二獣人格
『夏のホラー2017年』の参加作品です。
初夏の昼下がり。
風が窓ガラスを揺らすと、雲が一気に北の方角へ流れていく。
二年三組の教室の窓から眺める景色は青空が広がり、セミの鳴き声がうるさくなり、肌に汗が浮いてくる。不気味な灰色で雨を降り落とす気満々だった雲が、夏という季節の重圧に負けて去ってしまった。
陽気に照らされたはずの町はどこか覇気がない。どこまでも続く田園の牧歌的な風景なのに、緑色の草木がくすんで見える。僕らの田舎でホットな華やかな話題といえば、国道添いやっとできた二十四時間営業のコンビニ。開店日には行列ができていた。ちょっと恥ずかしい。ニュースにならなくて幸いだった。
光回線がやっとつながってネットゲームがストレスなくできるようになったのは最近で、ハローワークの求人も少なく、新規の求人はいつも同じでブラック企業なのは丸わかり。人口の少ない地域がこれほど差別を受けるなんて理不尽すぎて、将来お先真っ暗である。
ただし、寺だけがやけに多い。
高校まで徒歩で二十分なのだけれど、三つの寺の前を通る。
毛藻野寺町……そんな寺の名前がつけられているのに、町にそんな名前の寺はない。言い伝えで、青白い寺が闇夜に忽然と現れると、少女が出てきて町に災いをもたらすなんて昔話があって、その寺の名前が毛藻野寺らしい。
噂が影響したのかわからないけれど、家の表札に寺がついている家が多く、僕のクラスでも半分以上の苗字に寺がつき、僕の名前も寺山 隆二。寺は亡くなった人を供養するのがお勤めなので、イメージは明るくはない。
そんな町の雰囲気のせいなのか、クラス内は暗い。休み時間になると、お菓子のおまけの食玩を机の上に並べていたり、中校生でプロ入り後、連勝を続けている天才棋士の影響なのか、分厚い本を片手に将棋を指していたり、フェルト生地で人形をもくもくと作っている女子など、他者と共有することが難しい趣味を持っている奴が目立つ。
そして、最も奇抜な趣味を持っているのが、僕の前の席にいる水落山 幸助。彼は廃墟マニアで、カメラで撮影してきた画像を皆に見せたがる。崩れたコンクリートの塊、むき出しの鉄筋の骨組み、荒涼とした風景に佇む建物を見せられても「いいね」と相手の趣味を尊重する短めのほめ言葉を口にするのが精一杯。
そんな水落山君から、明日の土曜日に廃墟に行かないか?と誘いを受けた。
「なんか、親が出かけるみたいなこと言ってたから、当日になってみないとわからないかな」
曖昧に答えたが、本心は〝だが、断る!〟だった。
けれど、水落山君から「裏野ドリームランドに行く予定だったんだけどな」と残念そうに言われると、僕の気持ちはひっくり返されてしまう。
★★★
その日、ワクワクして眠れなかった。
廃墟になった裏野ドリームランドは前から行きたいと思っていた。
我が町の希望で、我が町の自慢で、小学生の頃は行くのが楽しみでしょうがなかった。夢の国だった……のは、過去の話で、現在は負の遺産となってしまった。我が町がニュースで取り上げられるのは、多額の借金を背負い、民間企業、国、地方が借金の押し付け合いをして倒産して廃墟となった裏野ドリームランドのことだけ。解体費用も膨大で建物のほとんどはそのままの状態で残されている。
裏野ドリームランドは町の山奥にある。普段通ることもないけれど、年に一度開催される校内マラソンのコースで通る機会はあったが、妙な噂が尽きないのでコースが変更されてしまった。
子供がいなくなるとか、ジェットコースターの事故を隠していたとか、アクアツアーで謎の生き物を見たとか、地下に拷問部屋があるだとか、深夜に観覧車が動いて『出して……』と聞こえるだとか、メリーゴーランドが勝手に動き廻っているとか、噂は絶えず流れている。
しかも、閉園になる前からの噂と閉園後の噂がごちゃ混ぜで、閉園前と思しき噂は後付けで疑わしい。どれもニュースになったことやスマホで撮影した証拠になる動画はなく、どの噂も信憑性に欠ける。
その中に唯一本物っぽい噂があった。それはミラーハウスに入ると、別人になるという噂。しかも外見は変わらず、中身だけ違う人間になってしまうらしく、これは、なんとか努力すれば決定的な場面を撮影できるかもしれない。いざとなれば、低予算で捏造も可能な噂。
夢を実現させられるネタになる可能性がある。
──僕はユーチューバーになりたい!
