表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

複雑なこの世界で

作者: 空井 純

けがをした猫が道に倒れていた時、もし自分の子供が「猫さん倒れている」と指差したら、あなたはどうしますか

 雅美が動物を好きになったきっかけは、幼稚園で飼育されていたウサギたちとのふれあいだった。ウサギ当番の時、リンゴの皮と食パンのミミを持って行って、ウサギたちにあげることはこの上ない喜びだった。今思えば、全くなっていない飼育法だ。ウサギは増え放題だったし、リンゴやパンを多給するなどもってのほかだ。それでも、雅美に動物に対する興味を植え付けてくれたことは間違いない。

 だから、いま目の前にいる学校の動物達への思いは複雑だ。

「うさぎさんの目は、真横についているでしょ。広い範囲がいつでも見張っていられるようにできているんだよ。ウサギは草食獣で肉食獣にいつ狙われるかわからないからね」

 子供たちは、雅美の言葉に真剣に耳を傾け、ウサギを観察している。

「先生、昨日ね、ウミちゃんの頭の毛が抜けたの。病気かな」

 思い切ったという感じで、でも、ウサギのために勇気を振り絞って質問してくる女の子。ウサギの体調を心配し、しっかり観察もしているまっすぐな目を見ると、やはり、このウサギたちは、子供たちの命の教育に役に立っていると思う。毎年、1年に一度訪れる小学校の飼育委員さん対象の命の教室。そこに派遣され始めて3年目。雅美は子供たちの真剣さに心打たれながらも、過酷な環境で生活をおくっている学校飼育動物に対して憐憫も禁じ得ない。

「どこの毛かな」

 女の子が指差す箇所は、他の部分よりも一段短くなってへこんで見える。しかし、体表は短い毛が覆っており、剥げているわけではないしかさぶたなども見えない。

「これは、換毛だね。毛が抜け替わって、夏に向けて準備しているところだから病気じゃないよ」

 子供相手には、平易な言葉を選ぶ必要はあるけれど、決して子供だましな答えになにしないように気を付けている。飼育委員を選らんだ動機は様々で、単純に動物がかわいいからという子もいるだろう。しかし、命あるものに接したからには自然科学的な視点を少しでも持ってほしいと雅美は考えている。だから、できるだけ子供たちが授業後もウサギを可愛がるだけでなく、観察することに興味を持ってもらうように心がけてもいる。

 雅美の十八番は、「うさぎさんの肢の指は、前と、後ろ、それぞれ何本でしょう」という問題だ。人は、手の指も足の指も同じく5本の生き物だ。しかし、ウサギは前肢に指は5本、後肢は4本が正解だ。見ようと思ってみなければ気が付かないことは多い。そういうことに気付いてほしいし、ウサギから発展して色々な動物の体のつくりに興味を持ってもらったらうれしいと雅美は願ってもいる。

 しかし、それは雅美の希望だ。ウサギは観察されようが、子供たちが色々なことに興味を持つきっかけになろうが何も得しない。できることなら、どこかの家庭で大事に飼われた方がいいに決まっている。彼らは、別に人の役に立ってやろうと学校に飼育されに来てくれた有志ではなく、たまたま業者が小学校に販売したというだけの経緯なのだ。


 雅美はウサギとのかかわりが深い。動物と初めて接したのは前述したとおり、幼稚園のウサギだし、初めて家で飼ってくれた哺乳類はウサギだった。そして、獣医師を目指して大学へ通い、卒業研究で取り組んだのはあろうことか雌ウサギの繁殖生理についてだった。つまりウサギを使った実験をした。そして卒業後、自身では飼育していないものの、患者としてウサギを診療し、学校飼育動物の指導としてウサギと接している。

 雅美が死んだとき、きっとたくさんのウサギが寄ってきて、雅美をそれぞれ天国と地獄に引きずり込もうと引っ張り合いになるのだろうと、雅美は考えている。

 

色々な立場の動物がいる。


 小さい頃、世界はとても単純で、雅美にとってとても暮らしやすい場所だった。決まりは守らなくてはいけないことで、皆仲良くしていじわるはしてはいけなくて、横断歩道は決まった場所で手をあげて渡らなければいけない。そういったことをすれば必ず褒められて、それが良い子だった。

 でも気が付くと、世界はそんな単純な場所ではなくなっていて、いつそんな世界に入り来んだのか、雅美は気が付かなかった。それに戸惑った時期もあったけれど、さすがに高校に上がるころには、酸いも甘いもという言葉を理解できるようになっていた。

 けれど雅美が選んだ、獣医師という仕事、それがかかわる動物というものは、もっと複雑怪奇な存在といってもいい。雅美はこの点に関して、まだまだ整理しきれていない。


 そもそも動物のお医者さんの勉強をするつもりで大学に入ったのだが、実際多くの時間を割いたのは畜産動物についてだった。彼らは産業動物とも呼ばれ、いかに美味しい肉をいかに効率よく生産できるかというのが大事な存在だ。そのためにどのような健康管理をするのが良いのかというのが獣医師の仕事となる。そこには独特の愛はあるが、あくまで群管理の概念であって、個を可愛がるとかそういうものではない。

