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そこは幾つもの木造の家屋が連なり、形成された一つの集落。
その住人は、繊維を複雑に編み込んで形作る『服』という概念がないのか、動物の毛皮で恥部を隠し、外に出ていた。
ひとつひとつの家屋には小さな牧場のようなものがあり、その中には藁が積まれ、それを餌にする動物が飼われている。
村の女はその動物に餌を与えたり、乳を絞ったり、それで家庭を守るための役割をこなし、村の男は斧を携えて力仕事を働いている。
完全に独立した原始的な文化を持った集落。
それがその場所だった。
悠子たちはその集落に辿り着くと、そこには彼女たちの到着を待ってる者がいた。
「よくきましたね」
それは褐色の肌に大きく膨らんだお腹を抱え、胸と股間を白い毛皮で隠した若い女性だった。
妊娠中なのだろう。彼女は大きなお腹を守るようにゆっくりと歩き、悠子の前まで来る。
「私はこの集落の村長の娘、サンドと申します」
彼女、サンドの挨拶に悠子も答える。
「私は剣士派遣協会のS級序列第一位、神代悠子です。よろしくおねがいします」
そして、それに倣ってエルも挨拶する。
「エル・クレシア。魔道の巫女です」
だけど、悠子とは違い、とても素っ気ない態度だった。
それも仕方のないことだろう。
エルは元々身分が高く、一般の者よりは遥かに立場が上の人間だ。
いや、それどころか庶民から上り詰めた悠子や世界有数の大富豪の子息であるクロノはおろか、一つの国家の王族よりも身分は高い。
世界でも二人しかいない世界の創造主たる巫女の末裔。
それがエルだ。
しかも、その上、圧倒的な力まで有している。
もはや仰がれるのが当然の立場だった為、本来は一般の者には挨拶どころか言葉を放つことすらない。
基本的には一環して無視。勿論、公的な場では口を開くが、私的な場所では基本的には無視を貫いている。
そんな彼女が初対面の相手にも挨拶をしたのは、ただ単に悠子に倣っただけに過ぎない。
そこに相手に対する感情は一切介在することなく、全くの無関心だ。
だが、挨拶をしたというその事実に、エルの傍らに控える老婆は、驚きに目を見開いていた。
(あのお嬢様が、下々の者に挨拶をなさるとは、ああ、成長しましたね)
それはこの場には不釣り合いの格好の女性。
エプロンドレスにフリルのカチューシャを付けたメイドさんのような格好の女性だった。
彼女は以前、悠子をエルのいる部屋まで案内した老メイドである。
今回その老いたメイドがここにいるのは、単にエルの世話役として同行することになったからだ。
(それもこれもやはり悠子サマのおかげか)
老メイドは悠子を一瞥し、口元に笑みを浮かべる。
(やはり子供の成長には、友が不可欠、ということか)
その老メイドは二人の仲のことを知っている。
いや、知ってるというよりは気付いてると表現した方が適切だろう。
エルから何か聞いたわけでもなく、ただ単に気付いただけ。
勿論、第三者に容易に看破されるほど二人の警戒は脆くはない。
普段は外部からの認識が届くことのない百合園の空間で会い、そこで語り合う。
たまに外でも話すことはあるが、その時の二人は最大限に周りを警戒している。
この二人の警戒の網を掻い潜って、彼女たちの仲の良い様子を目撃することができる人間は、この世界には一人としていないだろう。
それなのにこの老婆が二人の関係に気付けたのは、長い間エルの世話役をしていたからだ。
エルの幼い頃は全く笑顔がない子供だった。
それどころか感情すらない人形のような子だった。
そんな痛ましいエルの姿に、当時から世話役だった彼女は、何とかしたいと常々思っていた。
だけど、どうにかすることはできなかった。
どれだけ屋敷の使用人の中で地位が高くなったところで、所詮はただの使用人だ。
エルとの関係は親と子ではなく、主人と使用人の関係に過ぎない。
そんな細い糸のように簡単に切れてしまいそうな儚い関係性の彼女では、人形のようなエルに人心を与えることなどできるはずもないだろう。
どうにかしたいのにどうにもできない。そんなもどかしい気持ちを抱きつつ、エルの世話役としての日々を過ごしていった。
