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それにしてもひとつだけ気になることがある。
「ひとついい?」
「なに?」
「あなたがさっき言ったこと。あれはどういう意味?」
悠子の方は過去にエルの姿を見たことがある。
それは出会いという程のものではなかった。
ほんの因果のすれ違い。
一目その姿を見たことがあるという程度のものだ。
ただ、それが悠子にとっては特別な思い出というだけ。
エルにとっては何の変哲もない日常の事だったはずである。
互いに交わることなく、思い出を共有することもなく、ただ悠子が一方的に想っていただけに過ぎない。
そんな出会いというには烏滸がましい過去の邂逅。
それをエルが知るはずはない。
そのはずなのにエルは言った。
「私のことを覚えてる?」と、まるで悠子の内心を全て見透かしたかのように。そう言った。
「私たち、どこかで会ったことがある?」
悠子は、その真意を確かめるように問う。
悠子が彼女を見たのは十年も昔のことだ。
その一瞬の邂逅を覚えてるというのは、それだけ強い印象を抱いたということだろう。
幼い頃のことは、その時に抱いた恋心すらも成長するに連れて忘却の彼方に消えることがある。
それなのに一瞬見かけただけの相手を覚えてるというのは、相当気持ちの悪いことだろう。
すると、その問いに対してエルは少し落胆気味に答えた。
「昔、まだ私が幼い頃にクレシア家主催の社交界があったんだけど」
悠子は驚き、目を見開いた。
その社交界のことを悠子は、今なお鮮明に覚えている。
というか幼い頃に悠子がエルの姿を見たのも、そこだった。
彼女がその時の事を言い出したということは、悠子がエルを見ていたことを知ってたのだろうか。
あれだけ大勢ひとがいたのに、悠子を覚えてたことに心底驚いていた。
当時の悠子は、あの社交界にはお手伝いとして働いていた。
それに参加していたわけではない。にも関わらずエルは悠子のことを覚えていた。
エルにとっては、あの時のことは特別でもなんでもなかったはずだ。
「そこで、私は悠ちゃんを見た」
しかし、それは違う。
あれは、エルにとっても特別な思い出だった。
その頃のエルは、幼くして既に魔法使いとしての性能は最強クラス。いや、既に名実ともに最強に至ってた。
無限にも等しい魔力を備え、息をするように魔法を扱い、その圧倒的な才覚に創造者の先祖返りとして、誰も彼もがエルに期待と憧憬を寄せていた。
そして、それは彼女の身近にいた者まで同じだろう。
両親すらもエルに抱いていた感情は愛情ではなく、憧憬と期待だった。
そんな環境の中で育ったせいか、いつしかエルは心を閉ざすようになっていた。期待のままに必要な事を淡々と処理するだけの日々に、さらに冷え固まる彼女の心。そして、それを溶かしたのが悠子の存在だった。
ある社交界の場で、エルは草影から自分の様子を伺う女の子の姿を見た。そのこと自体はいつものことだし、別に気にならなかった。ただ、その女の子の自分を見る目に違和感を覚えた。
見たことのない感情を、そこに垣間見た。
エルを見る者は皆誰もが等しく、その瞳の中に憧憬の念を宿す。
しかし、悠子の自分を見る目にはそれがない。
いや、それどころか全く真逆にも思えるような不可解な色をしていた。それが気になった。
そして、気になったら答えを出すまで考え抜くのが、エルだ。
それ以来エルは毎晩のように彼女のことを考えるようになった。
彼女の抱いていた感情が何なのか。最初はそれだけだったはずなのにいつしか悠子の人間性までを考えるようになっていた。
どんな人間なのか、どうしてあの場にいたのか、どんなものが好きなのか、友達は多いのか。気が付いたらそんなことばかりを考えていた。
最初は知らないことを知るために考えていただけだったのに、いつの間にかエルは本心から悠子のことを知りたいと願うようになっていたのである。
しかも、不思議なことに悠子のことを考えてる間だけは心を閉ざすことなくいられたのだ。
あれはエルにとっても、間違いなく特別な思い出だったのである。
「あの日、声をかけなかったことをずっと後悔してた」
エルは言う。
「ずっと話してみたかった」
その思いを悠子に告白する。
それは紛れもない本心。
悠子のことを考える日々に、エルは思うようになっていた。
悠子と友達になりたいと。
人生は一期一会である。もうこれから先、悠子と再会することはないかもしれない。そう考えれば考える程に、エルの悠子に対する想いは膨れ上がっていった。
そして、そんな時だっただろうか。
理性と感情の間で揺れるエルの元に、神代悠子の名が届いたのは。
それは敵対する勢力の剣士派遣協会の最強が入れ替わったという報せだった。
そのことにはそこまで興味はなかったものの、一応は敵対勢力の最高戦力のことだ。
エルは調べた。
すると、そこでエルは知った。
神代悠子のことを。彼女は、あの時の少女である。
それを知った途端、エルは歓喜に震えた。
自分の組織の内部事情は頭の中から吹っ飛ぶほどの歓喜だ。
もはや悠子が敵として現れたのだということすらも、どうでもいいことに成り下がっていた。
ただ、悠子と話する為だけに、ここまで来ていた。学校に行きたかったのも、自分を餌に悠子を誘い出す為だ。その為に、色々と手を回したりもした。この時の為だけに。
友達になる。それは高望みだと思っていた。何故なら悠子は敵だからだ。自分に敵意はなくとも、悠子は敵。
恐らく、自分の正体が分かれば、戦闘になるだろう。それが剣士と魔法使いの不変の関係だからだ。
だけど、それが分かってるのにエルがここに来たのは、別に悠子に殺されるのは構わない。
それでもエルは、ずっと想い続けてきた悠子と話がしたかったのである。
エルが出会ったばかり(と悠子は思っている)の悠子に途切れることなく話し続けてきたのは、それが理由だった。
そんなエルの悪い考えを裏切るように悠子は答える。
「私もよ」と。
「え?」
思わず聞き返すエルに、悠子は続ける。
「私も、あなたと対等に話せる日を夢見てここまで来たの」
悠子は今の自身の立場を示すかのように両手を広げる。
地位も能力も名声も、ようやくエルに匹敵するところまで至った。
物陰から見ているだけのあの頃とは違う。
「あなたと同じ場所に、ようやく来れた」
絶頂に身悶える乙女のように悠子は、歓喜する。ずっと目標だった場所に立つ。その実感に震え上がる。
「悠ちゃんも、私を目指してくれていたの?」
「もちろんよ」
悠子は即答した。
「あなたの見てる景色を、共有する為に」
その答えは、エルの心の暗雲を晴らし、幸福をもたらした。今も昔もエルの心を動かすのは悠子だけである。
「そっか…」
エルは照れた顔を隠すように俯き、呟いた。




