5.望みと過去
「てめぇ! 姉ちゃんと何処行ってきやがった!」
家に帰るなり、ソラルがスカイに掴みかかった。
「そこの喫茶店だよ」
苦笑いしながらスカイは答える。
「それにしてはやけに遅かったじゃねえか! てめぇ、姉ちゃんに何かしたんじゃねえだろうな!」
スカイは苦笑した。ソラルの姉に対する愛情は本物だ。
「ソラル、なにやってるの!」
セレネの説得で、ソラルは手を放した。今にも襲いかかってきそうな様子の彼はまるで番犬だ。
「そういえば、さっき叔父さんが来たぞ」
ソラルがやる気なさげにリビングを指さす。
「ホントに!?」
セレネの顔が一気に明るくなった。そのまま、セレネは風のような勢いで奥へと駆けて行く。
だから知らせたくなかったんだ、とソラルは呟いた。その表情は拗ねた子供そのままである。
スカイがリビングに入ると、長机にはセレネの母と、見かけぬ顔の人物がいた。優雅にカップを傾けている。
この男がセレネの叔父か、とスカイは目を細めた。
「あ、君が噂の神様?」
扉の音に気付いた彼は振り返った。髪は明らかに染めた茶色で、瞳は凛々しい雰囲気が漂っている。鼻
筋も通っていて、こういう人が“いけめん”と言うのだと、スカイは知った。テレビで知った言葉だ。彼の面持ちと漂う雰囲気に、スカイは完全な敗北を悟る。
「叔父さん、今日も何か話を聞かせてください!」
セレネが叔父の前に立ち、叔父の話をせがむ。
この叔父は国中を旅していて、たまにこの家に帰って来ては土産話を聞かせるのだ。
スカイは、セレネの表情が楽しそうなのが何故か気に食わなかった。
「ごめん、セレネちゃん。その前に、あの子――神様に話をしないといけない」
叔父が立ち上がり、スカイの方へ歩いて行く。スカイは面食らった。まさか、この叔父と関係があると思っていなかったのだ。
「頼まれていた事なんだけどね。これ」
セレネの叔父はスカイの側に来ると、紙切れを差し出した。
ちょっと彼の目を見てから、スカイは奪い取るように紙切れを受け取る。
「住所が書いてある」
スカイの態度を全く気にすることなく叔父は言った。
それがまたスカイの気に障る。
「何の?」
乱暴に聞く。
「呪文と言う物を知っているかもしれない人の居場所だよ」
平然とセレネの叔父は言った。スカイは耳を疑った。
「何故それを?」
「実は、旅の途中でセレネちゃんに教えてもらってね。電話があって良かった」
スカイの目に気付き、セレネは少し恥ずかしげに微笑みかけた。
嬉しかったが、この男がセレネに頼られていると思うと、一層腹立たしくもなった。
「で、セレネちゃん、何から話そうか」
気付くと、もうセレネの叔父は足を組みながら椅子に座っていた。
セレネは髪を手で梳かし整えてから椅子にちょこんと座ると、叔父の話に耳を傾け始めた。
その様子にスカイは鼻を鳴らすと階段を乱暴に駆け上がり、部屋の椅子に腰かけた。
「へっ、なんだよ、あんな奴」
スカイは足を組んだが、直ぐに気付き足を解いた。危ない、危ない。
メモを開くと、綺麗な字で住所が一つ書いてあった。部屋の壁に貼ってある地図と照らし合わせる。
「南川市、南川市……大分南だな。そのままだけど」
確かに、その地名は存在していた。大きな川沿いにある巨大都市で、人口も、ここ、東山町の二倍はある場所だ。
スカイは考える。
あの男は、信用ならない。もしかしたら自分を罠に掛けようとしているのかもしれないし、どこかへ追いやってセレネをどうにかしようとしているのかもしれない。だとすれば、自分が南川へ向かうと言う事はアイツの思う壺だ。
「よし、こんなの破り捨てて……」
紙切れに手を掛けようとしたスカイが静止した。いや、待てよ。
確かにアイツは裏で何か企んでいる気はする。実際、自分の目にはアイツが悪魔に映った。きっと、セレネを誘惑する馬鹿野郎だろう。でも、もしこの情報が本当の物だったら? 自分の使命は何だ? セレネを気にすることか? ……違う。自分の使命は、一秒でも早く元の世界に戻ってこっちの状況を伝えることだ。これを捨てれば、自分は永久にこの世界で暮らさねばならなくなるかもしれない。
選択肢は二つだ。一つは紙を破り、他の可能性を探す。もう一つは紙に従い、南川へ向かう……。
スカイは紙きれを注視した。穴があくほどに、直視し続けた。スカイにとって、これはプライドをかけた戦いでもあった。あんな男に何故力を借りなければならないのか、そういう考えが頭を巡る。だが、その一方で、ハル達の姿も思い浮かんだ。ここで帰らなければ、師匠たちは俺の葬式を挙げるのか、と。
