29.解放と残り時間
「こりゃ酷い……食いちぎられてやがる」
「でもこいつ一般人だろ?」
「いや、でもさ……」
真昼の森の中、主に雑用を当てられる中級魔術師達が何かを取り囲んでざわざわと話しこんでいる。ある物が、結界内で発見されたのだ。スカイの意見で、魔術師達はキルエナを結界内に入れる許可を出した。彼女はいきなり呼び出され最初不機嫌そうに見えたが、場の雰囲気と皆の表情から何かあることを悟ったのか、大人しくこちらの言う事を聞いてくれた。
スカイはキルエナを連れ、人だかりを掻き分けて行く。
「……覚悟はいいですか?」
「……」
キルエナの視界を遮っていた男達がその場から退き、視界が開く。赤く染まった物が目に入った。最初彼女は訝しげにそれを凝視していたが、それが何かを理解した途端、彼女は顔をひきつらせ、そして何かを堪えるように唇を強く噛んだ。彼女は変わり果てた、一人の男の姿を見たのだ。
――それは紛れもなく、あのツトムであった。顔面は抉れ、肩の肉はちぎれしまっている。足は飛び、腕は関節がもう一つ増えたようになっていた。裂けた体の傷からは血が溢れ出ていたようで、地面には赤黒い物が固形化していた。死んでから一日は経っている。
「隊長……? そんな、まさか……! あの人がこんなっ……!」
キルエナの目から、雫が流れる。
「……すみません。僕たちの結界の中に居たのに……」
キルエナが充血した目でスカイを睨む。
「それはつまり、お前達の中に犯人がいるということじゃないのか!」
キルエナが口調を強める。
「それは……調べてみないと、なんとも言えません。キルエナさん」
スカイはキルエナから目を逸らしつつ答えた。
嘆くキルエナを宥めていると、担当の魔術師がやって来た。
「ドルイド殿、これが彼の持ち物です」
魔術師は、一冊の手帳と、クマのぬいぐるみを差し出した。
ぬいぐるみは真新しく、目の代わりの黒いボタンがピカピカと光っている。薄い茶色の毛も整っていて、汚れているような箇所は一切見られない。
スカイはそれらを受け取った。
「手帳は分かるけど……ぬいぐるみは……?」
呟くと、キルエナがぬいぐるみを引っ手繰った。
「これは……もしかして」
キルエナがぬいぐるみの背を見ると、首の所に小さいカードが付いていた。
☆ハッピーバースデー、キルエナ!☆
歪んだ、お世辞にも綺麗とは言えない字だ。恐らく、ツトムの自筆だろうとスカイは思った。
「……本当に買ってたんですね。本当、馬鹿な人」
キルエナは蔑むように言い、スカイに背を向けた。そして来た道をつかつかと、いつもの様子で帰って
いく。彼女なりに、自然を装っているのだろう。しかし、スカイはその肩が震えているのを見逃さなかった。悲しみの涙とは、また違う涙だった。
キルエナは遺体をヘリに載せ帰って行った。
「いいのかニャ、簡単に帰して。攻め込まれるかもしれないニャよ」
いつの間にか側にいたラーシャがそう言う。こうやって、ラーシャは気配を消すことも得意としているのだ。ちなみに、今日は幼女形態である。
「……多分、しばらくは大丈夫だと思います。ツトムさんが、キルエナさんに遺書を書いていたようなの
で」
スカイが手もとの手帳に目を落とす。内容の未だ分からない、謎の手帳だ。ちょっと自分の師匠をためすつもりで、スカイは聞いてみる。
「これは何なのでしょうか、師匠。一昨日、ツトムさんが私に見せてくれた物なんですけど」
ラーシャは肩をすくめた。……だが、目がほんの少し笑っている。
「さあ……魔物除けの魔法が掛ってる以外はなにも分からないニャ」
魔物除けの魔法とは大抵結界に用いられる魔法で、人間以外のモノが対象に触れられないようにする効果がある。もし触れれば、神の炎で焼かれ死んでしまうのだ。
「祖父が書いたということは分かっているんですけど……」
「そうかニャ。……それよりスカイ。昨日はどこに行ってたのニャ? 感知魔法が全く効かなかったのニャけど」
ラーシャはどことなく疑いの眼差しを向けて来ている。
「いえ、ただ迷ってしまっただけで……」
「結界の範囲からは出られニャいはずだから、迷う事もないと思うけどニャー」
スカイに冷や汗が浮かぶ。
「もしかして……二人であんなことや、こんなことを……」
「違いますッ!」
ラーシャがきょとんとする。
「なんニャ、ばれないように感知魔法を妨害してたのかと思ったニャー。アハハー、失敬失敬」
スカイはほっと肩を撫でおろす。その肩に、ラーシャが背伸びをして手を乗せた。へらへらと笑いながら彼女の顔を見たスカイは凍りついた。打って変わった、彼女の真剣な表情。戦争時のような、殺意の籠った眼差しがスカイを突き刺す。
