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神代悠子はその手に『血濡れの太刀』を握り、断崖絶壁に張り付いていた。
尖った岩肌を空いた手で掴み、崖下まで転がり落ちないように他の凹凸部分を足場にして、バランスを取る。
彼女がこうして今ロッククライミングのようなことをしてるのには、理由がある。これは任務だ。
彼女は百合園の空間でエルと別れた後あの廃屋の宿に戻り、軽く打ち合わせを終えてから襲撃する予定時刻までの短い間に軽く仮眠を取った。
そして、敵本拠地への襲撃の予定時刻。少し寝たおかげか疲れの取れた彼女たちは、準備を整え、静かにその村を出立して、今に至るというわけだ。
(あれが敵の本拠地ね)
悠子の視線の先には、一つの館がある。
断崖絶壁の中に埋め込まれるようにして、それは建っている。
『聞こえる?』
悠子は音波を使い、別の地点にいるはずの者たちに意思疎通を図る。
と、直ぐに返事が返ってきた。
『聞こえますよ』
まずはクロナだ。
音波を送った直後に戻ってきた。
悠子の音波に備えて待機していたのだろう。とても早い。
次はエルだ。
『聞こえるよぉ』
夜も明けてないからまだ眠いのか。少し間延びした声で戻ってくる。
この音波を拾えるのは悠子だけなので、特に問題はないが、公的な場での彼女とはあまりにも乖離していて、他の者では声だけで判別することはできないだろう。
三番目に返したのは、意外にも藤堂信紅だった。
『聞こえる』
ボソッと吐き捨てるように彼女は答えた。
少し意外だ。
悠子に強い当たりを示す彼女のことだから、最初の確認は無視する可能性まで考慮に入れてはいた。
が、流石に仕事と感情を直結させるようなことはしなかったようだ。
そうして、次々に返事が来て、全員分の音波を確認する。
これは敵の本拠地の周辺で、剣技による音波の伝達を使えるかの確認。この音波というものは、その力の性質上、どうしても周囲の環境によって届く範囲が左右される。
音波。そうつまりは音の振動の波を空気に反映させなくてはならないからだ。
だからここみたいに風の強い場所では、特に音波の範囲は狭くなる。
なので、まずは全体がきちんと音波の受信範囲内にいるかを確かめたのである。
悠子は断崖の尖った肌を掴んだまま、血濡れの太刀の柄を口に咥えて持ち、懐に手を入れて、それを袋ごと取り出した。
それは悠子が事前に調合しておいた粉末状の爆薬だ。
それを片手に携えて、悠子は掴んだ岩肌を軸にして、振り子のように勢いを付け、物音も立てずに館の屋根に飛び乗った。
この館の中から多くの人の気配がする。
その数おおよそ二十人。
悠子は屋根の上を歩きながら再び音波を飛ばす。
『これより作戦を決行します。合図と同時に飛び込んでください』
それに各々が『了解』と答えた。
悠子は屋根から飛び降りて、その重々しい扉の前に着地する。
(なるほど、結構強固な扉ね)
悠子は扉の前に風の煽りを遮るための小さな木製の囲いを置き、その中に粉末状の爆薬を流し込み、魔力を込めた発火石で蓋をする。
これで一つの爆弾の完成だった。
数秒後には起爆する。
悠子はジャンプし、屋根に掴まり、ぶら下がった。
あのまま扉の前に留まっていては、爆発に巻き込まれてしまう。
悠子は屋根を片手で掴んだまま、真下の設置した爆弾に視線を向けた。
瞬間、激しい轟音と共に熱気が膨れ上がった。
激しい突風を巻き起こして、膨張した熱気の塊は、その重々しい扉を簡単に弾き飛ばす。
その爆発の轟音。それが合図だったのだろう。