好きなことやって、有名になれて、生配信や面白い動画をアップロードするだけで、大金をつかめるなんて夢みたいだ。いや、夢じゃない。宝くじを買うより一攫千金の確率が高い気がする。
自分はすでにアカウントを登録して、生配信や動画を数本アップロードしている。親に買ってもらったノートパソコンやMP3プレイヤーなどのカジェト機器の開封動画を編集しているだけで楽しいし、アフリエイトの広告収入でお小遣いが稼げるなんて中毒性が半端ない。
近い将来ユーチューバーになるための専門学校とかできるはず。そんなものが開校される前に、高校生という若さを武器に有名になりたい。本心をさらけ出せば、笑われ、親からは監視の目が厳しくなるのは目に見えている。
数日前にも「ネット配信なんてしていないでしょうね?」とお母さんに聞かれた。買い物に出かけている隙や夜中にこっそり配信しているが、薄々勘付いているのかもしれない。親が部屋に突然入って画面に映ってしまう〝親フラ〟などのハプニングが起これば、動画が拡散され、笑い者になるだけじゃなく、個人情報が駄々洩れとなり、ユーチューバーとしての人生は終わる。未成年は生配信のリスクが高い。
有名人になって誰からも文句が言われず、ネットの誹謗中傷をはね退ける人気者になれば問題は解決。再生数が一万を超えるくらい注目を集める動画を撮りたい。一発当てれば、チャンネル登録数が増えて収入も安定する。
興奮を抑えながら、水落山君と裏野ドリームランドに向うことになった。
「わっ、高そうなカメラだね」
水落山君がオレのハンディカメラを羨ましそうに見る。4K画質で撮影できて確かに高かったけれど、そんな彼は望遠レンズをつけた一眼レフカメラを抱えている。
「親のやつを借りてきた」僕は嘘をつく。
ハンディカメラを持っていることが知られたら、クラスメートに貸してくれ、という奴が必ず現れる。このハンディカメラは貯めてきたお年玉貯金で、商売道具として購入したもの。動画は画質もそれなりに良くないと見てくれる人は少ない。成功するためにはそれなりの投資が必要なのだ。
「動画を撮影するとは思わなかった」
「せっかくだからね」僕は苦笑いを浮かべる。
★★★
時間は午後三時。
自転車で整備された林道を登っていくと、西洋の城によくある尖塔が背の高い木を突き抜けて見えてくる。間もなくすると、山の一部が削られた広大な敷地があって、私有地の境界線上にフェンスが設置されていた。上部に鉄条網が張り巡らしてあるので中に入る隙はなく、どこから侵入するのか思っていると、フェンスに立てかけられていたべニア板を水落山君が蹴って倒す。
すると、メッシュ状になっている亜鉛メッキ鉄線が切られ、ぼっつかり穴が開いて四つん這いで通れるようになっている。
「ここから入れるんだ」
真っ先にべニア板があるところに向ったので、前から侵入口は確保していたらしい。
フェンスの先に入場口があって誰も来ることがない客を待っている。閉園した裏野ドリームランドは見る影もなかった。数年前まで煌びやかな空間が今は淀んで見える。三角屋根で原色のメルヘンな建物達は幽霊屋敷に変貌し、ジェットコースターの骨組みは迫力ある負の遺産の象徴として生き残っている。
残念なのは治安の悪い海外の地下鉄のように落書きがひどい。暇な奴がこんな山奥にまで来てやるとは相場が知れているわけだが、良い言い方をすれば、廃墟になっても遊園地は童心に戻す魔力があるらしい。
水落山君は見境なくシャッターを切り、朽ち果てた遊具類のオブジェを撮り続けた。
「撮影しないの?」水落山君が不思議そうに尋ねてくる。オレがせっかく手に持っているハンディカメラで撮影しないが解せないらしい。
「撮影したいのは一箇所だけなんだ」
「どこ?」
「ミラーハウス」
「なんで?」
「生まれ変われるらしい」
「よくわかんないけど、行ってみよう」
好奇心旺盛なのか馬鹿なのか、それとも廃墟マニアとしての血が騒ぐのか、これなら最初から言って誘導しとけばよかったと、無駄な時間の浪費に少し後悔しながら、早歩きで移動する。
