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百合園の誓い  作者: 川島
第一章ー百合園の出会いー
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3

 結局、悠子は彼女の思惑に乗ることにした。


 どちらが強いかということは特に興味も関心もないけど、魔導師協会最強の魔法使い『エル・クレシア』のことは、とても気になっていた。


 実は昔、遠目にだけど悠子はその姿を見たことがある。


 その時に見たエルの姿は、糸の切れたマリオネットのように空っぽだったことを悠子は鮮明に記憶している。


 階段に腰掛け、力なく項垂れ、どこまでも深く、暗い瞳が虚空を向いていた。

 何者も寄せ付けず、ただそこに心なく在るだけの生きた屍のような印象を悠子に与えた。


 当時は悠子もまだ幼く、力が開花する前だった為、エルの見ているものが何なのかまでは全く分からなかった。


 むしろ、最強の力を持ってるのに人々の憧憬を拒絶するかのようなその暗い姿に、悠子は酷く落胆したのを覚えている。

 自分の抱いた憧憬も受け入れてくれないのではないかと、悠子は幼心に思った。

 それは子供特有の勝手な他者への期待の押し付けだったのだが、当時の悠子は本心からエルに失望していたのだ。


 そのことを切っ掛けに悠子は剣技の道に進んだのだが、今なら当時のエルの抱いてた気持ちが分かる。痛いほど、分かるようになってしまった。

 何故なら悠子もエル同様、最強の存在に至ったからなのだろう。

 悠子は、最強になったその瞬間から思っていた。

 再び彼女に会いたい、と。常日頃から思っていたのである。

 そして、そんな機会がようやく訪れた。


 こんなチャンスはもう二度とないだろう。この好機を逃せば次に会えるのは、恐らく戦いの中だ。


 あの老人口調の少女の意に従うのは、少し癪に触るけど、悠子は彼女に言われた通り、学校に行くことを決めた。


(エル…、やっとあなたに再開できるかもしれないわ)


 悠子ら内心に溢れる喜悦を抑え込つつも、老人口調の少女の元から立ち去った。


(もしかしたら出合い頭に刃を交えるかもしれない)


 悠子は思う。


(それでもいい)


 噴出してしまいそうな喜悦をぐっと抑え込み、悠子は想う。


(だって、あなたと戦うということは、私があなたの元に至ったことへの証明だもの)


 ぶるっと震え上がる。それは恐怖でも、ましてや武者震いという類のものでもない。

 腹の底から湧き上がるエルに対する想いに、身を震わしただけだ。



 悠子はそのまま本部ビルの外に向かう。その途中、人目のつかない場所で帽子とサングラスを装着する。それは彼女の変装道具だ。


 そして、装備を終えると悠子は外に出た。

 すると、目の前には、ごった返した人の群れが広がっていた。どこもかしこも見渡す限り一面に人が溢れ、まるで満員電車のような息苦しさがそこにはあった。


 ここは剣士派遣協会の総本山の依頼受託施設の本部だ。

 毎日のように外部の依頼客によって、本社ビルの前は人で溢れ返っている。

 こんなにも人の多い場所だ。

 そんなところで悠子ほどの有名人が変装もせずに歩いたらどうなるか。想像に容易いだろう。


 まず間違いなく大騒ぎになる。これは以前、あの老人口調の少女が面白半分にこの場で悠子の正体を明かした時の騒動による体験談だ。

 しかも、その時は怪我人まで出て、悠子は老兵の退屈な小言を延々と聞かされ続けるはめになった。


 もうそんなことは勘弁なので、悠子は人目を避けるように歩き出す。大衆の認識の網に引っ掛からないように進み、文字通りの意味で人の目を避けて歩く。


 それは何気なくやってることだけど、こんな人目の中でそんな芸当が可能なのは、恐らく彼女くらいのものだろう。そのまま悠子は誰にも認識されることなく、その場を離れた。


 ある程度、本部の付近から離れたらもう変装の必要もなくなる。


 元々その技能があれば変装はいらないと思われるかもしれないが、これは保険だ。


 悠子のその技能もある程度の力を備えた者には、効果が薄い。


 というよりは皆無に等しい。


 普通の人の認識の網は狭く、隙間が開いている為、引っ掛からないように潜り抜けて歩くのは容易なことだけど、力ある者は別だ。


 流石の悠子でも、認識の網に隙間がなければ避けることもできない。つまり変装せずに大衆の中を歩けば万が一に彼女を付け狙う力ある殺し屋の攻撃に周りを巻き込む可能性がある。


