっていた。
そのとき私の隣にいたのが、長く共に戦い、好きにもなった騎士団長にして、戦友。名をレルヴェ・ギバルシュと言った。
長く戦ってきた戦は、何とか勝利にて幕が下った。
戦が終わったあと、彼からという思わぬ形で想いは通じたが、私は戦いで体を酷使してきた影響でたった三日で死んでしまった。
たった三日、だけど一番幸せな日々だったと思う。
その最後の三日だけ恋人だった、前世の彼が目の前にいる。
もちろん外見は全く違う。それなのに不思議なことだ、彼だと分かり、心が温かくなった。
「一目で分かってくれないなんて酷いな」
テーブルの向かいに座る彼は、拗ねたようになった。前世も経た、いい大人もいい大人が拗ねるなと言いたい。
部屋は私が普段過ごしている離宮の一間に移った。
人払いをして、聞く耳はない。本来なら一応未婚の女子なので二人は避けるべきだろうが、そうできたのは彼の信用ある「今」ゆえだった。
「誰かさんが、一見初対面なのに泣き出すから驚いたのよ」
「いや、つい。感激して」
ごめん、と頭をかく仕草が変わらない。懐かしさと、間違いなく彼が目の前にいることを感じて今度は心が熱くなる。やっぱりこの気持ちは変わらないらしい。
微笑みが洩れると、彼の、前世とは違う深い緑の目が細められた。
「銀色の髪の君も綺麗だな」
「髪色だけじゃなくて、顔かたちが全部違うけれどね」
「確かに。でも俺が好きなのは君自身だったから。もちろん外見も含めて好きだったのだろうが、内面が変われば全く異なる人間なのに対して、外見が変わってもその人はその人だ。それに外見なんて生まれ変わらなくても変わり得る。シェリアはシェリアだ」
言葉も、喋り方も、仕草も、癖も。と思っていたことと同じことが言われた。
一から形成されたのではなく、記憶があって前と同じように行動していたから、仕草も癖もそうなったのだろうか。
「しかし、君はややこしい立場にばかりにいるなぁ」
「そうね」
私もそう思う。
前世は平民なのに魔力が高すぎて、魔法使いの学校に行ったときもやっかまれて、魔法使いになっても続いて。ようやく認められて魔法使いの筆頭になったと思っても、平民生まれの筆頭は何かと舐められてばかりだった。
対して今世は王族なのに、魔力一切無しという無能力者だ。お嫁の貰い手を探そうにも、王族というわりに利益がない娘だ。前代未聞で扱いも困らせていた印象を昔から受けていた。
どちらも極端で、それゆえに少しややこしい立場なのだ。
「あなたはまた立派ね」
侍女が教えてくれたが、彼は先日帰って来たばかりの英雄だという。
手がつけられず、荒廃する地を増やしていくばかりで、討伐隊を幾つも潰したドラゴンを倒した英雄。名前だけは聞いていたが、実際に見たことも会ったこともなかった。
しかし彼は前世も魔法使い兼騎士団長で立派で、今世も魔法使いで英雄で立派すぎる。
素直な賛美だった。
「何も一人で倒したのではないが、君の前で格好つけられるなら素直に英雄の名を受け取ろうか」
彼は少し照れたように笑って、それからなぜか苦笑を滲ませた。
「前世なんてしがない旅芸人だったからな」
「……? 前世は私と同じで魔法使いで、騎士団長だったでしょう?」
何を言っているのか。
私が言うと、彼は微笑んだ。その笑顔に引っかかり、同時に私はあることに、気がついた。
――どうして彼は生まれ変わっている
遅すぎることに。
「そういえば、レルヴェ、あなたどうしてここにいるの」
「君が離宮に招待してくれたんだが」
「そうじゃなくて、どうしてあなた」
よく考えると、おかしい。
私は自分で巡ってきた。そう出来るようにしたのだ。たった三日で死んでしまって、すぐに巡って来れたならまた彼と会えると思った。
そうやって、自分に魔法をかけた。また戻ってくる、魂巡りの魔法だ。