外からフレアが乱暴にドアを叩く頃、悩みに悩み抜いた末、やっとスカイは決断した。
腰を上げると、スカイは紙を畳み、ローブの内ポケットにしまい込んだ。破る事はしなかった。
机には、いつも通りの配置でフレデリア一家が座っていた。セレネの叔父が隅に座っていたが。彼は楽しそうにセレネと話をしている。年が離れているのは分かっているが、やっぱり気に食わない。
スカイが夕食の席に座ると、それに気付いた一家が静かになった。この家では、全員が揃うと大黒柱が食事の挨拶――そんな大層な物ではないが――を始める。
しかし、今日はセレネの父よりも早く、スカイが口を開いた。
「すみません。俺……明日、ここを出ます」
一家の目に、驚きの色が浮かんだ。
「え、お兄さん行ってしまいますの!?」
フレアがフォークをガチャンとおいて言った。
「神様、なんで明日なの!?」
セレネが必死になって言う。
「そうよ。もっとゆっくりしていけばいいのに」
セレネの母も賛同する。彼女の言葉は建て前ではなく、心からそう思っている事が、スカイには読みとれた。
セレネの父は何も言わずスカイを見ている。横に結んだ口は一週間たっても変わらない。ソラルだけが唯一、ガッツポーズを決めている。
セレネの叔父は一心に、彼の側の壁に掛ったカレンダーを眺めていた。瞬きをせず、取り憑かれたように何かを呟いている。
「君、明日のいつ頃ここを出るんだい?」
セレネの叔父がカレンダーから目を離し、首を捻ってスカイに尋ねた。
「早朝に」
「君は何か能力を持っていたかな?」
間髪いれずにセレネの叔父は尋ねる。スカイにはどこか興奮しているようにも見えた。
「バッチリ持ってやがるよ。俺がこの身で実証した」
スカイに代わってソラルが答えた。新たに増えた顔の絆創膏を何度も指さしている。
「そうか、そうか、結構、結構」
そう言ってセレネの叔父は、またカレンダーを見ながらぶつぶつし始めた。
「そういうことで、お願いします」
「あっ、ちょっと待った」
セレネの叔父がカレンダーを見たまま手を伸ばし、スカイを制止させた。
「今日、これを食べてから出て行ったらどうかな?」
スカイは迷わず、「いえ、少しでも早く出発したいので」、と断った。
何だ、こいつは。俺を追い出したいのか。そういう意味を悟らせるように舌打ちをする。セレネの父が顔をしかめたのが分かった。
「ふむ……まずいな……」
そう言うなり、セレネの叔父は立ちあがってどこかへ出かけて行ってしまった。
「……食べるか」
セレネの父が短く言うと、一家はナイフとフォークを動かし始める。スカイも魚のムニエルを一口食べた。
「なあ、あんたの家族ってどんなの何だ?」
ソラルが珍しくスカイに質問をした。最後だから、ということだろうか。
「俺の家族は……ここまで暖かく無かったな」
スカイがポツリと言う。そして、口をつぐむ。神が家族を持っていると言う事に、矛盾が生じると思ったからだ。だが、自分の事を神だと思っているのはセレネぐらいだ、大丈夫だろう、と思い直し、スカイは話をすることにした。口を開く。
「何て言うか……俺の両親は放任主義的な感じだったんだ。俺の親は、俺とは違ったんだ。二人は能力無しの一般人だったけど……俺は、生まれつき力を持ってた」
フレアのナイフが食器に当たる音と、セレネの父が新聞を捲る音だけがしている。
「俺の世界では、こことは逆で……一般人よりも、能力を持った人々、魔術師の方が力を持ってるんだ。一般人は敵だっていって、見つけたら即に殺す。それが当たり前の世界だった」
ソラルが唾を飲み込んだ。セレネは、真剣にスカイの紡ぐ言の葉を辿っている。
「俺はやがて、訓練を受けさせられた。魔術師になるための物だった。そして、六年間の修行の末、俺は魔術師として認められた。でも、その日に、俺は人生初めての、ある課題を貰ったんだ。その課題の内容は……今でも思い出すと鳥肌が立つよ」
コップの表面に付いた水滴が流れた。入っていた季節外れの氷がピシッと音を立てる。
「その課題は……俺の家族――両親を殺せ、と言う物だった」
セレネとソラルは、はっと息をのんだ。セレネの母はじっとスカイの話を聞いている。
「俺は抵抗した。そんなの嫌だ、何故親を殺さなきゃいけないんだって。返ってきたのは、一般人だからだ、っていう答えだった。……上の命令は絶対だったんだ。俺は逆らえず……」
スカイは何かから目をそむけるように、目を閉じた。
