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剣士派遣協会ーー。
通称『派剣協会』とは、剣士を志す者から剣技を極めた者まで唯一の例外なく、属する事を義務付けられた世界最大級の組織である。
その主な仕事内容は、その名の通り、所属する剣士を他に派遣することにある。
依頼を受ければその実力に見合った剣士を派遣し、依頼をこなす。
それは、買い物の荷物持ちや迷子のペット探し等の軽いものから、果ては要人の護衛や暗殺等という類のものまである。
そんな派剣協会の総本山は、壁に囲まれた広大な都市の姿をしていた。
見渡す限りの人混みに。多様な飲食店。
剣技の街を象徴するかのように街の至る所には鍜治屋があり、そこに住まう人々の民家までもが用意されている。
さらに驚くべきなのは、街を囲うように高く聳えた外壁だ。
そこは派剣協会の総本山ということもあり、外敵を阻むための防護機能としての役割を、その外壁に持たせていた。
外壁の頂上には見張りが何人も立てられ、四方八方を警戒する。
無論、その外壁の所々には人が通る為の出入口は設けられているが、そこにも出入り確認の為の門番が立っている。
まるで要塞のような都市なのである。
そんな広大な剣士派遣協会総本山の街にある、囲う外壁よりも更に高いビルの中に神代悠子はいた。
派剣協会は、世界中に依頼受託施設がある。
世界の端から端まで広がるように派剣協会は展開していた。
そして、そこはそんな派剣協会の依頼受諾施設の大本。つまりは本部の建物である。
「ーーそれで、まだ何か?」
その一室。悠子は身の丈ほどの刀を胸に抱き、壁に背を預け、眼前のそれを睥睨する。
これで何度目の召集だろうか。
そろそろ『その話』についての話し合いには嫌気が差してくる。
「ほっほっ、そう邪険にするではない、娘よ」
眼前のそれは答える。
言葉と外見が不一致の違和感の塊のような存在である。
老人のような口調に、少年のような外見。
身の長に合わないスーツを着てる為、ぶかぶかで時折肩から服がずれ落ちる。そんな老若男女全ての要素を詰め込んだ少女だった。
「何が不満なのだ」
「全てよ。 そもそも今更、学校に行ったところで学べることはないもの」
違和感を体現するかのような少女の問いに、悠子は断言する。
「時間の無駄じゃない」
それは、悠子の立場を考えればぐうの音も出ない程の正論なのだろう。
学校とは何かを学ぶために行く場所である。勉学、スポーツ、人付き合い、それから剣技や魔法。
悠子は私的な人付き合いにこそ、多少の難はあるもののそれ以外の全ては学校施設で学べる領域を遥かに逸脱している。
そんな彼女にとって、学校に行く意味など皆無に等しかった。
それに学歴も、今の彼女には取るに足らないものなのだろう。
それもそのはず。
学歴とは、就職を優位に運ぶためには必要なものだが、彼女はもうすでに派剣協会の中でも地位と権力は有していた。
今さら、そんなものにこだわる必要もないのである。
「しかしじゃな」
だが、それだけでは眼前の少女は納得しない。
当たり前だ。
学校に行くのが不要なのは、あくまでも悠子にとってだけである。
派剣協会の総意としては、悠子には学校に行ってもらいたい。
しかし、それを強制することは既に出来ない。
悠子は、勝手しても咎を受けることのない程度の権力は、既に有しているからである。
勿論、協会の土台を揺るがしかねないようなことをすれば、咎を受ける。
だけど、学校に行く行かないは、悠子の勝手なのである。
「くどいわよ。 それに、仮に私が学校に通うことに同意したとしても。 警備はどうするつもり?」
それは当然の疑問だった。
悠子が学校に行かない理由は、幾つかあるけどそれが一番大きかった。