水がないコンクリートむき出しの噴水の脇に、変色して剥がれた部分が多い案内図があった。位置を確認してうなずき、歩いていく水落山君の後ろをついていく。
『MIRЯOR・HOUSE』は片隅にひっそりと存在を消すように残っていた。ドリームランドには何度も来ていたのに、一度も入ったことがない。車が四台程度くらい駐車できそうな馬小屋ともいえる小さな建物が目立たない場所にあるので、子供の頃気づかないのは当たり前かもしれない。
閉園前は電飾でチカチカ光っていたらしい看板が、傾いていまにも落ちてきそうだ。屋根と壁は黄色やオレンジや黒の配色でハロウィンを演出しているが、くすんで全体的に灰色っぽい。
ミラーハウスの手前で止まり、入ろうか?止めようか?と水落山君が目で訴えてくると『MIRЯOR・HOUSE』の看板がガタッと音を立てて動いた。
「ひっ!……ビビッてないし」
水落山君は苦笑いを浮かべる。
「寂しい場所に建てられて、客がこないので拗ねているみたいだね」
短い悲鳴を上げたことを茶化さないように、穏やかな口調で言う。
「僕には怒って見えるけど」
躊躇しているらしく、水落山君の声は小さくなる。
「怖いの?まさかだよね」
作戦を変更して、あおってから先に中へ入った。
「怖くねぇし、平気だし、なんの問題もねぇし」
強がる声が後ろから聞こえてくる。
ミラーハウスの中は惨憺たるもので、迷路を形成していた仕切り板は蹴られたような穴があちこちにあって、廃墟特有の埃臭いニオイが鼻を刺激してきた。そして、残念なことに生き残っている鏡は見当たらない。
──姿を映す鏡がないのは、噂がでたらめだったということなのか?
望みをかけて暗くてよく見えない奥へハンディカメラを向けていく。窓がなく、薄暗いので暗視補正機能を使い、注意深くカメラを回していくと、建物の隅に一枚だけ鏡が割られずに残っていた。
心の中で歓喜した。あとは水落山君を鏡の前まで移動させるだけ。
「あれが噂の鏡じゃないかな?」僕は指を差す。
「そうかもしれないね」と言ってから、水落山君の足は動かない。
「撮らないの?」促してみる。
「君からどうぞ」譲ってくる水落山君。
「いえいえ、プロの腕前の水落山君からどうぞ」
僕の言ったことはお世辞じゃない。水落山君は一年前の『町が元気になるフォトコンテスト』で銀賞を獲っていた。十代という年齢制限、地域に住んでいる人限定などがあり、応募人数は少なくても、月に一度発行される町の広報誌に、写真付きで授賞式の様子が紹介され、周りから一目おかれる存在になった。
「そんなことないよ」と言いながらうれしそうだ。僕が賞の名前を口にしていないのに、察しよく理解したのは、頭の中に受賞したことを自慢したくてしょうがない思考が働くのだろう。
「過去を自慢するようになったら、進歩は止まるよね」
言ってから、反省した。ケンカを売ったかもしれない。地元レベルとはいえ、知名度があるのは水落山君のほうで、僕は嫉妬していたようだ。
「一年前よりレベルは半端なく上がってるし」
興奮気味にカメラを構え、ファインダーを覗き、水落山君はシャッターを切りながら鏡に近づく。
僕もすぐに動画を撮りはじめた。
二人で撮影して数分。
水落山君は一眼レフのフラッシュを発光させていた。
しかし、なにも起こらない。
期待外れだ。
まぁ、噂なんてこんなものなのかもしれない。
僕は撮影をやめたが、水落山君は撮り続けている。
そんな彼を見ていたら、不意に風圧を受けた。
体の中になにか入ってきたような……そんな感覚だった。
倒れはしなかったが、体が後ろに傾き、強風をまともに食らったはずなのに、室内で窓がなく、どこから吹いてきた風なのか謎すぎる。
まるで、おまえの腕じゃ撮れないぜ!と馬鹿にされている気がした。落胆している僕と違い、水落山君は満足そうに撮影した画像をニコニコしながらチェックしている……はずである。僕のすぐ後ろを歩いていたはずなのに、姿がない。謎の風圧を受けている間に外に出たのだろうか?