「……昨日、何か強大な魔力を感じた。スカイ、何に会ったの」
息の混じった冷淡な声に、背筋が凍る。
「……セレネが普通の人間じゃない事に気付いたみたい……だけど?」
ぴくっ、と体が反応する。彼女が冷笑にも似た笑みを浮かべた。
「……やっぱり。変だと思ったわ。私としては、彼女は牢に閉じ込めておくべきだと思う。万一の事があってはいけない」
スカイは口をぎゅっと結ぶ。
「皆には話さないわ。でも、絶対に彼女をイブリースに近付けてはいけない。この世界の為にも鎖に繋ぐのが賢明」
「しかし……」
「それが一番の得策よ。考えなさい、スカイ」
ラーシャは静かに手を退けた。
「あー、おなか減っちゃったニャー! ちょっとそこのー! 拠点に肉まんあったよねー!」
ラーシャは表情を一転させ、近くの魔術師に返事を聞くとスキップで拠点へと帰って行った。その後ろ
姿を、半ば放心状態で見つめる。
(……師匠はもう気付いていたのか……。俺はまだ未熟だ……)
彼は元通りに清掃された地面を眺めた。
(……あのドラゴンと、師匠の言ってる事は一致している。『イブリースにセレネを近付けるな』。一体なぜそんなことを……?)
頭の中には、最悪の可能性が広がっている。
(まさか……イブリースはセレネを殺そうとやって来たのか……? だとすれば、わざわざ彼らが異世界へやって来ているのにも説明がつく……。俺達を倒そうとしているというのは表向きで、本当の目的はセレネの殺害……。奴らは何か意味が合って、セレネを狙っているのか……。十分に有り得る話だろう。きっと奴らは、なんらかの手段で“月”の存在を察知していたんだ)
スカイは踵を返し、拠点に向かって走り始めた。
(結界があるから大丈夫だとは思うが……)
セレネの笑顔が頭をよぎる。
ハッと思考の過ちに気付いた。
(おかしいじゃないか! 俺はなんでセレネが怪物だということを前提に考えてるんだ……! セレネが怪物な訳ないだろ!)
彼は走っている間、一心に否定を続けた。
ツトムを殺した人物はセレネではないかとも思った。昨日の彼女の態度からも、その線は濃かった。だが、それも彼は否定し続けた。
ログハウスが見えて来る。妙な胸騒ぎがした。階段を上る時間も惜しく感じられる。魔法禁止の令が出ていたが、それを破り飛行魔法を使った。窓を魔法で開錠し、部屋に飛びこむようにして入る。慌ててベッドを見ると、そこには可愛らしく寝息を立てる、セレネの姿があった。
スカイは安心し、大きく息を吐いた。
「……なんか、眠くなってきたな。何でだろ。魔力が足りなくなったときに似てるような……」
スカイはそのままベッドに倒れ込み、セレネの横で眠りに着いた。
真っ赤な空間に、スカイは一人立っていた。真紅の天井は高く、空のように丸みを帯びて広がっている。横の広がりには際限がない。地面には、動物や、人の頭蓋骨が等間隔に置かれている。それが、視界の果てまで続いていた。
足元を見ると、直ぐ側にセレネの足があった。いつの間にか隣にいたようだ。さっきまではそこに居なかったはずだが。
視線を足から上にずらしていく。膝、ワンピースのスカート、腕、肩……顔に目を向けた時、スカイは自分の目を疑った。彼女の頭が、獣の頭蓋骨にすり替わっていたのだ。牛か、それとも鹿か。ぽっかりと開いた骨の空洞からは、唯闇しか見えない。
「セレネ……なのか?」
セレネであるはずの存在は、何も答えない。あるいは、答えられないのか。
「ここはどこなんだ? なんでそんな格好を?」
問いかけるが、やはり返答はない。赤の空間を静寂が満たす。
「その子はセレネじゃない。“月”だ」
怪物の名に、心臓が大きく打った。一人で頭を振る。
さっきのは男の声だった。優しげで包み込むような声だが、その内に力強さが秘められている。振り返ると、そこには長身の男が立っていた。
ん、とスカイは内心首を捻る。
「あなた……どこかで?」
「この記憶では初めましてだね。俺はウォーダン。恐らく、君は俺の孫だと思うんだが」
あ、とスカイは手を叩いた。元老のアルバムで見たことのある容姿だ。スカイはたまたま自分の容姿に似ていた若かりし頃の元老を見て、それを記憶していたのである。
「本当は我が孫に早く会いたかったんだが、何かの手違いで少女が俺に掴まってしまってね。俺も暇だったから、色々なことを親切心で教えてあげたんだ。記憶の存在でも今の世界はリアルタイムで観察できるから、彼女の境遇は知っていたしね」