悠子は暗に言う。自分が通えば、その学校が戦場になると……。
彼女は立場上、常に命を狙われている。
最強ゆえに常に闘争の渦中に身を置いているのである。
しかも、彼女を殺す為には、手段を選ばない連中も多い。
以前、悠子の命を狙った者が、彼女を殺す為だけに街ひとつを滅ぼしたことがある。
そんな何も知らない他人にとっては、災厄のような存在だ。
学校みたいな警備の薄い場所に行けばどうなるか。想像に難しくないだろう。
「メリットが何ひとつないのに、デメリットだけが多すぎるのよ」
悠子は一通り話し終えると違和感だらけの少女は、何気ないように一言、
「それならば、子細無い」
言う。
「…は?」
悠子は思わず呆けた声を漏らす。
「この儂がその程度の思慮を欠いてると思うてか? 警備の面に抜かりはないのう」
「なに? ずっと派剣協会が学校ごと護衛でもするつもりなの?」
少し小馬鹿にしたような態度の悠子に、少女は答える。
「そんなこと、有り得ないのはお主も分かっておるだろう。下らぬことを言うでない」
「分かってるからこそ、あなたの言い分が解せないのよ。警備に抜かりがない?」
眼前の少女の妄言のような言葉に、悠子は断言する。
「ありえないわ」
断言し、それを言う。
「もしかしてあの街の事を忘れたのかしら」
それは、かつて悠子のせいで滅んだ街のことだ。
老人口調の少女もそのことは鮮明に覚えている。
何故なら、その街の惨状を彼女も目撃したからである。
夜の闇の中に、今よりもまだ幼き頃の悠子が、刀を片手に骸の上に立っていた。
その骸は、人というには原型を留めておらず、黒く変色していた。
そんな屍が至る所に転がっていた。
思い出すだけでも身の毛がよだつ。
まるで地獄のような光景だった。
「私を学校に通わせるということは、またあの惨状を引き起こす可能性を多分に孕んでいるのよ」
それが一番の理由だ。
その言葉に、少女は老人のようにもう一度、その言葉を告げる。
「だからその件に関しては仔細ないと言うておろう」
頑なに言を貫き通す彼女に、悠子は怪訝に思う。
(ここまで確信を持っているということは、何か方法があるの?)
訝しげな表情をする悠子に、少女は言う
「お主のデメリットの解消と、メリットの呈示。その二つをきちんと説く、心して聞くがよい」
ひとつ。少女は人差し指を上げる。
「まずはデメリットの警備の件、これは何も問題はない」
「どういうこと?」
「何故ならばお主の通う学校そのものの本質故、問題がない」
まるで要点を得ない話に、悠子は先を促す。
「だからどういうーー」
「異端の学び舎じゃよ」
悠子は驚いた。
少女は何の気なしに言ったけど、その発想はなかった。
というよりは、派剣協会の上層に属するくせにその発想が出てくるのは、まずありえないことだ。
「あなた、何を言ってるのか、分かってるの?」
「無論じゃ」
少女の言う異端の学び舎とは、剣技と魔法の共存を理念に掲げている学校だ。
有り得ないことを謳い文句にしているその学校は、派剣協会からは異端の学び舎と揶揄されている。
「あの学校ならば、異端故に外敵が多い。つまり、それが意味する所はひとつ。身を守る為の手段に特化してるということじゃ」
確かに、それは正しい。
異端の学び舎。つまり剣魔共立高等学校の警備システムは、世界でも最高峰。
その防御力は、この要塞のような都市の数倍以上の硬度を誇るとも言われている。
「警備の面について、大丈夫な理由は分かったわ。だけどーー」
その言葉を制するように少女は言う。
「お主の言いたいことは分かっておる。派剣協会が許すはずはないと思っているのだろう」
その通りだった。悠子は言葉を止められたことを少し不服に思いつつも言う。