 それを避けるための、殺し屋に対する為の変装だ。そして、わざわざ変装してるのに人目を避けて歩くのは、彼女の追っかけに対するものだ。変装程度では欺くこともできないのが、ファンというものである。


(ここまで来れば大丈夫ね)


 悠子は帽子を取り、サングラスも外す。


(さてと、それじゃあ私は学校の準備の為の買い物でもーー)


 そこで、ようやく悠子はそれに気付いた。自分の後を、複数の気配が追いかける。

 不覚だ。まさか付けられるとは思わなかった


(一人、二人、三人……、人数は三人ね)


 その気配を完全に捉え、その位置までも正確に把握する。相手もこちらを伺っているのだろう。

 悠子は視線を向けられてることにも察する。悠子は判断に困窮する。

 あれはどちらなのか。それがまだ分からない。

 悠子に対する殺し屋か、それともただの追っかけか。それが分からないことには、動くことが出来ない。

 


(それにしても少しだけ、驚いたわ。 まさかあの人込みの中から正確に私だけを追い掛けることができるなんて)


 悠子は密かに称賛の念を抱く。


 あの状態の悠子を認識し、さらには大衆に気配を紛れさせ、ここまで悠子にその存在を気付かせなかった。

 そんなことを出来るのは、この派剣協会の中でも一握りのものだけだろう。

 悠子の探知と感知能力は、共に派剣協会の最高位に優れている。

 悠子は大衆の中に殺し屋が紛れ込んでいたところでその殺意を読み取り、逆算し、瞬時に居場所まで特定できるほどの感知能力を備えている。

 その感知の網を一時的とはいえ、欺けていたのは称賛に値するだろう。


 悠子はさらに深く、気配を読み、ようやく微かに漏れ出た殺気を読み取ることができた。その結果、追っ手の正体を理解する。追っかけではなく、殺し屋だ。

 それにしても本当に驚かされる。


 まさかここまで殺気を隠すのが上手いとは。並の使い手ではないだろう。相手を称賛し、悠子は一先ず人気のない場所まで向かう。


(まずは話を聞きましょう)


 そのまま彼らを誘い込む為に悠子は薄汚れた裏路地に入った。


 確かに依頼受託本社施設の前より人は少なかったものの、まだ表通りには人はいる。そんな場所を戦場にするわけにもいかないだろう。

 彼女は追跡者を誘導するように、薄闇の中を潜る。


 そして、その後を追うように三つの気配もまた、路地裏に飛び込んできた。

 その手には、刀が握られていた。どうやら仕掛けるようだ。

 彼らは勢いよく飛び込み、そこで思わず立ち止まる。


「!!」


 路地裏には悠子の姿はなかった。彼らは確かに悠子の後を追い、路地裏に入ったことまできちんと確認した。だから彼らも後を追うようにここに飛び込んだのだが、そこにはもう彼女の姿はない。


「どういう、ことだ」


 追手の一人が言った。それは三つの気配の中心の、筋骨隆々とした逞しい肉体の大男だった。そして、それに続けるように残りの二人が答える。


「さ、さあ、どういうことなんすかね」


「分からないです、はい」


「だよな。とりあえず、探すか」

 

 大男は一歩、前に踏み出した。辺りの捜索を始める為に。


「リーダーッッッ!!」


 その時、仲間の一人が叫んだ。その慌てた声を聞いた大男は、思わずその声の方向に振り返り、


「どうしーー」


 瞬間、大男の視界が反転した。


「ーーえ?」


 何が起きたのか。それに彼が気付いたのは、地面に体を叩き付けられた後だった。


「ごふっ!!」


 投げられた。あまりにも突然のことに、大男は受け身を取ることすらも忘れていた。地に背を強く打ち付け、一気に肺から空気を吐き出される。


 思わず大男は「ぅぐぅ」と苦痛の声を漏らす。そして、大男が悶えてるその一瞬の間に、残りの二人もその場に奇声を上げて倒れ込んだ。


「ぁがっ」


「ぅぎゃっ」


 何が起きたのか。それを理解する間もなく、仲間二人の意識は暗転した。


「お前らっ!!!」


 大男は叫び、立ち上がろうとしたところで、ぴたりと動きを止めた。


「さてと、それでは聞かせてもらいましょうか」


 大男の首筋にひんやりとしたものが添えられる。

 それが抜かれた刀の切っ先だと彼はすぐに理解する。

 刀の切口には、赤黒い血液が付着していた。

 それが意味するところは、そういうことなのだろう。

 恐らく、この化け物のような女に、二人は斬られた。

 そして、次は自分の番なのだろう。今ちょっとでも動けばまず殺される。いや、動かなくても直に殺される。大男は仲間を殺した(と思われる)悠子に、心の内で、憎悪の火を灯しながらも表向きは降参したかのように動かなくなった。