表にも水落山君はいなかった。再びミラーハウスをのぞき込み「水落山君?」と声をかけても返事はなかった。
神隠し?!
噂とまったく別の現象が起こり、当惑もしたが、心の中で喜びを抑え切れずにいた。
慌てて撮影した動画を見る。
なにも映っていなかった。色の調整の誤作動なのか、水落山君が消える瞬間はおろか、画面は真っ黒で、僕の頭は真っ白になる。
冷静にならないといけない。
このままだと事件になって巻き込まれてしまう。ドリームランドに最初に誘ったのは、水落山君で、僕に責任はない。早く家に帰って普段どおり平然としていればいい。ただ、水落山君が親に友達と遊ぶことを言っていれば、問題になる。
家に帰っても、遅いとか、どこ行ってたのとか、聞かれず、水落山君の親から電話もかかってこなかった。夜もぐっすり眠れて自分の無神経質さに驚く。普段と変わらない生活ができた。
★★★
普段と違う変化が起こったのは、学校の自分の席に着いてから。
担任の先生が「誰か土曜日の午後から日曜日にかけて水落山と遊んだり、町のどこかで見かけたり、どこかにいたとか聞いた者はいないか?」血の気が引いた顔で尋ねてくる。
クラスメメートの反応は薄く、静まり返った。
リスクはあったが、先生がどこまで知っているのか探る必要があったので「なにかあったんですか?」と手を上げて質問する。
「土曜日から家に帰っていないらしい」
事件や事故に巻き込まれたとか、行方不明という言葉さえも使わなかったので、知っている情報が皆無なことがわかった。
朝のショート・ホームルームが終わり、先生が教室から出ていくと、家出じゃね?みたいな意見が大半で、その日の休み時間は、水落山君の話題で持ち切り。帰り間際には、長髪で三十代の長身の男が運転するハイエースで誘拐された、なんて具体的な犯人像の話まで出てくる始末。
消えてからも水落山君は有名人となったわけだが、嫉妬心は消えた。時間が皆の頭の中から彼を忘れさせてくれるだろう。
自分に被害が及ぶことなく、帰る時間になり、靴を履き替えて玄関口から出るとき、後ろから、力強く、思いっ切り右肩を掴まれた。
「あなた、水落山君と裏野ドリームランドに行く約束してなかった?」
振り向くと、僕より頭ひとつ小さい女の子が立っていた。クラスメートで、名前は表カンナ。三つ編みで赤いフレームのメガネから覗かれる細い糸目が印象的。口数は少ないが、話しかけられたら喋り、喋り方は穏やか。大人しい性格だが、孤立しているわけじゃない。
「約束はしたけど、面倒になって僕は行かなかった」
──自分自身に拍手を送りたい完璧な言い訳ができた。
「どうして、それを先生に話さないの?」
表さんはゆっくり瞼が上げて、上目遣いを僕に向けてくる。
「疑われるだけだから」
──こういう相手には冷たく突き放すのが一番。
「水落山君が裏野ドリームランドに行った可能性があることくらいは、話すべきよ」
お願いではなく、意外なほどきつめの命令口調で言われた。
「うるせぇな~関係ねぇだろ」
──僕のキャラと全然違う言葉遣いが出てしまう。
「まるで別人ね」
表さんから適格な指摘をされた。
「先生に言ったら、ぶっ殺す!」
──脅さないとわかんねぇかな。
「それは、水落山君とドリームランドに行ったこと?それともあなたが別人になったことかしら?」
「両方に決まってるだろ」
──なにをしたいんだ、コイツは?
