30.勲章と憧憬
GST本部の司令室では、壁一面の画面がめまぐるしく変化し、報告が絶えず飛び交っている。
「第一から第五部隊全滅! 第六から第八部隊ほぼ壊滅!」
「第五砲台損傷! 第八砲台始動させます!」
「第二から第九空母沈没! 駆逐艦損壊、数およそ五十!」
地図に示された緑色の丸が、どんどん赤に変わっていく。司令官席に座るキルエナは、急速に数を減らす自軍に唇を噛んだ。
「幹部はどうした!」
「現在交戦中です!」
キルエナの拳が、司令官席の手すりを打った。
「非国民ごときに、GSTがここまで手こずるとは!」
敵の集団は黄色で表されている。その黄色は、今や中央の首都と北を除く全てを覆い尽くしていた。
彼女は髪をくしゃくしゃにし、顔を歪ませた。
(これじゃあ、ツトム隊長に顔向けできない……! 私は何のために……!)
キルエナは雫を零れさせまいと、天を仰いだ。
*
キルエナがツトムに出会ったのは、彼女が警察庁に新人として入って来た時だった。
「キルエナ・シルフォード、この度、警察庁に配属されました! よろしくお願いします!」
誰もが驚いた。20代前半の若者が、突然警察の核を担うなど、前代未聞である。
「キルエナ君のお父さんは、我々の上司だ。……ま、だからといって特別扱いはせんぞ、キルエナ君! ほら、皆も普通に接してやってくれ!」
紹を介してくれている彼の表情と声は、「丁重に扱え」と言っているようにしか聞こえなかった。
思いの他長かった紹介が終わると、彼女は与えられた自分のデスクに座らされ、与えられた仕事を始めた。想像していたものとは違う唯のデスクワークだったが、キルエナはそれに希望を感じ精一杯取り組むことにした。
最初は彼女もやりがいを感じていたのだが、大きな事件に一つも遭遇できないまま一か月もすると彼女は地味なこの仕事に嫌気がさし、辞職をも検討し始めた。アルバイトを辞めるみたいな感覚だった。
また少しし、そこにやって来たのがツトムだった。
「君、色々できると聞いたぞ。どうだ、GSTに来ないか」
にこやかに笑う男の眼差しは、キルエナには情熱で満ち溢れているように見えた。
「GST、とは?」
「簡単にいえば、悪い奴をとっちめる仕事だ。こんなところより、派手な仕事が多いぞ~」
まるでこちらの気持ちを見透かしていたかのような言葉だった。
キルエナはそれに惹かれ、直ぐにGSTに配属させてもらった。きっと、これで未来が開ける。キルエナはそう思った。
だが、GSTの訓練は想像より遥かに厳しいものだった。
また一日の訓練を終え、心身とも疲れ切ったキルエナは、訓練舎の自販機で“ピーチ”と書かれたジュースを購入し、備え付けの長椅子に座っていた。
(潜水一時間、500kgの重りを担いでの持久走、10mの垂直な壁を10分以内で登る……これを隊長は簡単な訓練だと言っていたのか。人間が出来る業じゃない)
ジュースの蓋を開け、手で冷たさを感じる。
(でも、実際周りはある程度課題をこなしているから、他の人にとっては簡単なのかもしれない。……でも、私には無理だ。身体能力が優れてるだなんて、嘘に決まってるだろ? 学生時代は確かに運動はできた。でも、それは人並みに出来ていたというだけだ。私には、GSTの隊員に追いつける能力なんて無い)
ジュース缶の水滴が手を伝っていく。ぼんやりと水が地面に落ちるのを見る。なんだか、さらに不安になってきた。
(私は、ここでやっていけるのか……?)