「魔法で人を殺すのは、とっても簡単だった。一般人には、魔法から身を守る手段が無いから。二人とも、炎の中で悶えながら死んでいった。殺し方も、指定されていたんだ。俺に未練が残らないよう、家ごと燃やさせたんだ。……苦しかった……苦しかったなあ……」
スカイは唇を噛む。
「だって……二人とも、俺の名前を呼んでるんだ。 あんなに俺を放りっぱなしだった二人が、俺の名前を呼びながら、悲鳴を上げてる……扉を叩くんだよ……開けてくれ、開けてくれ、って……。扉は完全に魔法で封じてあったから。俺は二人の悲鳴に訳が分からなくなった。頭が割れそうで、ぐちゃぐちゃになって……気付いたら、止めろ、止めろって叫んでた……叫んで……叫んで……」
ポツ。
「気付いたら、俺の目の前には、何も無かった。俺は、自分を責めた。自分を呪った。体から力が抜けて、気力を失った。俺は、死んだ方がましだと思って、自殺しようと思ったよ。……でも、そういうとき、絶対じいちゃんが現れるんだ。『お前は生きろ』、絶対にそう言うんだよ。じいちゃんのあの目を見たら、いつの間にか俺はまた何を思うことなく道を歩いてるんだ」
ポツ。
「そんなある日……俺は戦争に駆り出された。唯一制圧出来ていなかった国との戦争だった。俺は最前線に立たされて、戦った。戦ってるうちに、敵は一般人だけだと思い込んだ俺は、一番前を突っ走って、敵をなぎ倒して行った。
……不思議な物でさ。そうしてると、何だか楽しくなってきちゃってさ。戦いながら、きっと俺、笑ってた。笑いながら、人間を吹き飛ばしてた。木端微塵にして、楽しんでたんだ」
ポツ。
「調子に乗った俺は、前が見えなくなっていた。敵の本陣が見えていた時、張り巡らされていた罠に気が付かなかった。あっという間に、俺は魔術師数十人に囲まれた。俺は尚も交戦したけど……多勢に無勢、勝ち目は無かった。魔力を使い果たした俺は絶望した。もう駄目だ、終りだって。でも、半分喜びもしてた。やっと人生を終わりに出来るって」
ポツ。
「でも、違った。俺は、大馬鹿者だった。……そこに、あろうことか、じいちゃんが助けに来ちまったんだ。俺は驚いたよ。その時、じいちゃんはベッドで寝たきりになってるはずなんだ。俺はすかさず逃げてくれ、って言ったんだ。そしたらじいちゃんは、『お前は生きろ』って言って、たった一人で数十人の魔術師を相手取りやがった。いくら元魔法長でも、じいちゃんのあの状態じゃそんなこと、無理だって分かってたはずなのに……」
ポツ。
「その後も、俺は馬鹿だった。足を引きずって逃げれば良かった物を、放心状態でそこに居座っていたんだ。俺はじいちゃんの戦っている様子を見ながら、希望を抱いていた。もしかしたら勝てるんじゃないかって。でも、その前に、俺は胸に強い衝撃を受けた。魔法の流れ弾に当たったんだ。本当なら、俺はここで死んでいる。ここで、話をすることもないし、ここに来ることも無かった。……でも、じいちゃんも俺と同じ馬鹿だった。……俺に、魂保護魔法を掛けてたんだよ。それは……術者が被術者の命を肩代わりする魔法だった。俺の代わりに、じいちゃんは命を捨てたんだ」
ポツ。
「全く、馬鹿なじいちゃんだよなあ! こんな俺を生かしといて何の得があるんだよ! おまけに訳の分からない世界を見つけて俺を放りこんで!」
ポツ。
「……一体俺はどうすりゃいいんだよ……どうすりゃいいんだよ!!」
肩に、優しく手が置かれた。包み込むように。スカイは真っ赤になった目を向けた。セレネだった。
セレネは何も言わず、ただスカイに微笑みかける。スカイは何かを悟ったかのように、黒いローブの裾で目の周りをゴシゴシと拭った。
「失望しただろ? 人殺しの俺に」
セレネは首を振った。
「そんなこと無い。……神様の苦しみ、分かった」
スカイは頬を無理に上げるように笑った。
「そう……ありがとう」
ソレアは立ち上がると、皿を持って台所へ消えて行った。彼がスカイに見せた表情に、嫌悪だとか、憐みだとか、そういう物は窺えなかった。
セレネの母は目をハンカチで押さえながら、外へ出て行ってしまった。
「みんな、心が綺麗な人ばっかりだ」
スカイとセレネ以外、誰も居なくなったリビングにスカイは呟いた。
この人達に出会えてよかった。スカイは何だかそう思えた。
「ねえ、神様」
「ん?」
セレネがいきなり頭を下げた。スカイは驚き彼女を見る。
「明日、私も連れて行って……いえ、連れて行って下さい!」
「…………ええっ!?」
スカイは驚きのあまり声を上げた。
――爆発音が聞こえたのは、その直後である。