彼女たちは、未だに消えず残り続ける黒煙の中に、次々に突っ込んでいく。
ぼふんぼふんと黒煙の膜を破り、彼女たちは扉の中に入り込んだ。
悠子も屋根から手を離し、黒煙の中に身を投じて、その館に突撃する。
黒煙を抜けて、最初に悠子が見たものは、コートを羽織った二人組が剣を振るい、白衣の者達を切り倒す姿だった。
そのコートを羽織った者達は、悠子が連れてきた部下であり、彼らが斬ってる白衣の連中が『科学者』。つまり敵だ。
敵は不意を突かれた為か、一切抵抗することなく、血飛沫と断末魔を上げながら倒れていく。
今ここで闘ってる部下は二人だけだった。悠子を含めると三人しかいない。が、それで事足りるだろう。
他の者達には、それぞれの仕事を割り振っている。
「クロナ、信紅、一階はあなた達に任せるわ。作戦通りにおねがいね」
悠子は敵と闘う(とは言い難いほど一方的に虐殺する)二人の間を抜けて、その長い通路を歩いていく。
「了解です」
「はいはい」
と返事するクロナと信紅。
その二人の返事を受け取り悠子は、
「じゃあ私は行くわ」
と呟き、目の前の長い通路を悠々と突き進む。
この作戦での悠子たちの役割は、これだった。
敵の本拠地に乗り込み、そこで無差別に暴れ回り、敵の注意を一身に引きつける。即ち陽動だ。
悠子たちが暴れてる間に、他の者達は別に動く。
それが悠子、クロナ、信紅に与えられた役割だった。
ただ、陽動とはいえ、敵はA級剣士狩りを行えるほどの力を持っている。しかも、『拳銃』という類の武器を保持してる可能性が高い。
だから一番危険な役割がこの陽動なのは明白だった。今はまだ敵の不意を突いた攻撃だから敵を簡単に斬り伏せることはできているが、この先ずっとこの状態が続くことはないだろう。
拳銃の弾丸。あれは六条封印の下にあったとはいえ、悠子も苦戦した力だ。
あんなものを出されたら幾らS級剣士とはいえ、苦戦する。
(せいぜい死なないように、祈ってるわ)
そう思いつつ、悠子は屋内の敵を出会い頭に全て斬り裂きながら進んでいく。
赤い絨毯や薄汚れた壁に鮮血を撒き散らし、白衣の骸は転がった。
少し歩くと階上に繋がる階段があり、それを昇った先は、真っ暗闇だった。一階は電気が付いて明るくなっていたが、二階は夜の闇そのままだ。いや、月や星の明かりがない分、夜闇よりもさらに闇が深い。
悠子は感覚を研ぎ澄まし、辺りの気配を探る。
少し先に一人。それを見付けた瞬間、悠子は咄嗟に真横に跳ぶ。
パァンと何かが弾け、悠子の隣をそれが突き抜けた。
危なかった。殺気を読み取り、すぐに回避行動を取らなければ当たっていた。
どんな手段を使ってるのかは分からないが、これだけの深い闇の中なのに今の攻撃は正確無比だった。
悠子は血濡れの太刀の柄を両手で握り締め、下段に構える。
(なるほど。闇に紛れての攻撃、ね。少し厄介かもしれないわね)
悠子は目を閉じ、さらに感覚を鋭敏に尖らせる。
先程、少し先に見付けた敵は、だんだん距離が遠くなっていく。だけど、彼女にとって、その離れる敵は、どうでもよかった。
問題は、この遠距離攻撃の使い手だ。
発射時に破裂音を鳴らす今の攻撃には、悠子も覚えがある。
ミヅキが使ってた『拳銃』による攻撃と同じだ。
今の攻撃も恐らく拳銃を使った類のものである。
つまりこの攻撃は出来るだけ喰らわない方がいいだろう。
悠子はゆっくりゆっくりと感知の範囲を広げていく。
広げていく中で何人もの人の気配を感知するも、悠子はそれを無視して、さらに拡大する。
が、やはり見付けられない。
(まさか私の感知をすり抜けるほどの……、使い手?)