けれどすぐに巡れるなんていう都合の良いことは起こらず、今世はとてもとても時が経ってしまっていた世のようだった。
レルヴェはいない。彼とはもう会えない。
それなのに、彼はここにいる。
彼だと分かって、驚き、信じられない気持ちで、嬉しいばかりだったけれど、おかしい。
前の記憶を持って生まれ変わるなんて、自然にはあり得ないことだ。
まさか、私の魔法が、彼に影響を及ぼした……? 自分にしか魔法をかけていないつもりで、彼にもかけてしまったというのか。それは、とんでもないことだ。
「シェリアとまた会いたくて」
青ざめる私とは反対に、彼は微笑んだ。
「前世で戦いの後、すぐに君が死んでしまってから、君に会いたくて仕方がなかった。――だから死ぬときに、自分自身に魔法をかけたんだ」
「…………え」
魔法をかけた? 予想外の言葉に私はぽかんとする。
「俺はこれまでに十回くらい人生を過ごした」
「十回……?」
「そう、だから前世は旅芸人。でも、そのどの人生にも君らしき人と会わず、ここだけの話、やっぱり見分けることなんて無理なのかもしれないと思ってしまった。……絶望だった。君とまた巡り会うまで、魔法が続く限り生を繰り返すつもりなのに、君と会えないのは絶望だった。もしくは会っているのに分かっていないのかもしれないと思うと、気が狂いそうだったな」
けれど、と彼は笑みを深める。私を見て、瞳の色をより深くする。
「やっと会えた」
とても嬉しそうな声を出した。
私が魔法をかけてしまったのではない。彼は、会いに来てくれたのだ。彼自身の魔法で。
それも、私が二回目の人生なのに対してすでに十回。
人の人生を十回、それは想像もできない長さだ。それに、十回も一度目の魔法が続くはずはない。つまり途中で魔法使いとして生まれて、かけ直したということになる。
魔法をかけ直して、私と会うまで、生まれ変わり続けた。
「……どうして」
私が記憶を持ち、生まれ変わっている保証なんてなかったはずだ。私は彼に魔法のことは言っていかなかったと思うから。
それなのにどうして生まれ変わろうとしたばかりか、十回も。
「君が、また会おうって言ったから」
「それだけで……?」
「君の言葉なら十分だ。もしも君が先に巡っているなら、迎えに行くのは俺だから」
笑った顔に目頭が熱くなって、誤魔化すように、お茶を飲む。
「それでな、シェリア」
「なに?」
「再会して一日も経っていないんだけど」
「うん。一時間も経っていないわね」
「そこは前世からの積み重ねということで」
「そうね」
「君にいち早く言いたいことがある」
「なに?」
「俺と結婚してくれないか」
求婚だった。彼は、真剣な目をしていて、私をじっと見つめていた。
結婚は、前は出来なかった。出来なかったと言うより、私の命が残り僅かだと分かっていたから、断ったのだった。恋人で十分、想いが通じただけで十分。
そして、生まれ変わろうと思ったのは、叶うなら次は彼とゆっくり時間を過ごせればいいと思ったから。
生まれ変わった後の私を受け入れ、そう言ってくれることに、私が頷かないはずはない。
――が、
「あ」
「……あ?」
「結婚」
結婚だ。あっ、と思い出したことがあった。とても重要なことだ。
「レルヴェ、レルヴェ」
「何、何だ」
「私、さっき結婚を勧められてきたのよ」
「…………………………結婚を……?」
彼がぽかんとする番だった。
まさに彼と再会する前、王宮に行っていたのはその用事のためだったではないか。呼ばれて行くと、父親と母親に結婚の話を勧められた。
「どこの誰と」
ぽかんとしていた顔を引き締め、彼が問いかけてきたので、隣の国の名前を挙げその国の王子らしいと答える。
すると彼は一度頷き、
「よし、どうにかしてくる」
立ち上がった。
