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エル・クレシアは館の埋め込まれた断崖絶壁の頂に身を置いていた。ちょこんと座り込み、純白の粒子を辺りに漂わせている。
雲の上だからか風が強く、空気も薄い。
だが、そんなものは一切関係ないといった様子で、そこにいた。
純白の髪がなびき、まるで蝶の鱗粉のように純白の粒子が舞ってるその光景はとても美しいものだった。
神秘的、まさにそう表現するのが正しい姿である。
エルは断崖の元で行われてる争いを眺めて、白い息を吐く。
(くだらない)
エルが……、いや悠子がその気になれば一瞬にして敵を殲滅することができるだろう。でも、それはダメなのだという。
今回の目的は、敵の殲滅ではない。情報を持った科学者の捕縛だ。
それが少し面倒だった。
周りは奪われたエルの魔法を脅威だと言うが、彼女は別にあれが脅威だとは思ってない。
あの魔法は使い手を選ぶ。だから並の魔法使いでは扱い切ることはできない。
何故ならあの魔法はまだ未完成だからだ。例えばアルのような神域の魔法使い。彼女ならば完成させて、使いこなすこともできるかもしれない。だが、それは言ってしまえば創造主たるアル以外には、使いこなせるはずもない未完成な代物だ。つまり早急にアルさえ殺せば、全て片付く。
その程度の問題だ、とエルは認識していた。
エルは片目を閉じ、瞼の裏にその姿を見た。
白衣を揺らして、館の裏道から脱出を試みる科学者の姿を。
彼女は広範囲に伝達魔法を送る。
剣士ではないので、自ら音波を発生させることはできない。
相手の音波に答えることはできるものの、自ら繋げることはできない。エルは伝達魔法を発動して、その言葉を送る。
『東の抜け道に脱出者が一人。剣技の担い手』
最低限の情報だけを伝達する。これがエルの役割だ。
広範囲に感知魔法を張り巡らせて、幾つかの館に通じるルートを探し当てる。見付けた後はその場所の付近に味方の剣士を配置し、脱出を試みた連中を片っ端から捕らえていく。範囲内の動きは、落ち葉ひとつ見逃すことのない彼女だからこそ、出来る役割だ。
これは悠子の立てた策略とはいえ、やはりこんなまどろっこしいことはせずに館ごと潰してしまえばいいのではないかと、エルは思う。
悠子は言った。
襲撃の際に脱出する連中は科学者の中でも重要な位置にある者のはずだから一人残らず捕まえてください、と。
それは一理ある。
危険な時に重要な人物を、いや必要な人材を逃すのは、どの組織でも当たり前のことだからだ。
悠子たちは乗り込んだ。敵はその足止めの為に戦力を裂いて、必要な人材を逃がすはずだ。
それこそが悠子の狙いでもある。
結果として、その読みは正しかった。
悠子の襲撃後、幾人もの科学者が裏口から脱出していた。
しかも、相手が脱出という手を打ってくれたおかげで、簡単に脱出口の特定もできた。後はそこから抜け出してきた者達を捕らえるだけ。
館の中で、三人の足止めをしているような連中は、恐らくロクな情報も持ってないだろう。なので、彼らは殲滅対象である。
(それにしても、あの館のロビーの連中。剣技と魔法の融合陣形、か。いいな)
エルの瞼の裏に館のロビーの風景が映る。科学者を相手に血まみれになりながらも戦うクロナと信紅。その光景だ。
だけど、エルが興味を示したのは、味方のクロナや信紅に対してではなく、敵の陣形に、だった。
(私も悠ちゃんと……、肩を並べて共闘してみたい)
前衛で戦う悠子、後衛でそのアシストをするエル。その姿を妄想するも、思わず苦笑する。
(……なんてね、そもそも悠ちゃんなら私がアシストする前に片付けちゃいそうだしなぁ)
そんなことを考えるエルの背後。そこに一つの影が落ちる。
「お嬢様、もう少しで私の空間内が満杯になります」
エルは振り向き、視線を上げる。そこには老メイドが背筋を伸ばして立っていた。
「……分かった。彼女を連れていってもいいよ」
エルは断崖の頂上の周りをぷかぷかと気持ち良さそうに浮遊するメイド姿の少女を指差した。
「私の護衛として付けているんだろうけど、正直いらない」
エルの素直な言葉に空を浮遊する少女は、「えー」と無邪気に不満を口にする。
「エルのお側が一番の安全圏だから離れたくないんですけど!」
ぷくーと頬を膨らませる少女。だが、それを無視して二人は話を進める。
「あんなこと言ってるし」
老メイドは少し考える。
(確かにお嬢様には、護衛は不要かもしれない。ですが、それでもお嬢様が何かを所望した際に、直ぐに用意できないのはメイドとして心苦しいですね)
それを察したのか、エルは言う。
「どうしても何かあるなら、空間満杯のあなたがここに残ればいい」
空間、というのは、魔法使いが世界の狭間に形成した一つの倉庫のことだ。物置だったり、鞄だったりとその用途は色々あるが、今回は捕らえた敵を一時的に入れておく為の檻のような使い方である。
元々そこまで広くはない空間の倉庫だ。数人入れただけで直ぐに満杯になった。
当然、誰も彼もが使えるような魔法ではないが、クレシア家のメイドには、徹底して仕込まれてる魔法なのでこの老メイドは勿論、今ぷかぷか浮遊してるあの少女も使える魔法である。
「私は空間が満杯なので、ここに残ったところでお嬢様の世話係は務められないんですが」
そんな堅苦しい老メイドに、上から声が降る。
「融通効かないね。これだから年寄りは……ひぎゃぷ」
悠々と飛んでいた少女が、老メイドの手の中から放たれた風の塊に撃墜された。
「誰が年寄りですか。まだまだ若いもんには負けませんよ!」
「す、すいませんでした……」
ぷすぷすと煙を立て、少女は断崖の頂に転がる。
「まあ、この際、仕方ありません。メイさん、あなたの荷物をここに置いていきなさい」
「わ、わかったよ……」
そう言われた少女ーーーメイは、溜息混じりに倉庫空間を開き、その中身を全て、どしんと老メイドの目の前に置いた。
ティーセットやメイド服数着、箱詰めされた洋菓子、その他にも色々といつでもエルの要望に答えられる為の道具が置いてあった。
エルはその内の一つを手に取る。
(乗馬用の鞭……?)
どう見てもエルとは関係の無いものまで入っていた。
(こんなの何に使うんだろ)
その用途は分からなかったが、何か必要な場面でもあるのだろうと思い、それをそっと元の場所に戻す。
「はい、これで全部だよ」
メイが倉庫から取り出したものを眺めて、老メイドは「よろしい」と頷いた。
「まあ、これだけあれば、ある程度の要望には答えられそうですね」
そう穏やかに笑う老メイド。だが、エルは思う。
(この状況下、飲食の要望なんてするわけないのに)