だけど、ある日。
あれはクレシア家が開いたパーティーの直後のことだったと思う。
エルがいきなり年相応の幼い顔で、そのパーティーの参加者について聞いてきたのは。
初めてのその幼い顔に彼女は戸惑いつつも、その質問に答えた。
参加者の名簿を確かめ、使用人の名前も挙げた。
当時の幼かったエルが知りたがったのは、クレシア家が開くパーティーに初めて参加する来場者または使用人の子供のこと。
そして、その条件に合致するのは当時の名簿の中には一人しかいなかった。
近隣の施設からお手伝いさんとして寄越された子供。
悠子という名の子供だった。
それを告げた瞬間、エルは納得し、元の人形のような表情に戻った。
その時は一瞬でもエルが幼く見えたのは、老メイド自身があまりにもそれを望むために願望が目の錯覚を引き起こしただけかもしれないと思ったのだが、その日を境に時折、普通の子供のような表情を見せる時が増えた。
それは目の錯覚ではなかった。
そして、またある時を境に、エルの表情が生き生きとするようになっていった。
それは世間に一つの名が轟き、それがエルの耳に届いたからだ。
神代悠子という名前。
そこでそれなりに聡明な彼女にはすぐ分かった。
最強の剣士で名を馳せる神代悠子という少女が、あの時エルが興味を持っていた悠子という名の子供だということが。
この老メイドも魔法使いだ。だから最初は剣士として名を馳せた彼女に困惑したものの、それでもやはりエルの心に熱を灯してくれたことに感謝を抱いた。
そんな経緯があり、老メイドは二人の関係性を知っていた。
だけど、二人が関係を隠す意図も理解できる為、老メイドは二人のことについては何も言わない。
知ってることを明かすこともしない。
(まあ、相手が剣士とはいえ、友達ができたのは本当に嬉しいことですな、お嬢様)
もはや子の成長を喜ぶ親の気持ちでエルを見ていた。
すると、そんな生暖かい視線に気付いたのか、エルは老メイドの方を向いて言う。
「何か?」
淡々とした機械のような口調。それでも昔よりは大分柔らかくなった。その事に歓喜を抱きつつも、老メイドは答える。
「いいえ、なんでもありませんよ、お嬢様」
ニコニコと口元に人懐っこい笑みを張り付ける老メイドに、エルは心底疑問に思う。
(どうして笑ってるんだろ)
エルは老メイドが嬉しそうに笑ってる理由に見当がつかず、まるで意味が分からなかった。
(まあいいか)
だが、すぐにその老メイドに対する興味が失せた。
どれだけ長い間一緒にいたとしても、エルにとってはその他大勢の有象無象に過ぎなかったからだ。
例えば道の真ん中に石が転がっていたとしよう。一時的に気にはなるかもしれないが、それを延々と気にし続けるひとはいないだろう。それと同じだ。
少しだけ笑ってる理由について気にはなったものの、それほど興味があるものではなかった為、すぐにどうでもよくなった。
それは別に彼女の本性というわけではない。
エルの本性は悠子と一緒にいる時の天真爛漫な姿だ。
どれだけ性格の良い人間でも、道端の雑草に対してはそれほど強い関心を示すこともないだろう。
彼女は見える世界が大きすぎるのだ。
人間が知性を持つが故に知性を持たない家畜の気持ちに興味が抱けないのと同じように、見える世界が違いすぎるエルは普通の人間の気持ちに興味を持てないだけだ。
興味がなくなったエルは悠子の横顔に視線を戻す。
「お腹、大丈夫ですか?」
悠子は心配そうにサンドに言う。
「ああ、はい、大丈夫です」
サンドは答え、
「それでは宿屋までご案内します」
のろのろと歩き始める。
悠子たちはその後を着いていく。
外からの来客というのが余程珍しいのか、住民の視線が悠子たちの元に集まっていた。
排他的な場所なのだろう。
その中の多くに嫌悪の視線も混じっている。
コソコソと陰口を言い合ってるのも横目で伺える。
居心地が悪い。
だけど、それはあくまでも悠子の後ろの者たちの感想だった。
悠子は特に気にする様子もなく、悠然と歩く。
神隠しの空間の中で、人間の負の感情には嫌という程触れてきた。
だから今更この程度で何かを思うはずもないだろう。
そして、一行はサンドの後に続き、この集落の宿屋まで行く。