「どうにか?」
「今から出れば単騎で数日で行けるはずだ。うん」
「待って、どうにかって何?」
「何ってその王子を」
「王子をどうにか? だからどうにかって何?」
「心配するな、俺は今なら英雄だ。何をしても許される」
「許されないわよ馬鹿! 何するつもりよ、ちょっと落ち着いて!」
頭が完全に沸騰して、まともな考えができていない。叫ぶと、彼は彼で自分の通常でない考えとは自覚があったのか、顔を歪める。
「ようやく会えたのに他の男と結婚って。まともに考えられるはずないだろ……」
「……英雄で、何をしても許されるのなら、他にやりようがあると思うけれど……」
「他に?」
席に戻った彼は、しばし考え込む仕草をした。
やがて、はっとして私に目を向ける。
「その縁談は、まだ正式にはまとまっていない?」
「さっき話が来たばかりで、決まったとは言われなかったわ」
「そうか、分かった。正式になる前に、陛下に言えばいいんだ」
名案のように言うが、簡単に言うものだ。
私はどうやって断ろうか悩んでいたのに。
言うや、立ち上がりかけた彼が、止まり、私を見る。何だろう。
「……今さらだが、俺でいいか?」
そんなことを言う。
私はまたぽかんと呆けかけた。
「…………何それ、とても今さら」
「いや、前世があったからといって次の人生だろう? 前世は前世だったが、君は今世まで俺とそうやっていたいわけじゃないかも――」
「そんなはずないじゃない」
さっきまで、私を置いてきぼりにするのではないかというほどの早さで話を進めていたくせに。そんな不安そうな顔をして、何を言うのか。
斜め上のことを考える人だ。
「あなたが願ったように私もあなたともう一度会いたかったから、今度はのんびりと長く一緒にいられたらいいと思ったから、ここにいるのよ」
自分も彼も同じ魔法を、自身にかけたのだ。
「一目で分からなくてごめんなさい。だって一見見知らぬ人が突然泣き出すのだもの」
それに、いるとは夢にも思わなかったから。今も、夢のようだ。
「また会えて、嬉しい。あなたのことがずっと好きよ。――私に会いに来てくれてありがとう」
私が先に言ったみたいなのに、何度も生まれ変わって、待たせてごめんなさい。
「あなたの泣き顔を見るのは、さっきを合わせると三度目ね」
彼は、涙を流していた。
私が立ち止まりそうなときは決まって手を引き、いつでも引っ張っていってくれるような人なのに。だからこそだろう、死ぬ前に見た彼の顔が泣き顔で、初めて見た表情に泣かないでと思った。
だから言ったのだったか。共に戦い過ごした日々があって、たった三日でも恋人として過ごせた時間があって十分だと思っていたけれど。――「また会おう」と言って、また会いに来るのだと決意した。
「シェリア」
「うん」
「今度こそ俺の側にいてくれ。のんびり暮らそう、どこか喉かなところでずっと。今度は三日なんて短い時間じゃなくもっと、この先も、年老いるまで、この先、」
「レルヴェ、落ち着いて」
涙を流す彼は、あふれそうな言葉を口にしようとしていた。今この時間さえ惜しいというような様子に、立ち上がって彼の側に行く。
大丈夫、時間はある。たっぷりあるから。
掬い上げ包んだ手が、私の手を握る。
「俺と結婚してくれ」
私は今度こそ頷いた。
「魔力がない娘だけれど」
「そんなこと誰が気にする?」
「あなた以外の人かしら」
「じゃあ問題ないな」
確かに。
むしろ父親も母親は、魔力がないという王族の私をどうするか迷っていたようだから、悩みの種が一つ減るだろう。
「早速、陛下に君を下さいと言ってくる」
「私も行くわ」
言うと、飛び出して行きそうだった彼は微笑んだ。私の手を改めてとり、「じゃあ行こう」と扉に向かって歩きはじめた。
ゆっくりと、焦らずに。時間はたくさん、あるのだから。