 そして大学で出会った実験動物、これは言わずもがな。もちろん倫理規定などあり残酷な実験は厳しく禁止されているけれど、実験される存在であるのは間違いない。新薬や、再生医療などの華やかで希望に満ちた発表の記者会見をみるとき、の心は少し沈む。『長い間、寝食の間を惜しんで行ってきた研究がやっと実を結び、今まで治らなかった病気に光明があるかもしれない』と興奮気味に伝える研究者の言葉の奥に、無数のマウスの赤い眼がちらついてしまう。

 人のため、と考えれば純粋に感動し希望を抱く場面だと理解はしている、だから、マウスに思いをはせてしまう自分は研究者にはなれないとはっきり自覚している。


 そんなことを乗り越えて卒業し、これで思いっきり動物を助けられるぞ、と思ったのもつかの間。次に頭を悩ませるのは、飼い主のいない動物問題。道端でけがを負ってうずくまっていた猫、捨てられたのか迷子になったのか街をふらついていることろを保護された犬。人々は、善意を持ってそれらを動物病院へ運んでくる。しかし、動物病院もただでそれらを引き受けるわけにもいかないし、治ったとしてその後飼い続けられる施設でもない。

 そこで初めて歓迎されないと知る保護主も多く、お互い困ったねとなる。結局、病院も最低限の請求をあげ、保護した人は思わぬ出費に戸惑いながら費用を負担してくれるという感動の少ない展開になる。そして、治癒後の動物は猫は外に戻され、犬はどうにか新しい飼い主を捜しあてるということで、今まで対処してこれたが、これも運任せで、いつかは病院から愛護センターに送らざるを得ないという展開だってあり得ると思う。

 道に猫が倒れていた、家では飼えない、お金だってそんなに出せない。そうしたら、見てしまった人はどうするのが正解なのか、と雅美は良く考える。

 建前としては、行政に電話して愛護センターに収容してもらうだ。しかし、これは多くの場合殺処分に行きつくため、愛護センターに電話するというのはむしろ罪悪感に満ちた行動になる。だからと言って、保護して動物病院に連れて行けば、思わぬ出費どころか、偶然見かけてしまっただけのその猫を飼わなくてはいけないかもしれない。そんな展開を考えると、終生飼育についてまじめに考える人ほどそうやすやすとかかわることはできないと思うだろう。

 だが、もしその人が子供連れで、子供の方が先に傷ついた動物を発見してしまったらどうするのか。命は大切にしましょうと道徳で教えながら、現実では見て見ぬふりをする、そんな矛盾があっていいのか。

答えはでない。


 次に雅美を混乱させるのは野生動物のニュースだ。カルガモの親子が、お堀を目指して車道を歩いているニュース。車は止められ、人々は優しく通行を見守り、キャスターも一段声色を高め、その微笑ましさを伝えている。かと思えば、街中に現れたサルをいかに追い詰め彼らを撃退したかということを、野生動物には困ったものだと顔をしかめて報道される。動物園で可愛い動物の赤ちゃん誕生の話しの次に、野生で繁殖してしまった外来動物アライグマの幼獣を複数捕獲したことを取り上げる。アライグマは、珍しくもないせいか動物園でも引き取ってくれるところはないそうだ。ということは……。それ以上は報道されないが、雅美はその先を想像してしまう。

 めまぐるしく変わるキャスターの表情と声色に、雅美はついていけなくなる。この人は、どんな気持ちでこれらのニュースを読み分けているのだろう。どうしたら、割り切れるのだろう。

 外来種、本来日本には生息していなかった種で、何らかのことにより持ち込まれた生き物たち。セイヨウタンポポとかアメリカザリガニ、ブラックバスが有名どころだが、近年はアライグマやセアカゴケグモ、カミツキガメ、アカミミガメなど問題に上がってくることが多い、何らかの事情で日本に入ってきたといっても、そのなんらかは明らかに人が関与しているわけだけれど、勝手に害獣とみなされ、生態系を破壊する元凶として、捕獲されて処分される。

 国内で繁殖して困るというが、そもそも生き物とは、いかに自分のDNAを残すかということで生き残ってきた者たちだ。だから新しい環境に順応し繁殖するというのは生き物として優秀で当然のことだ。

 繁殖せず、今風の言葉でいえば草食化に悩むのは、人間と、人間が飼育している動物園の動物達だけだ。そういう動物は虚弱なのだと思う、生物のサバイバルでは勝ち残れない種だ。なのに、その種が今一番反映しているというのは、そのこと自体生態系のバランスを崩しているのではないかと思えてくる。


 雅美にとって世の中は複雑すぎて生きにくい。自分の存在意義がはっきりとしている『命は存在するだけで尊く、そして等しくかけがえがなく、大事にしなくてはいけないものだ』という世界にいられるのは、人生の中でも短い期間だ。

 それだけではない大海原に出向してだいぶたつが、羅針盤のないまま漂っている自分を感じる。この小学生の女の子は、羅針盤を手に入れることができるのだろうか。そう思いながらも、今はこの子が信じる美しい世界を構築するひとつの存在でいようと、ウサギに目配せを送った。


真面目にかんがえれば考えるほど、何が正解かわからなくなります。

動物を飼育しているのは、日本の2~3割の人です。だから、大半のひとにとって動物はあまり日常と関係ないものかもしれません。そう考えるとマイナな存在なので、皆に呼びかけるものでもないような気がして、よりどうしていいのかよくわかりません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