「欲張りね。二頭追うものは一頭も得ずよ。それに水落山君とドリームランドに行ったことは認めるのね」
表さんが大人びた口調で話す。僕の浅はかな発言で自ら墓穴を掘ってしまった。
「おまえは何様だよ」
──〝ごめん、先生にすべて話してくる〟と言うはずが、全然共通点のない言葉が口から出てしまう。
最初は表さんの上から目線な態度に頭にきているのかと思ったが、まるで誰かに操られているみたいだ。
「もう、手遅れみたいね」
表さんは僕の目を覗き込むように一歩前に出てきて、独り言のようにもらす。
「なにが手遅れなんだ?」
──もっと丁寧な言い方で尋ねたはずなのに、制御できない。
意味深な言葉を残して去っていく表さんに、僕は呼び止める資格はないと思った。
家に帰り、両親と会話するのが怖かった。
食事のとき、簡単に「ああ」とか「うん」と返事をするだけにとどめ、自分の部屋にとじこもる。無駄な会話さえしなければ、別人格のような言葉は口から出てこない。相手が表さんだったから発生した事案かもしれないし、気にする必要はないと思っていたが、なにも根拠がないので不安な夜を過ごした。
★★★
次の日の朝、お母さんから「おはよう」と声をかけられた。
「うるせぇよ、ババァ!」
──今日にかぎって、朝の挨拶なんてするんじゃねぇよ。
口から滑るように吐き出してしまった汚い言葉を聞き間違いだったと思ったのか、お母さんはしばらく時が止まったようなキョトンとした顔をしている。
「朝から汚ねぇ顔見せんじゃねぇ」
──ごめん、と謝ろうとしたのに、正反対の思考の言葉が出てしまう。
もはや制御不能で、僕は家から飛び出した。このまま家にいれば、起きてくるお父さんにも盾を衝き、ケンカを売りまくるかもしれない。学校でも似たように先生やクラスメートと会話が成立しなくなったら居場所なんてなくなる。
行く当てもないまま走っていると「僕を探してよ」という言葉が出た。独り言や呟きじゃなく、無意識にはっきりとした口の動きで自分が言った。
「俺がどこにいるかわからないのか?」
信じられないが、自分自身に尋ねている。
「馬鹿なんじゃないの?少しは頭を働かせろよ!」
自分を自分で罵る言葉を浴びせ、自分の意思が口から出せない。
「まさか俺が誰かわからないなんてことないよね?」
今度はクイズを出された。
──そんなのわかるわけないだろ!
怒号を腹の底から出したはずなのに、口から音としてなにも発せられない。
「あそこで自分の声をしっかり聞いてみな」
やや挑発的な言動の意味を最初はわからなかったが、視線の先にトンネルがあった。裏野ドリームランドに向う手前の林道の入り口にあって、幹線道路に比べて極端に交通量が減ってしまった距離の短いトンネル。
──トンネルの中で声を出せってか。
誘導されているようで少し怖かったが、出てくる声についてなにかわかるかもしれないと思った僕はトンネルに入り、声を出す。
「あぁ~僕は本物だぞー」
久し振りに自分の意思が反映された言葉がそのまま出せた喜びは、自分の声とはまったく違う声質で背筋が凍った。しかも聞き覚えのある声。
──まさか、水落山の声?!
「やっと気づいてくれたか」
語尾にフフフフッと笑いをつけたされた声は、水落山君の声のもの。
──なにがしたいんだよ!
