4.パフェと喫茶店
日曜日。二人が喫茶店、と呼ばれる店の中に入ると、その独特な香りが漂って来た。コーヒー豆の匂いだと、セレネは言う。店内は、木目をわざと出したログハウス的な作りで、スカイの故郷を思い出させた。
その落ち着いた雰囲気に相反し、店内はかなり混んでいる。十個ほどの丸い机には、どれも人がぎゅうぎゅう詰めの状態だ。飲み物を盆に載せた二人程の労働人がその間を狭苦しそうに通り抜けている。
「うわー。すっごい人」
スカイが異世界に来て、一週間が過ぎた。学校という物を体験したり、バイクという鉄の馬に乗ってみたりと様々な体験をしたスカイは、科学という物に馴染めてきた気がしていたところだった。
「いつもはこんなに混まないんだけどなぁ。どうしたんだろ」
セレネの口調も、ですます調を失くしてくれというスカイの要望によって変わっていた。最初は苦労していたセレネも、かなり自然に話してくれるようになったとスカイは思う。
「今日は割引の日だからだろ。そう言ったのはセレネじゃないか」
今日二人がここに来たのは他でもなく、全品半額という文字に釣られたセレネが行こう行こうとスカイにせがんだからである。セレネは意外にも大食いで、特にスイーツに目が無い。スカイは最初断ったが、目を潤ませるセレネを見て、いやいやながらも来る羽目になったのだ。
「あ、あそこ空いたよ!」
セレネがスカイの手をぐいぐいと引っ張っていき、席に座らせた。丸い椅子が、一本のスタンドに支えられている。固い椅子だったが、スカイは元の世界に帰ったようで、あまり苦にはならなかった。
「ご注文は?」
労働人がペンを片手に尋ねる。
「私デラックスパフェで!」
メニューの一番上、果物やら棒やらクリームやらで訳が分からなくなっている超巨大な食べ物を指さしながらセレネが注文する。
「高いな、おい」
スカイは五千円という値段に目を丸くした。この一週間で無駄遣いを何度も目撃していたスカイは、今セレネに代わって彼女の小遣いを管理している。
財布を開くと、小銭が音を立てた。セレネが何も考えず、札でジュースを買ったせいで溜まった物だ。札入れを確認すると、中には千円札が二枚入っていた。
「おい、おい、足らねえぞ……」
スカイの頬を汗が伝う。……食い逃げはごめんだ。
「神様は?」
「俺はいらな……」
「コーヒー一つで!」
セレネがスカイの声を遮るように注文した。
「コーヒーですね? かしこまりました」
労働人は頭を下げると人の間を掻きわけていった。
スカイはセレネを睨みつけるが、彼女はその視線に気がつかない。
スカイは覚悟を決めた。ここで皿洗いでもしよう。ここは、働いて返すしかない。そう思いながら、スカイはお手拭で手を拭いた。
「……しっかし科学って言うのは便利だよなあ」
窓の外を見ていたセレネがスカイを見た。
「そうかな? 私達これが普通だからねー」
「だって、さっきも押さずに開く扉があったじゃないか。あれも電気か?」
「うん。そうだよ。大体の物は皆電気で動いてるから。ほら、あれ」
セレネが窓の外を指さした。太い棒を等間隔に挟みながら、何本かの黒い線が横に伸びている。
「あの電線が国中に張り巡らされてて、そのお陰で私達はこうやって暮らせてるんだ」
そう言いながらも、セレネの目は憂鬱だ。自分が魔法を良く思わない時と似ているのだろうか、とスカ
イは思った。スカイは手元に視線を落とした。
「ちょっと、そこの二人」
突然、声がかけられた。二人は飛び上がる。
「相席、いいかな」
がたいの良い、作業服を着た男が二人の側に立っていたのを見て、二人はほうと息を吐いた。警察に見つかれば、ここで電撃魔法をお見舞いしなければならなくなる。
どうぞ、とスカイが席をさした。男はスカイの隣に座る。
捲くられた袖から、鍛え上げられた筋肉が見えた。かなりトレーニングを重ねている事が窺える。
スカイは、この作業着を着た四角い顔の男が異様なオーラを発している事に気付いた。特に殺気は無いが、唯者では無いと、スカイは体を強張らせた。
「君たち、付き合ってるのかい?」
男は注文を終えるなり言った。びくんと、独りでに上がった二人の足が机を揺らす。
「違います! 違います!」
「いや、俺達はなんていうか……」
男はその様子を見て、声を立てて笑う。俺は何を慌ててるんだ、とスカイは自分に言い聞かせた。
「いやー、すまない。この年になると、君たちみたいな若者をからかいたくなるんだ。まだ三十だがな」
はっはっはっ、とまた男は笑う。
スカイとセレネは顔を合わせ、苦笑した。
しばらくすると、労働人がやってきた。
「ご注文のデラックスパフェとコーヒーです」