「あなたはどこの組織のーー、いえ、『誰』の部下?」


 吐息のように囁かれる悠子の言葉に、大男は思わずゾッとする。

 最後に一泡吹かせようと適当に嘘を吹聴するつもりだったのに、その言葉はまるで全てを見透かしてるかのようだ。


 嘘をついても無駄だと、言われてるような感覚に陥る。

 全て分かってる上で、あえて無意味にも思えるような彼女のその問いに、大男は恐怖を感じながらも口をつぐむ。

 嘘を言うつもりだったのに、今なにかを言えば全て看破されてしまいそうだ。だから口を閉ざし、それを態度で示す。悠子の問いに何も答えるつもりはないと言うように…。


 そんな口を閉ざした大男の様子に。悠子は溜め息をつく。強引に話を聞き出す手段は幾つも知ってるものの、こんな場所ではそれもできない。というよりは、気が進まない。仕方なしに悠子は大男の耳元まで口を寄せ、吐息混じりに言葉を紡ぎ始める。


「レイ・サンクチュアリ、藤堂信紅、神代悠久、剣神、多村玄影、骸ノ刹那ーーー」


 次々に出される人名の数々。それはこの街の人間ならば誰もが知ってるような。剣士派遣協会上層部に名を連ねる者達の名前だ。


 つまり悠子の同僚の名前。そして、それらは大男の上司の名でもある。悠子には、彼らの組織の正体は心当たりがある。

 というよりこの要塞のように守りを固めた街で、悠子に殺し屋を向けるような組織は一つしかない。それは剣士派遣協会だ。それ以外にはまず有り得ないだろう。


 人が多い場所で仕掛けてこなかったのも。それが派剣協会から放たれた刺客だと分かれば納得する。ここは派剣協会の街だ。だから出来るだけ民衆を巻き込むことはしたくないのだろう。


 そこまで分かれば後は最後の締め。彼らを向けたのが誰なのか。それを特定するだけ。その為の手段の一つが、それだ。

 


 人間とは不思議なもので、何の変化もなしに偽ることは出来ない生物だ。

 脈拍、心拍数、体温、偽れば必ず体のどこかしらに影響が出る。どれだけ平静を保とうとしたところで、体の変化まで隠すことは不可能なのだ。それは人道の極致に至った彼女でさえも、例外ではない。


「ーーークロノ・ディル」


 ぴくりと大男の心音が揺れ、微かに乱れが生じた。それはほんの一瞬の変化だったけど、それを悠子が見逃すはずもなく。


(……クロノね)


 特定が完了した。


(あのぼんぼんが私に殺し屋を向けるとは)


 それだけを読み取ると。悠子は切っ先を大男の首筋から離し、その刃に付着した血液を払うことなく鞘に収めた。


「もういいわ。 行きなさい」


「……は?」


 大男は悠子に捕らわれた時点で、死を覚悟した。断頭台に括られた死刑囚のように死を避けられない運命として受け入れていた。仲間を殺したその凶刃に殺されるのだと、彼は思っていた。