「当たり前よ。私は、その一挙一動に政治的な役割があることを自覚してる。その私が、魔法と剣技の共存を謳うような異端に通うことを、老兵が納得するとは思えない」
「それは心配無用」
少女は薄い胸を張り、少し得意気に言う
「既に納得させた」
バンっと数枚の書類を悠子の眼前に呈示する。
「どうじゃ、お主が学校に通うための資金を出す旨の書類に判が押してあるじゃろう。これが何よりの証拠」
再び悠子は驚かされた。
(まだ私は行くとは一言も言ってないのに、相変わらず仕事が早いわね)
「なるほど、警備面に問題ないことは分かったわ。 それで、私のメリットは何?」
一つ目のデメリットの解消に納得し、悠子は続きを促す。
「ほっほ、あまり慌てるでない」
相変わらず外見に似合わないような厳かな言葉で、少女は笑う。
「メリットは大まかに分けて二つある。まずは軽い方から」
少女は提示した書類を服の中に仕舞い、答える。
「ひとつ目は、我が協会の老兵共の言を封じることができる」
心底愉しそうに笑う。それは悠子の協会での立場のことを言ってるのだろう。
「あら……知ってたの?」
「ほっほ、当然じゃよ」
悠子は自他共に認める最強の剣士である。その強さは。歴戦の剣士の大軍に無双し、空を覆い尽くす魔術師の軍勢を一掃し、万魔殿より進軍する悪魔の兵団を蹴散らす。一騎当千の剣士なのだが、そんな誰もが力を認め、大衆の憧憬の眼差しを一身に受ける彼女にも、当たり前のように妬みというものは存在していた。
特に派剣協会の内部では、化け物じみたその力を危険視する声も多く、彼女の地位の低下が声高らかに叫ばれている。
彼らは悠子の足元を崩すために彼女の弱味に付け込んでは、そこを徹底的に責め立てる。
悠子に高い地位を与えてはいけない。それが協会上層部のーー老兵たちの大多数の見解でもあった。
そして、最近では彼女に学歴がないことを理由に、悠子の足元を崩そうと攻撃してきた。
流石にちょっと鬱陶しかったけど、それでも、まだそれだけでは学校に行く理由には足りない。
それが分かってるからこそ、彼女はもうひとつメリットも用意してきたのだろう。
「それで、もうひとつのメリットは?」
「もうひとつ、というよりはこっちのほうがメインじゃよ」
むふふと笑い、少女は違和感だらけの言葉で続ける。
「これはのう、お主も喜ぶような内容であるぞ」
そのメリットを提示した後の悠子の驚き具合を想像し、少女は口角を緩める。
「いいから早く言いなさいな」
悠子は急かすように続きを促した。
「やれやれ、少しは会話も楽しむべきじゃよ、娘」
少女は肩を竦め、そのまま言葉を紡ぐ。
「まあ、よい。 二つ目はのう、彼の巫女君殿も異端の学舎に通うということ」
少女は何気ないように、言った。
「……は?」
その言葉に悠子は耳を疑う。少女の言った『彼の巫女君殿』。それが示すのは、一人だけだ。
「ほっほっほ、聞こえなかったかのう。 彼の巫女君殿、つまりは魔法協会序列第一位のあの小娘も今年の春から剣魔共立高等学校の学生になるんじゃよ」
想像通りに困惑の表情を浮かべる悠子の姿に、まるで悪戯が成功した童のように彼女は笑う。
「お待ちなさい。 それじゃあ何、あなたはあの最強の魔法使いが通うことを知ってて尚、私を異端の学舎に行かせようとしてたってわけ?」
「うむ、正解」
満面の笑顔で答える目の前の少女に、悠子は思わず頭を抱える。
「正気……? あなたの目的は何なの? もしかして、魔導師協会と戦争でもしたいのかしら」
「それも悪くはない、けどそれは不正解」
少女は無邪気に言う。
「ほっほっほ、あの自我のない世界の操り人形共の最高傑作と、我が協会最強の神代悠子。 どちらが強いか、気になるではないか」
少女の思惑は、たったそれだけだった…。