36.開戦の鐘
「“月”を渡せ」
フードを深く被った女がスカイの前に立った。セレネを離すまいと、力を込める。
「邪魔をするなら殺す。誰であろうと、計画は邪魔させない。……あなたがスカイであったとしても」
……え? 何故名前を?
そういえば、この声、聞き覚えがある。少し見える顔も、どこかで見たことがあるような……。
「どうする? スカイ?」
スカイは周りの様子を伺った。
テントの下、敵は10人ほど。その全員が、人質として魔術師を抱えている。捉えられているほとんどが司令官だ。人質の喉には敵の指が食い込んでいて、時折そこから黒い靄が見える。いつでも魔法で殺せる、そういうアピールか。
前に立つ女はこちらの返事を待っている。今までの自分ならここで飛び出し、ハル達を助けようとしていただろう。だが……無理だ。今動いても、この数の人質全員を救う事は出来ない。しかも、セレネを奪われるわけにはいかない。つまり……救出は出来ないし、リスクも冒せない。
そこで、何故かふと思った。師匠は何処へ行った?
「さあ、どうする? 大人しく月を渡す? それとも人質を全員殺され、そのうえ彼女も奪われる? ……人質を救うか殺すか、さっさと決めろ」
女の声は、かすかに震えていた。躊躇っているような、怯えているような。
(この人……本心でやってるんじゃないのか?)
だとすれば、やはりこの人は命令によって動いているのかもしれない。彼女の上にいる誰かが、彼女に指図をしているの……その可能性もある。いや、きっとそうだ。そうに違いない。……それなら、揺さぶりをかけてみればどうだ?
「なぜこんな真似を? あなたは誰に指図されてるんです?」
女は顔を見られたくないのか、フードをさらに深く被って答えた。
「私は指図なんてされてない。自分の意志で、自分の決意で、今こうして人質をとり月を引き受けようとしてる。この私が誰に指図されるっていうの? 私が誰かの下につく? あり得ない!」
「いえ、あなたには上司がいました。そして、命令にも従っていました。あなたが僕の知るあの人なら、自分の意志でこんなことはしないはずです」
フードの下で、彼女の顔がぐっと歪んだ。やっぱりそうなんだ。
「なぜ? あなたはなぜ僕達を裏切るようなことを?」
彼女は手のひらを向けてきた。
「うるさい! まだベラベラ喋るつもりなら殺す!」
「では教えてください、セレネをイブリースに渡したらどうなるんです!?」
肩に何かが触れた。手だ。だが、セレネの手ではない。ずっと大きく、しわがれている。
「スカイ君になにか用かネ、イブリース。私の仲間を開放してもらうヨ」
力強く、鋭いナイフのような殺気を放つ声。
スカイはその声に心から安堵した。やった、来てくれた。
「さあ、立ち去れ。さもないと」
声の主、ダンデがスタッフを出現させた。
「全員殺す」
女は舌を打ち、だが怯えるように一歩こちらから離れた。すぐに彼女は向けていた手を下ろし、味方に合図を送ると、赤ローブ達は黒い渦の中に消えた。
スカイはすぐさま振り返り、セレネを抱きしめた。今セレネが無事であることを確かめたかった。
ダンデ魔術局長は、二人に向かって微笑む。
「二人とも怪我はないかネ?」
スカイはセレネからゆっくりと体を離した。
「はい、お陰で助かりました」
そう言いながら、次はハルの下へ行く。ハルはいつも通り明るく話してくれたが、表情から恐怖は消えなかった。
「さあ、お前たちは安全なところへ行くんだ。今は疲れてるだろうからネ」
ダンデが手を振ると、人質だった重役たちは一瞬の内に消えた。
「どこへ転移魔法を?」
「すぐ側だヨ。歩くのも精神的に厳しいかと思ってネ」