「俺を見つけてほしいだけさ」
──どこにいるんだ?
「ドリームランドのミラーハウスだよ」
──いなかったぞ!
「今日はいるよ」
恐怖感がない柔らかい口調ではあるけれど、信頼はできない。
──探せば声は元に戻るのか?
「友達の心配より、まずは自分の心配かよ……悲しいなぁ」
正論を言われた気がした。
このままの状態が正常とはいえないし、ドリームランドに行く価値はあると思った。ただ、ハンディカメラを持っていないのが悔やまれる。
歩いて一時間かかってしまった。
怒られるかもしれないが、今日は学校をサボろう。それに水落山君を見つければ、ヒーローになれる。それがたとえ死体でも。
前回来たときと同じ状態でミラーハウスが存在していた。ただ、風が強いのか『MIRЯOR・HOUSE』の看板の揺れが大きく感じる。
──水落山君、いるのか~。
ミラーハウスの出入口で、大声を出したつもりでも口から発せられない。
しかたないので奥にゆっくり移動する。
前回と同じで鏡が一枚だけ生存していた。薄暗いのに僕の姿がはっきり映る。どこからか光がもれてきているのかもしれない。
鏡の中にいる自分と目が合った。
「入れ替わろうぜ」水落山君の声が言った。
気持ち悪いものが腹からこみ上げて、吐きそうになる。
──やばい……こんな腹痛……経験したことない。
嗚咽を繰り返していると、不意に自分が映っている鏡が目に映り、僕の口の奥に人間の手のようなものが……見えた。
鏡に映っているのは本物じゃないと祈った。
──幻覚だ!しっかり確認するんだ!
口から出てきた手が僕の下あごを掴む。冷たくてヌメッとした気持ち悪い感覚が伝わってくる。そして、喉の奥から水落山君の顔が僕を見ながら出てきた。そのあと、自分の体が内側から破かれていく嫌な音が聞こえた……気がする。
★★★
後ろを見ると抜け殻のような人間の皮が落ちていた。
俺はミラーハウスから出る。
「気分はどう?」
表が腕組みをしながら立っていた。
「最悪だよ。血だらけだし」
俺はベッタリ赤く染まった両手を広げる。
「もうすぐ雨が降って洗い流してくれるわ」
「全部きれいに落ちるわけないだろ。いい加減なこと言うな」
「これ、返しておくわ」
表が後ろ手に組んで持っていた一眼レフカメラを足下の地面に置いた。
「高いんだから丁寧に渡してくれよ。ちゃんと今の場面も撮影してくれたのか?」
俺は口を尖らせて注文を付けたあと、一番確認したかったことを聞く。
「そんな心配より、行方不明になってから、すぐに普段どおりの生活に戻れるか心配した方がいいわよ」
「大きなお世話だ」
「寺山君の体から出てくる瞬間は獣に見えたわ。まさに……二獣人格ね」
表がうまいこと言った、みたいなドヤ顔をしてくる。
「ミラーハウスの噂を証明したお礼くらい、そろそろ言ってくれてもよさそうだけどな」
生意気な奴には話を変えて、詫びくらい言ってもらいたい。
「ありがとう、水落山君」表は俺に感謝をして満面の笑みを浮かべたあと、頭を下げた。と思ったら、腰を曲げたままグィと顔だけを上げて「さっき言ったこと取り消すわ」
「はっ?」表の言ったことが理解できず、顔をしかめる。
風が吹いた。
それほど強い風とは思わなかった。けれど『MIRЯOR・HOUSE』の看板が傍にあった建物の支柱にぶつかり、真っ二つに割れ、鋭利な刃物のように尖った部分が回転しながら俺に向ってくる。
避けられなかった。
体を貫通する勢いで右胸に刺さり、両膝をついて倒れる。
「普段の生活に戻れるなんて希望を口にしたのがいけなかったわ。ドリームランドの秘密は一人だけで大切にしておきたいのよ。ごめんね」
そんな表の声が最期に聞こえたような気がした。
〈完〉