40.崩壊
どれくらい逃げ回っただろうか。鬱蒼と茂る草木は複雑で、もうどこから来たのか分からなくなってしまっている。後ろを見ればもう刀の女……すなわちミィは追って来ていないようにも見えるが、感知魔法が使えない以上油断はできない。だが、これ以上逃げようにももうセレネの体力は限界に近かった。
(これ以上走らせるわけにはいかない……)
「右に逸れよう! 多分首都はそっち側だ!」
セレネが息を弾ませながら答える。
「でも向こうには敵がいるよ!?」
「だけど味方がいるのも向こうだ!」
二人は大きく右にそれ走った。息を切らせながら、木の根につまずきそうになりながら走った。
やがて森を抜けると、高台に出た。
我が家に帰って来たような安心感の中戦場を見下ろした二人は……息を呑んだ。
「……何があった?」
首都のあった場所からは黒煙が上がり、壁は崩れ、黒焦げた町に。赤い血はこの距離から見えるほど広がり、死体の山は地獄を思わせ、空の戦闘機は黒の魔法に貫かれ虚しく炎を上げながら墜落する。
――敗北は目に見えていた。
「……怖いよ……スカイ……」
セレネが身を寄せてくる。頭を撫でてやるが、彼女の恐怖を拭い去ってやれる自信が今……ない。
地面を擦る音がした。それは少し近くまで来て、止まる。
「…………そこにいるのは…………スカイ……なのか?」
振り返る。……アイドだった。全身すすだらけ、額は切り傷でパックリと割れ、変わり果てた姿でこちらを見ている。そして、腕には誰かを抱えている。
「…………イルキが……」
アイドは親を失ったかのような絶望の表情で、呟くように言った。
念の為診てみると、イルキはもう虫の息で今にも逝ってしまいそうだった。衰弱しきった顔面は蒼白で、目の周りは赤黒く変色している。
「魔法を食らってこれだけ生き延びられてるのは奇跡ですよ……?」
「スカイ、イルキを助けてくれ」
スカイは首を振った。
「すみません……。悪魔の力はどうにも……」
アイドは目頭を押さえた。
「くそっ……くそっ……皆死んだ……イルキだけは、イルキだけは……」
いつもの、あの脳天気なアイドは目の前に居なかった。彼はただ瀕死のイルキに懺悔し、自分の愚行を責めた。……戦争は、人格までをも変えてしまう。
「当然の報いだよ~、魔術師さーん」
まるで鼻歌を歌っているかのように軽やかに、男が歩いてきた。
「いつのまに……」
「僕はずっと側にいたけどねー。で、どうー? 調子はー?」
憤りに顔が引きつる。
「殺す」
口元を半分上げて、悪戯っこを見るみたいな目で男は肩をすくめる。
「おっかないなー。まっ、君たちはボクを殺せない。もうすぐ終わりだか
ら……生き残ってる奴も、みんな死ぬんだ。……ボスの一声で、最終舞曲が始まる」
「最終……舞曲?」
そう言うと、男はまるでプレゼントを貰った子どものような、満面の笑みを浮かべる。
「そう、最終舞曲……! ああ、待ち焦がれたよ……! 魔法陣が、世界を変えるんだ……!」
「お前達は魔法陣で一体何を?」
「もうすぐ始まる。きっと分かるさ」
男が言い終わると、まるでタイミングを計ったかのように大地が激しく揺れ始めた。その揺れは大きく、そして大きくなっていく。
「何が……!?」
セレネの手を掴もうとするが……その手は空を掻いた。どうしたのかと振り返る。
「セレネ!」
セレネはなんと走り出していた。首都のあった場所へ、一直線に、迷うことなく走っていく。
「待ってくれ!」
追いかけようとするが、目の前に男が立ちふさがる。
「行かせないよー。あの子はここで走り出すんだからさ~。これはシナリオ通りのことだから、邪魔はさせなぁーい」
「は、シナリオ? お前らの決めた台本なんて知るか! セレネのところへ行かせろ!」
男は挑発を擦るかのようにわざとらしくため息を吐く。
「あの子は最終舞曲の為の捧げ物なんだー。“月”というキーがないと、ボク達の計画は遂行されないからね~」
眉間にしわが寄る。
「イブリースは……セレネを殺すことが目的なんじゃないのか?」
そう、今の男の言い方だと、まるでセレネを何かの生贄にするみたいだ。
「ただ殺すだけじゃないよ? あの子は生かしたまま殺すんだ」
