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カナデは思わず一歩引いた。
返り血を浴び、振り返る悠子の姿に美しいと思うカナデもいたものの、その大半のカナデの心は目の前の少女の存在に恐怖を覚えていた。
美しくも恐ろしい化物。
それが悠子に対して抱いたカナデの内なる感想だった。
カナデは自身の内に芽生えた恐怖の感情を呑み込み、右手を上げる。
「あの女を殺せ!」
それは合図だった。
その声と同時に赤黒い肌の怪物が、一斉に悠子の元へと押し寄せる。
が、それらは全て悠子の直前で、真っ二つになった。
血濡れの太刀を一振り。
それだけで眼前を埋め尽くす程の悪魔の軍勢の上半身と下半身が切り離されたのだ。
次いで、さらに次の一振りでは、辺りの悪魔の大軍は一瞬にして縦一線に切り裂かれた。
「六条さん」
悠子は地に落ちる赤黒い怪物を横切り、カナデの元まで歩み寄る。
一歩。一歩。また一歩進む。
そして、悠子が足を進める度にカナデは後退る。
出来るだけ悠子から離れようとするために。
一歩。一歩。また一歩下がる。
が、その逃避は永遠に続くはずもなく、気づいた時にはカナデはフェンス際まで追い詰められていた。
「っ」
これ以上は逃げられないと悟ったカナデは、手を掲げ、悠子に向ける。
「は、母殺しの迦具土よ!」
震える声でカナデは叫ぶ。
「己を殺める者を迎え撃ち」
それは魔法の詠唱だった。
「その牙を以て」
カナデの背の布を破り、複数の荒縄が飛び出した。
「己が父に赦しを乞え!」
そして、その無数の縄は灼熱に包まれ、燃え盛る。
「ーー火炙りの荒縄」
それはカナデの使える魔法の中でも数少ない殺傷目的に作られたものだ。
バチバチと火花を散らし、炎を灯した無数の縄は蛇のようにカナデの背元に蠢き、今にも悠子に襲いかかろうと構えていた。
が、しかし、そんなものは悠子には何の驚異にもならないだろう。
まったく微動だにせず悠子は眉一つ動かすことなく歩み続ける。
迫る悠子に、カナデはその背にある無数の炎の縄を悠子に向けて突進させた。
変幻自在複雑怪奇に動くその縄は、並の剣士ならば避けることすら叶わないだろう。
だけど、相手は並の剣士ではない。
悠子だ。
効かないことくらいは分かりきっていた。
が、それでも彼女が火炙りの荒縄を使った。それにはふたつの大きな理由があった。
ひとつは悠子の足を止め、対処に当たらせること。
少しでも時間を稼げればいい。
そして、この魔法で少しでも疲労を与えられたのならばなおよし。
ふたつは悠子の注意を火炙りの荒縄に集めること。
いわば、陽動のようなものだろう。
カナデ自身は別の事を為すために火炙りの荒縄を陽動に使った。
しかし、その思惑は呆気なく砕かれたのだった。
悠子の横一閃のようにも見える太刀捌きに全ての火炙りの荒縄が切り裂かれた。
「なっ!」
いや、違う。
切り裂かれたように見えるものの、実際は分解されたかのように荒縄は悠子の一太刀に断ち切られていた。
荒縄は幾つもの繊維が複雑に絡み合ったことによって形作られている。
そして、その無数の繊維の中核を切断すれば、簡単に紐解かれるのである。
それは本来やる必要の無いことだ。
悠子の力ならば一瞬にして襲い来る縄を切り伏せることも容易だろう。
が、それをせずにわざわざそんな芸当を披露したのは、単純に力の差を示すためだった。
「これで分かったでしょう?」
悠子はカナデの直前まで歩み寄り、言う。
「ふふっ、それにしてもすこしだけ残念ね」
悠子は血濡れの太刀の切っ先をカナデの首筋に這わせる。
「これでも私はあなたと踊るのは楽しみにしてたのだけどね」
その言葉にカナデは震えた声で返す。
「それは嘘です。だって」
ぷるぷると恐怖のあまり震え、カナデは悠子を睨む。
「あなたが見てたのは、エル・クレシアだけ…」
その言葉に悠子は驚き、思わず目を見開いた。
「あなた」
そして、悠子の目付きが鋭くなる。
「どこまで知ってるのかしら」
それは悠子とエルの関係性のことなのだろう。