確かにハルは戦争経験も少ないからそうかもしれない。でも、重役たちは場数を多く踏んできた人達ばかりだ。彼らのプライドを傷つけなかっただろうか、と少し心配になった。
「でも、驚きました。まさかダンデさんもこっちの世界に来てるなんて」
ダンデは苦々しげに笑った。
「私も迂闊だったヨ。もっと魔法式を改良しておけば暴走も無かったのに。あの一般人の襲撃を直ぐに収められていたら、魔術師をこちらに送ってしまうのも防げたかもしれない」
「一般人相手にてこずったんですか?」
「そうなんだ。何せ、相手が魔法を使って来たものでネ」
「一般人が魔法を……?」
なるほど。ラーシャがその状況を見て『魔術師同士が争っていて、絶賛戦闘中!』だと思っていたように、仲間のはずの魔術師が突然攻めてきたように思っても不思議ではない。
「そして、そうこうしている内に魔法陣が暴走、我々は皆飲み込まれてしまった。恥ずかしい話だヨ」
「でも、ダンデさんは帰還呪文を知ってるんじゃ?」
ダンデはゆっくり首を振った。嫌な予感がした。
「いや、効かないんだ。効果を発揮しないんだヨ」
「……え? どういうことですか?」
「だから、呪文を詠唱しても元の世界に帰れないんだヨ。何度試しても……ネ」
スカイは当惑した。
まさか、頼みの綱だった帰還呪文が使えないなんて。それなら、自分達は一生をここで暮らすのか? ここで暮らし、ここで死ぬ……? いや、無理だ。心理的な問題じゃない。いつ自分たちが危険視されるか分からないし、このまま自分たちがこの世界に残ったらここにとんでもない悪影響を及ぼす危険性もある。その証拠がこの戦争だ。自分たちの過ちは、簡単に正せるものではない。しかも、さらなる憎悪を引き起こす可能性もおおいにある。……死人はもう十分だ。
「ふむ……どうやら壁に亀裂が入りつつあるようだネ。何故止めないんだ? 中には敵がうじゃうじゃいるんだヨ?」
「上級司令官を二人向かわせていますんで、それは大丈夫です。きっと間にあって、アイドさん達に壁を開くなと伝えてくれると思います」
ダンデは困ったような顔になった。
「駄目だネ。感知魔法を使ってみたかい? 敵は地面に立ってるとは限らない。空にも……もちろん地中にも潜伏している。このまま時間が経てば、君は二人の犠牲を出すことになるんだヨ?」
「ど……どういうことですか?」
「もう敵は至る所に潜み、命を刈り取ろうとしているということだヨ。……今回は私が彼らを止めに行く。それでいいネ?」
ダンデはスカイの返事を聞く前に消えた。
追いかけようと魔法を使う。……だが、発動しない。転移魔法も妨害されていたのだ。
(……さすが長、俺たちには出来ない事をやってのける)
後ろからバラバラとたくさんの足音が聞こえてきた。二人は魔力を溜めながら振り返ったが、そこにいたのはキルエナとGSTの隊員達だった。
「遅れてすまない。……ここはお前達だけか? 他には誰もいなかったが。何かあったのか?」
「誰も?」
「ああ。あるのは壊れたテントと机だけ。どれも焼け焦げていた」
何かがおかしい。ラーシャはどこかに身を潜めているのかもしれないが、伝達係や重役達が消えるのは考えられない。実際彼らは戦っていたのだし、もし万が一殺されていても、その亡骸は残るはずだ。そうでなければ転移魔法で逃げたと言うことも考えられるが、妨害魔法がずっと張られていた事を考えると、自分同様彼らも瞬間移動できなかったはずだ。
「一体どこへ?」
そのとき、ガラガラと、何かが崩れる音がした。ずっしりと重く、何かが地面に落ちていく。
「壁が壊れた……!」
セレネが抱きついてくる。
「……止められなかったか」
無常にも壁は呆気なく崩れ、内側から赤の点が湧きでてくるのが見えた。爆発、閃光、悲鳴、憎悪。まるでそれは、開戦の鐘のように響き渡った。