「おい、キルエナ!」
いつの間にか下がっていた顔を上げると、少し遠くからツトムが走ってくるところだった。
「どうしたんだ、こんなところで? 夕飯食わないのか? 食堂開いてるぞ?」
「あ……はい」
キルエナのか細い返事に、ツトムが眉根を寄せる。
なかなか立ち上がらないキルエナを見て、ツトムはその隣に座った。
「どうだ、訓練は。しんどいか?」
「いえ、そんなことはないです」
声に芯を持たせてそう言う。
「毎日、学ぶ事がたくさんで、たの……しいです」
キルエナがそう言った後、ツトムはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……あのな。実をいうと、あの課題をこなせる奴が出てくるなんて俺達幹部は何も期待してないんだ。知ってる通り俺は今隊長をやってるが、俺も実際、あの訓練は制覇する事はできなかったんだぞ?」
意外な言葉に、えっと顔を上げる。
「おかしいだろ? トップである隊長でも出来ない訓練を、まだ経験不足な新人にやらせてるんだ」
ハッハッハとツトムは気持ちよく笑う。
「もう一回言うが、俺は誰もお前らがあの課題を達成できるとは思ってないよ。ま、気楽に行けばいいさ」
「はあ。そうですかね」
キルエナは、早くもぬるくなってきていたジュースを喉に流し込む。
「そうだな、君には目標とかが無さそうだから、俺が君に目標を与えようか」
そう言ってツトムは勝手に考え始める。直ぐにツトムは手を叩いた。
「そうだ、じゃあ、俺の次の隊長を務めるってのはどうだ?」
「……え?」
拍子抜けし、思わず間抜けな声が出る。彼は微笑みながら続けた。
「だから、俺がもしGSTから外れたり、万一のことがあったりしたら、俺の代わりとしてGSTを引っ張るんだ。やりがいのある仕事だぞ?」
「……そんなこと、私には無理です」
「何故そう言える?」
キルエナはうつむく。
「……私には、なにも――」
「そういうことは、全力でやってから言うもんだ」
ツトムの言葉が、キルエナの弱々しい声を遮った。
「この一年、訓練をこなし続けてみろ。それで駄目だったらGSTを辞める、それでいいんじゃないか? とにかく一年やってみろ。俺には、お前が才能の塊に見えるから、きっとやり遂げられる」
「才能の塊……?」
キルエナは、なんだかおかしくてフフッと笑う。ツトムも笑った。
「じゃあ、俺はこれで。ちょっとやることがあってな」
ツトムはキルエナに背を向け、建物の影に消えて行った。
キルエナはしばらくツトムの言葉を頭でリフレインさせていたが、ふと思い立ち、ツトムの消えて行った方向へ歩いて行った。不慣れな場所で、しかももう暗かったから、何度も壁にぶつかってしまった。その調子で少し歩くと、何かを叩くような音が聞こえてきた。訓練舎の中庭からだ。
そうっ、と気付かれぬよう、静かに影から様子をうかがってみる。
そこには、一人で拳を大樹に打ち込むツトムの姿があった。上半身裸の彼からは汗が吹き出し、拳は目を凝らして見ると傷だらけである。
(……隊長も努力してるんだ)
キルエナは、次の日から訓練に本格的に取り組んだ。彼女は徐々に、徐々に能力を開花させていった。同期が誰も彼女を越えられなくなると、訓練監督は彼女に新しいメニューを組んでくれた。その努力もあり、彼女は入隊二年足らずにして例の課題を全て制覇した。
月日が経ち、彼女はGSTの位で言うと二番目、つまり隊長の次に位置する、監督長となった。軍服の勲章を誇らしげに見せると、ツトムは「やったな」とキルエナを褒めてくれた。
キルエナは、それからもその位置を守り続けた。
ツトムに与えられた“課題”を、いつでも遂行できるように。
*
(……でも、隊長が居なくなるなんて考えた事も無かった。ずっと私は隊長の下で働くんだと思ってたのに……)
「……司令官? 大丈夫ですか、司令官!」
ハッと我に帰ると、目の前に隊員の姿があった。
「す、すまん。一体どうした?」
目を慌てて軍服の袖で隠し、若干下を向きながら尋ねる。
隊員は重い調子で言った。
「防衛大臣がお呼びです」
キルエナは一瞬その赤くなっていた目を見開いたが、直ぐに答えた。
「ああ、すぐ行く」




