表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

こころスピンオフ ~エピローグ~

作者: やみこ

【ご注意】

一応『こころ』を読んだことがなくても雰囲気で読めるとは思いますが,原作のあらすじだけでも一読をお勧めします。あと,けっこう捏造してるので,純文学を汚すな!みたいな人は読まないでください。

【登場人物・設定】

本作での語り手「私」は,原作で「静」「お嬢さん」「妻」などの描写がなされている,「先生」の妻にあたる人物です。また,何度も登場する「あの方」はもちろん,「先生」です。原作(の1章と2章)の語り手である「私」は,本作には登場しません。

設定としては,「先生」が殉死したあとの「妻」のひとりごと…といった感じです。中身は読んでからのお楽しみで。

 あの方が()った。いつか母様が還らぬ人となった日,優しく抱きしめてくれたあの方が。もうこの世で頼れるのは貴方だけですと,そういって涙を零した私に,おまえは不幸な女だと(おっしゃ)ったあの方が。

 あの方が,逝ってしまった。

 私はあの方の言う通り,不幸な女なのかもしれない。あの日私が理由を尋ねても,あの方は静かに笑っただけで答えを教えてはくださらなかった。あの方は,いずれ自分が殉死(じゅんし)するであろうことを,既に知っていたのだろうか。そうして,ひとり残される私のことを,不幸だと称したのだろうか。知っていたとするなら,それはあまりにも残酷すぎる。

 けっきょく私の想いなど,あの方には何ひとつとして届いてはいなかったのだ。長いこと,良い妻であろうと色々なことに耐えてきたけれど,今となっては,その効果たる効果があったのかどうかさえ怪しかった。


 真面目で勤勉でありながら,どこか子供っぽく,頑固で不器用なあの方。愛を伝えるということが苦手だっただけで,私を全く愛してくださらなかったわけではないと思う。或いは,あの方の心中に渦巻く暗い思案が,真っ直ぐな感情をさらけ出すことを邪魔していたのかもしれない。しかしどちらにせよ,私はそんなあの方に,一種の物足りなさのようなものを感じていた。

 それでもあの方のことだから,きっと何か深い事情がおありなのだろうと思って,私はただただ従順に生きてきた。それをこうして裏切られるような形で切られるのは,どうしても心が痛む。

 こんなことになるのなら,例い冗談でも,殉死でもしたらよかろうなどと揶揄(からか)うのではなかったと後悔した。まさかあの談笑を本気にしたわけではないだろうが,もしあそこで私があの方を引き留めていれば。冗談のわからない女として鬱陶(うっとう)しいほどに嘆いていれば,少しは違う結果が見えていただろうか。

 それとも,その程度のことでは信念を曲げはしないだろうか。考えてから,あぁ,多分後者なのだろうなと漠然(ばくぜん)と考えた。偏屈(へんくつ)なあの方の,滅多に見せない笑顔が浮かぶ。

 そうだ,あの方はそういう方だったのだ。殉死という死に方もなかなか似合っているではないか。だからこれでよかったのだ,と自分を無理に納得させた。これでよかったのだ。きっと,かならず。


 ごめんなさい,貴方。私は貴方の妻としては失格だったのかもしれません。

 自分では,それなりにあの方を幸せにしているつもりだった。けれどもこうして先立たれた今,その根拠のない空虚な自信は,両手で(すく)った砂のように流れ落ちていく。

 これが貴方の望んだ結末なら,私はそれを受け容れます。私が悲嘆の(ふち)に沈むことを,貴方は望んではいらっしゃらないだろうから。でも今日だけは,目一杯悲しませてください。私にとって貴方は,貴方にとってはそうではなかったかもしれないけれど,とても大切な存在だったのです。失っては正気を保って生きていけないほど,愛していたのです。

 あの方の死に際を見ることは,(つい)に叶わなかった。それはおそらく,あの方なりの私への配慮のつもりなのだろう。そのおかげで私が余計に憂いていることに,あの方はきっと気付いていない。


 思い返せば,あの方はいつもそうだった。自分の醜いところを絶対に隠し抜いて,自分ひとりで抱えてゆこうとする。あの方の妻として,あの方を愛していたひとりの女として,私はあの方に少しは頼って欲しかった。打ち明けて欲しかった。だけれどそれらは,こうして願望という形のままに霧散(むさん)していく。

 人など誰しも汚いところを持っている。それを一緒に背負っていく覚悟こそが,愛なのではないのか。

 今更(わめ)いたところでとうに手遅れなことはわかっている。それでも私は伝えたいのだ。あの方に。そして,誰かに。

 そんなものは所詮(しょせん)一個人の見解に過ぎないと,あの方なら笑うだろうか。そうに違いない。あの方に言わせれば,今頃地獄の底からこんな私を眺めて,何も心配することはないと微笑んでいるのだろう。思い残すことのない,晴れやかな表情で。

 あの方の価値観は私には到底理解できそうにもないけれど,あの方がそれでいいのだと,それが幸せなのだと信じているならば,そんなあの方を信じてあげるということが,私にできる唯一の行為なのかもしれない。少なくとも,そうであってほしいと思う。


 こうして私は,またひとりになった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

本当はもう少し長めの,回想編とかも入れた作品にしたかったんですが,なんかそれっぽい終わり方になってしまったので,とりあえず一話完結とします。気が向いたら手直しして長編にするかも?

追記:自分のブログに転載しました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