 それなのに彼女は刃を引いた。何故、仲間は殺めたのに自分だけを助けるのか、それが彼には理解できない。彼は悠子を睨みながら言う。


「あいつらのように、俺を殺さないのか?」


 その言葉の端々にたぎる怒りの念。憎悪を孕んだ声色に気付き、悠子は溜め息混じりに弁明する。


「あのね……、そもそも殺してないわよ」


「……なに?」


 その呆れたように彼の様子に、悠子は肩を竦める。


「こんな場所で、こんな時間に、殺すわけないでしょう」


 確かにそれは正論だ。でも彼には悠子の言葉が信じられない理由がある。


「だが、お前の刀に血が」


 と、叫ぶ男に悠子は答える。


「あれは私の刀の仕様よ。あなたの仲間の血液とは、何も関係ないわ。そもそもーー」


 悠子は、端のほうで失神してる二人の元まで歩み寄り、その首根っこを掴んで、大男の眼前に放り投げる。


「彼らをよく見てみなさい」


 大男は、仲間の首筋に手を当て、脈を確かめる。どくんどくんと指先に脈動が伝わってくる。


「よかった、生きている」


 大男は安心したように息を吐く。そこでようやく彼は、その現状を理解する。悠子は二人は無力化するために意識を刈り取っただけなのだろう。


「当然でしょう」


 冷静に考えれば、確かに当然のことではある。

 人通りのない路地裏に入ったとはいえ、絶対に人が来ないとは言い切れない。

 むしろ、来る可能性の方が高いだろう。そんな場所で、彼女が格下の彼らを殺せば、咎を受けるのは間違いなく悠子の方だ。

 いくら彼らのほうが殺すつもりで襲撃してきたとはいえ、そんなのは関係ない。何故なら悠子には彼らを殺さずに無力化する手段など幾千幾万にもあるのだから。

 そんな悠子が、彼らに命を狙われたから返り討ちに殺しましたは通じるはずがない。そのことを分かった上で『彼』は、悠子に殺し屋を仕向けたのだろう。


(相変わらず狡い男ね)


 悠子は心の中で彼らを仕向けた男に対して悪態をつく。


「分かったらさっさと行きなさい」


「あ、ああ」


 悠子に促され、大男は両脇に仲間を抱え、覚束ない足取りで歩き出す。まだ悠子に投げられたダメージが残ってるのだろうか。ふらふらと危なげに歩き、最後に悠子に一礼だけするとそのまま表通りに去っていった。


「それにしても、本当にズル賢い鼠ね」


 思わず悠子は、吐き捨てる。あの大男たちを仕向けた男ーークロノ・ディルの下卑た笑い顔を思い浮かべ、心の底から嫌悪する。


「ズル賢い鼠とは、また失礼だなあ」


 すると、それに反論の言葉が返ってきた。


「あら、いたのね」


 悠子は横目に路地の奥を見る。


「とぼけるなよ、わかっていたのだろう?」


 悠子の視線の先には、一人の男が歩く。薄闇を蹴飛ばすように闊歩し、偉そうに大股に足を進める。全身の至るところを宝石で飾り立てた派手な男だった。その身にあるものは全て一流の品で、世界有数の大財閥『ディル家』の跡取り息子。そして、先程の大男たちに悠子を殺すように仕向けた張本人である。


「それにしても未来の旦那サマに向かって、その汚い言葉使いはいけないな」


 にやにやと。気持ちの悪い笑顔で、彼、クロノは馴れ馴れしい態度で迫ってくる。


「未来の旦那サマ、ね」


 ふっと悠子は鼻で笑った。


「その未来の旦那サマとやらが、どうして私を殺そうとしたのかしら?」


 棘のある言葉にクロノは肩を竦め、


「はっ、何を冗談を。君を殺すならもっと……、そうだなあ、万魔殿の悪魔の軍勢でも引き連れくるさ」


 そう言い返す。不可能なことを堂々と言い放つ見栄っ張りな男である。


「それより、どうしてあいつらを殺さなかったのかなあ?」

 

 にたにたと。気色の悪い笑みを浮かべている。


「君の為に用意したサプライズプレゼントだったのに、何だかすっごくショックだよ」


 言葉とは裏腹に、その表情はずっと笑っていた。にやにやにたにたと。歪な笑顔をベッタリと顔に張り付け、迫ってくる。とにかく気持ちの悪い男だった。恐らく世間一般的に彼の容貌は美男子にカテゴリーされるのだろうが、悠子はどうにもその男が好きにはなれない。むしろ、嫌悪感すら持っている。


 そのまま彼は悠子の眼前まで近寄ると、いきなりクロノは彼女の胸元に触れようと手を伸ばす。


「そんな悪い娘には少しお仕置きを」


 が、その直前で手はピタリと止まり、硬直した。理由は明白だった。そのことに気付いたからだ。


 その手の先に見えたのは、刀の柄に手をかける悠子の姿。


「この腕はいらないのかしら?」


 悠子は暗に言う。それ以上、少しでも動けば腕を切断すると。それを悟った瞬間、クロノはあまりの恐怖からか全身のありとあらゆる毛穴から冷たいものが噴き出し、反射的に腕を引っ込めていた。


「じょ、冗談だって、そんな本気になるなよ」


 焦り、必死に弁明する。まるで蛇に睨まれた蛙のような心境だ。悠子は刀の柄を握ってるだけのはずなのに、何故か生きた心地がしない。


「そう、それはよかった」


 悠子は彼のこういうところを心底嫌う。弱いのに一切研鑽もせずに人の威を借り、それを自分の力のように誇示する彼の在り方。別に人の力を誇示することそのものが悪だと思ってるわけではない。むしろ、それは良いことだとも思う。だけど、彼のようにそれだけしかない者は、別だ。強くなろうとせずに、力ある者の威を借りるだけの、どうしようもない人間。侮蔑にすら値する。