男とスカイが、机に置かれたパフェの巨大さにぎょっとした。
「こりゃあ……俺等の顔以上あるぞ」
男が唸る。それをよそに、セレネは立ち上がってスプーンでパフェをすくいはじめた。
「いやあ、若いって良いなあ」
三十はこの世界では年寄りなのか? とスカイは首を捻る。
「そうだ、自己紹介しないとな。席が一緒になった縁だ。俺の名前はツトム。今はこの格好だが、一応公
務員だ」
「公務員?」
「ああ。警察官をやってる」
ビクッとセレネの肩が上がった。パフェをすくう手を止め、椅子に座りこむ。顔が強張り、体を小さく縮めている。
男はセレネの様子に気がついていないようだ。
スカイはこの男に騙されたような気がして、眉間にしわを寄せた。
「知ってるか? 最近、ここらで妙な能力を使う連中が居るって」
男が身を乗り出しスカイに尋ねる。
「いえ、初めて聞きました」
スカイは答えた。出来る限り、自然になるよう努める。
「そうか。今、そいつらの調査をしてるんだがな。何しろ町が広いもんで、中々見つからん」
男は耳を触りながら言う。
セレネがスプーンを静かに置いた。
「そういえば……君、ここの町に住んでる子じゃないな?」
男が見透かすようにスカイを見つめる。スカイの心臓がドクッと音を立てる。
「……はい、隣町から遊びに来てて」
男はスカイの瞳を見つめ続ける。スカイも、にこやかな表情を心がけながら見つめ返す。
「本当か?」
スカイはコクッと頷く。
「つまり……」
ゴクリ、と唾を飲み込む。何か、見抜かれたか……?
男はゆっくりと口を開くと、言った。
「やっぱり君たちはカップルか!」
スカイの肩の力が一気に抜けた。ガハハ、と男は笑う。
「だから違いますってー」
男とスカイは笑い合う。
「冗談だ、まあ、君がここ出身じゃない事は分かったがな。ここは俺の故郷だから、大体の人の顔は覚え
てるんだ」
男が注文していた物を受け取りながら言った。意外にも、乙女チックなショートケーキをチョイスしている。男はそれを、手づかみで一口に飲み込んでしまった。セレネはその様子に、かなり呆れた表情になった。もったいなーい、と口が動く。
セレネにとって、デザートは財産だ。自分のこだわりがあるのだろう。
しばらく話していると、男が話題を変えた。
「君、そういえば守りたい物はあるかい?」
「守りたい物?」
スカイが聞き返す。
「守りたい物、ってあまり気にしないかもしれないな。特に、今の若者はそういう物を考えないし。身近な物にも疑問を持ったりしないもんなあ」
セレネはまたパフェを口に運び始めた。始まった話題がつまらないと感じたのか、この人は大丈夫だと考えたのかはスカイには分からなかったが、どちらにしても、今セレネがリラックスしているという事はスカイの心を軽くさせた。
「まあ、俺も、考え始めたのは五年程前だがな」
男は作業帽をかぶり直した。
「……ツトムさんの守りたい物って、何なんですか?」
スカイは言った。男は、ん? と声を上げる。
「いや、参考までに」
「俺か。……俺は、この国を守りたい」
「国、ですか」
スカイは復唱した。
「ああ。俺の爺さんの受け売りでもあるがな。公務員と言う立場もあるが、このピリピリした世界に、もう一度平和を与えてやりたいんだ」
そう言う男は、夢見る少年のようだ。
「その為にも、俺は非国民どもを成敗しなきゃならない。奴らをとっ捕まえないと、争いは収まらない。昨日も何人か主犯格を捕まえたが、まだまだだ。頑張らないと」
男――ツトムは立ち上がった。
「今日は無駄話に付き合ってくれてありがとう。俺はまた捜査を続けるよ」
ツトムは腕にはめる形の時計を見た。
「あっと、もう時間だ。君たち、何かあったら俺に電話してくれ。で、これは話に付き合ってくれたお礼だ。受け取ってくれ。じゃあな!」
名刺と千円札一枚を置いて、ツトムはカウンターへと走って行った。
変わった人だったな、と思いながら、スカイはコーヒーに口をつけた。
「うわ、冷めてる」
「当たり前だよ。大分長い間ここにいたんだし」
カップを置き、スカイは周りを見回した。いつの間にか外はオレンジ色に染まり、店内も空いてきていた。
「帰るか。ツトムさんに感謝しないとな」
千円札をぴらぴらさせながら、スカイはセレネに言った。
「そうだね。あー、おいしかった」
「お前なー。自分のせいで働く羽目になってたかもしれないんだぞ?」
「う~ん……。ま、でもいいじゃん。おいしかったし」
分かっていなさそうなので、スカイはそれ以上の追及を避けた。
「よーし、神様、家まで競争!」
「お前、あの量を食べた後で走るのか!?」
そうスカイが言った時には、もうセレネは走りだしていた。