その考えに至るも、次弾が放たれた為、直ぐに思考を中断せざるを得なかった。
殺気を読み取り、悠子は右に避ける。
ただ、ひとつ分かったことがある。
この狙撃手。確かに気配を隠すのは上手いが、殺気を隠すのは下手だ。
僅かな殺気でもあれば、悠子に攻撃を与えることはできない。
つまり早急にこの狙撃手を始末する必要も無いということだ。
殺気を隠せない以上、敵は無為な攻撃を繰り返すだけだ。
(まあいいわ。この程度の力量なら先に他の連中から始末した方が良さそうね)
悠子は銃撃を紙一重で回避しながらも深い闇の支配する二階通路を進む。
視覚は全く意味を為さないので、感知の網を広げる。それで分かったことがある。
この階層は複雑に入り組んだ姿をしている。
迷路のように枝分かれした通路。その両脇に一定間隔で、幾つもの部屋がある。
その中には誰もいない無人の部屋もあれば、人の気配のする部屋もあった。
悠子は羽虫を払うように襲い来る銃弾を、血濡れの太刀の峰で弾く。もはや銃撃されてるなんて認識は、悠子の中から消えていた
彼女は人の気配を辿っていき、ひとつひとつ気配の元を潰していく。
こうして二階の気配の元を断ち切っていく度に彼女を撃ち抜く狙撃の精度が荒くなっていく。
全てを始末した後に殺されるのは自分だ、ということを既に理解してしまったのだろう。
死の恐怖は、時に判断能力を鈍らせるものだ。
もはや悠子が回避行動を取るまでもなく、狙撃は当たらない。
一人。また一人。
この館の中から人の命が失われていった。
そして。
この階層の気配が残り二つになったところで、ようやく悠子の標的が切り替わる。
二階に残ってる気配は一番奥の部屋にあるものと、移動しながら悠子を銃撃する狙撃手のものだった。
次の標的。それに狙撃手が選ばれたのは、ただ距離が一番近いところにあったからである。
(さてと、ようやくあなたの番ね)
悠子は血濡れの太刀を下段に構え、そのまま暗闇の中を突き進んでいく。
無為に銃弾が彼女に飛来する。だが、もはや避ける素振りすら見せない。軽く全ての弾丸を血濡れの太刀の刃で弾き、ただただ前に突き進む。しかも、何も見えないはずなのに的確に自分のいる場所を目掛けて迫ってくる。暗闇の中でこれは恐怖だろう。
「くっ」
ついに声を拾える位置まで彼女は迫っていた。血濡れの太刀を下段に引きながら彼女は駆ける。と、コロンコロンと何かが足元に転がってきたことに悠子は、気が付いた。
(えーー?)
すると、その次の瞬間だった。その転がってきた丸い物は辺りの空間を根刮ぎ破壊するかのように、轟音を伴ってーーー爆発した。
「っ!?」
悠子は爆風の衝撃に巻き込まれ、吹き飛ばされた。
じりじりと焼けたような痛みを背中に感じる。
(今の威力……、こんなものまで持ってるなんて)
さらっと流れる前髪の隙間から覗く鋭い瞳が、目の前の暗闇を睨む。いや、正確にはその闇に紛れるように立っていたそのひとのことを睨み付ける。すると、その闇の中から一つの声が発せられた。
「神代悠子」
それは聞き覚えのある男の声だった。
「……そういうことね。また私を殺す為にどこぞのボンボンに雇われたってわけ?」
その男。それは元クロノ・ディルの元部下であり、今は悠子直轄の優秀な部下になっているはずの大男だった。
彼は悠子の問いに答える。
「違う。今度は俺の意志だ」
彼は悠子の額に銃口を向ける。どういうものか詳しくは分からないが恐らく以前のものとは銃身の長さが違うのだろう。彼は少し離れた距離からその銃口の焦点を悠子の額に合わせていた。
「そう、……それは残念ね。でも、その程度の玩具で、本当に私を殺せると思ってるの?」
それに彼は即答する。
「ああ、思っているさ。この距離ならな」
そう言い、そのまま彼は躊躇なく引き金を引いた。
パァンという破裂音だけが暗闇の中に響き渡った。