また、男に襲われるセレネの姿が頭に浮かんだ。耐えきれず魔法を浴びせる。しかし青の閃光は瞬間移動でかわされた。
「やめなよー。物騒なのは嫌いだしー」
「人を大勢殺してるのは誰だ?」
「それは君たちだって同じじゃない?」
また魔法を放つが、やはりかわされた。
「そうやって、魔術師は力だけでなんでも解決できると思っていやがる……。俺の妹も、お前らの傲慢に殺されたんだ」
彼の声には明らかな殺意が込められていた。だが、耳を貸すつもりは無かった。
「セレネを返せ。俺はセレネを幸せにしたい」
男は鼻で笑った。
「幸せにしたいー? 馬鹿なこと言うね~。あの子は幸せになんかなれない。ただのバケモノ」
キッと男を睨みつける。
「セレネは化け物なんかじゃない」
「事実そうだろう? 過去にこの世界の魔術師を全滅させ、罪の無い民に対し残虐な殺戮行為を続けた! バケモノ以外にふさわしい言葉があるか?」
一瞬言葉に詰まる。男の口角が上がる。
「ボク達はそのバケモノに、世界を変える手伝いをさせてあげるんだ! これ以上の幸せなんて無いだろ!」
「どこが幸せだっていうんだ!? セレネはそんなこと望んでない!」
「あの子はバケモノの偽りの姿だよ? 彼女の中身は、破壊衝動を抑えきれなくてウズウズしてる……! それを解き放って、世界を変えるんだ!」
狂ってる。
「世界を変えるって、お前達は何のために世界を変えるんだ!?」
「もちろん、平和のため、ボク達の為さ」
当然だろ? と男は笑う。
「お前達は“月”が解き放たれたらどうなるのか分かってるのか!?」
「十分承知の上さ……ほら、天が歪み始めた」
スカイは空を見上げた。
天が何かにかき混ぜられているかのように歪み、ぐるぐると渦を巻いている。その中心から首都のあった場所へ、まるで柱のような血の光が降り注いだ。続いて降り注いだ血のような赤が、四方位に遠く小さく見える。
「それぞれの町に魔法陣を支える柱を建てた……次に来るのは魔法式……」
呆然とスカイは立ち尽くす。
地面がひび割れ、隆起を始める。体が持ち上がり、体勢が崩れかける。親友を護るアイドを助けに行こうとするが、波打つ地面にしがみつくのに必死で動けない。
そんなスカイをよそに、魔法式は書き込まれ始めた。赤の光を刻みながら猛スピードで古代文字が浮かび上がり、魔法陣は完全な物となっていく。
「まあ、せいぜい頑張りな~。死んでくれるとありがたいけどー」
飛行魔法を使った男は、何かスカイの後ろの方を気に掛けながら消えた。
「大丈夫か、スカイ!」
後方から声がした。男が今気にしていたのは彼女かと理解したが、まるで本当に「シナリオ」が存在しているようだとも一瞬思った。やって来たのはラーシャだった。
彼女は歩いてくる。ラーシャが横方向に腕を振ると、一帯の地面の暴走がピタリと止まった。
(なんだろう、この安心感……)
ラーシャが目の前にいるというだけで、心が落ち着き、力が溢れて来る気がする。
「心配しましたよ、師匠! あんなところに倒れてたから!」
「ええ、私もびっくりしたわ」
相槌を打つような調子でそう言いつつ、彼女は辺りを見回した。
「……もしかして、もうセレネが?」
――そうだった。
心臓が早鐘を打ち始める。なんとか平常心を保ちながら頷いた。
「それなら早く敵を止めないと」
少し考え込んだ後、彼女は足早に進もうとし始めた。ふと問題を思い出したスカイは彼女の手を掴み引き留める。
「ま、待ってください! 実はイルキさんが重傷なんです!」
ラーシャが振りむく。
「敵の魔法が当たってしまって、治療が――」
自分の手が、痛みと共に振り払われた。
「……何を言っているの? 今、そんなことは重要じゃないわ。放っておきなさい」
ラーシャとは思えぬ厳しい口調だった。いつも戦場では、第一に仲間のことを考えていた彼女が、今その仲間を見捨てる発言をした。
「でも――……」
「早く行きましょう」
腕を強引に引っ張られる。スカイはただ当惑し、引きずられるようにして進む。
(本当に師匠……なのか?)
そう思いアイドに目配せをしたが、彼はパニックに陥っていて、見るに耐えない表情をしていた。
(…………何故こうなってるんだろう)
心に、穴があいてしまったみたいだった。