「か、構えを解いてくれないか?」


「…それもそうね」


 内心ではこのまま切り捨ててやろうかとも思っていたけど、そうすると後々問題になりそうなので、仕方なく悠子は柄から手を離し、抜刀の構えを解く。それを見たクロノは、ようやく生きた心地を取り戻した。



「それより、天下のディル家のお坊っちゃまがこんな埃まみれの汚ならしい路地裏に何の用かしら」


 その刺々しい態度の彼女に、先ほどの地獄のような経験から直接表には出さないもののクロノの腹の底に苛立ちが募っていた。


(ちっ、この女……)


 内心で悪態をつきつつも引きつった笑顔を作り、悠子に答える。


「君が学校に行くというのを耳にして、正気を確かめようと思ってねえ」


「正気? そんなものがまだ私にあると思ってるのなら、逆に貴方の正気を疑うわ」


 嫌味に、嫌味を返され、それがまたいっそうクロノの神経を逆撫でする。クロノは怒りのあまり歯噛みしていた。悠子がクロノを嫌悪するように、彼もまた自分の思い通りにならない彼女の人格を嫌っている。


 クロノは将来的に悠子を手にするつもりではあるものの、それは別に彼女に惚れてるからというわけではなく、ただ単に彼女の体に興味があるからだった。世界最強を冠する少女。そんな悠子を思うがままに出来たらどれだけ気分が良いことだろう。


 それだけがクロノが悠子に固執する理由だった。彼女の人格は嫌いだが、体は別。人格なんてものは後から矯正すればいいとクロノは考える。まるでペット感覚だ。悠子を手に入れる為に派剣協会に多額の寄付をし、その上層部を抱き込んだ。彼女の意思とは関係なく、悠子を許嫁という立場に置くために。


 そして、結果は思惑通りだ。悠子は本人の知らないところで、勝手に許嫁にされていたのだ。勿論、協会に直談判したけど、それを最終的に決めたのが彼女の師匠だったので、あまり無下にも出来ず、許嫁のことは諦めた。勿論、結婚するつもりはないけど。


 ただ、勝手にそういうことをしてるせいで余計に悠子の侮蔑を買っているわけだが、それをクロノは全く気にも止めない。許嫁という立場に置いた以上いずれは結婚する(と本人は思い込んでいる)のだから彼女が何を思い抱くのかには興味がないのだろう。


 昔からクロノという人間にとって女は、使い捨ての消耗品のようなもので、その人間性には全く興味も関心もなく、自分の思うがままの玩具のような認識すら持っている。だからなのか、クロノはそんな自分より完全に格下だと思ってた悠子に見下されるのは、とても屈辱的だった。


「はぁ、もういいよ、やっぱり君と話してると頭がおかしくなりそうだ。用事だけ済ませる」


 クロノは悠子の顔に向けて、全ての苛立ちを込めて木の小箱を投げる。勿論、ぶつけるつもりで。


「ふふ、奇遇ね。それには同意よ」


 しかし、悠子はそれを難なく受け取り、嘲るように笑う。その小箱の中には、彼女がディル家に依頼して作らせていたものが入ってるのだが、これを彼が届けに来たということが、おかしかった。


(ふふっ、良い御身分のくせにパシりとはね)


 悠子はそれを鞄に仕舞うと、彼女は笑いを堪えるように背を向ける。これ以上ここにいると笑ってしまいそうだ。それに、いつまでも彼のような男に時間を彼に割いてるのは、無意味だろう。何の特にもならない。悠子は背後のクロノにもしっかり聞こえるように、嘲弄を孕んだ声色で吐き捨てるように言い残した。


「それではパシりで七光りのお坊っちゃま。 私はこのあとに用事が控えているので、ごきげんよう」


 そのまま彼女は表通りの繁華街まで歩き出す。その最後の言葉に怒り震えるクロノだが、特には何も言い返さずに、曲がり角に悠子の姿が消えるまで、見送った。


 そして、完全に悠子の姿が見えなくなると、クロノは真横にある壁を思い切り殴り付ける。拳に血が滲み、激痛が走るもののそれが気にならない程、クロノは憤っていた。


「パシりだと、舐めやがって」


 それは完全な八つ当たりである。


「いつか思い知らせてやる、身分の違いというものを」


 悠子に対する憎悪にも等しい激情を噛み殺すように歯を剥き出しに、クロノは荒々しく吠えるように呟いた。



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