ウォーダンはちょっと肩をすくめた。
「え、じゃあセレネの言ってた若い男の人って――」
ウォーダンは頷く。
「俺で間違いないと思う」
そんな偶然があるのか、とスカイは目を瞬く。
「いやー、しかし何でこんな危ないところに入って来たんだい? ここは、俺が“月”を封印した場所にかなり近い。もう“月”の守備範囲と考えてもいいと思うけど」
「ここは、現実の世界じゃないんですか?」
ウォーダンは、敬語は止めろと手をひらひら振ってから言う。
「それは難しい質問だね。魔法ってのは神が齎した物で、ここはその魔法で作った空間だ。しかし、神はこの世界の者達じゃない。そう考えれば、魔法も現実には存在しないのかもしれないし、そうなってくると、神に創成された人間の存在だって分からなくなる。それについては考えない方が良い」
ぽかんとするスカイに、ウォーダンは苦笑する。
「まあ、そうなるだろうね。今のは気にしないでくれ、思考停止の元だ。……で、“月”だが。君は、あの少女の正体が怪物だとは知ってるだろう?」
スカイは頷けなかった。
「知らないのかい? ドラゴンには聞かされなかったのか。あの龍、もう年寄りだからボケて来てるんじゃないかな。あの子は、俺がこの手で封印した怪物だ。魔力を中途半端に注いだから、本体から分裂して、また出て来てしまっているけど」
(……じいちゃんまでこう言ってる。……受け入れるしか……ないのか?)
ウォーダンはスカイの目を見据えた。
「……何か迷っているのかい?」
スカイの目が揺らぐ。彼はそれを見て、優しく微笑んだ。
「迷いは、誰にでもある。自分の決断で、誰かが傷つく。自分が後悔する。それが怖い。……分かるよ。俺も、月……彼女を封印したくなんてなかった。彼女は俺のことを、心から慕ってくれた子だったから。でも、残された猶予はなかった。俺は彼女が八つ裂きにされるよりはと考え、彼女を空に封印したんだ。……結果、俺はすごく後悔したよ。彼女を孤独にしてしまった。彼女が、怪物だと知っていても……ね」
ウォーダンは、フッと息を吐いた。
「じゃあ、俺はどうすれば……?」
頭が一杯になり、半分パニックになりかけているスカイが興奮気味に尋ねる。
一呼吸おいて、ウォーダンが言う。
「君は、彼女のことをどう思ってるんだい?」
意表を突かれた。
「……え?」
セレネのことを、どう思っているか。
「それは……」
「君の思いが、その迷いを断ち切ることになると俺は思うけどね」
キエエエエエエッ!!
空間の奥の奥から、不気味な叫びが聞こえてきた。一緒に、何かを叩くような、ドン、ドン、という鈍い音も聞こえて来る。
「……老体の俺が、記憶の存在である俺に与えることのできた魔力は多くなかった。今まではかろうじて抑えられている状態だったが、それは奴が静かだったからだ。だが、今は違う。月は今興奮状態だ。恐らく、誰かが月に干渉している。俺に気付かれないような技術を持った奴だ」
そう言うウォーダンの姿はさっきまではっきりしていたのに、急にぼんやりと透け始め、体を通して向こう側が見えるまでになってしまった。ウォーダンはスカイがスカイの様子を見て、気にするなと声を掛ける。
「老体の俺は、恐らく死んだんだと思うけど……」
スカイの顔が僅かに曇る。
「老体の俺は、君を助ける為に死んだ、ということを忘れるなよ。それを実行する前に俺は切り離されたから、成功したかは分からないけど」
首を傾げていると、また耳をつんざくような音が聞こえて来る。気付けば、地面に並んでいた頭蓋骨も、セレネも消えていた。
「俺の体も限界みたいだな。さあ、俺の孫! 最後に良く聞けよ!」
スカイは頷く。地面が大きく、縦に揺れ始めた。
「君は命を考えすぎている! 人は死ぬ! それは当然の事だ!」
大きな地鳴りが響く。
「思い切ったことを言うようだが、いざという時は君も命を捨てろ! 君が犠牲になってもいいと言う人
の為ならばね!」
スカイは目を見開く。
「君の命は、俺が保証する! だから安心しろ! 迷いを振り払え!」
獣が唸るような音が聞こえて来る。空間の奥から、黒い波が迫って来ていた。速い。物凄いスピードで迫
ってくる。高い、高いその波から、人の呻き声が聞こえた。人の亡骸が数体、浮かんでは沈んでいく。その波は、赤かった空間を徐々に黒へと染めていっている。
ウォーダンが舌を打った。
「まずい……! 君だけは!」
波はすでに、あと数メートルの地点まで迫って来ている。ウォーダンは地面に渾身の力で拳をぶつけた。スカイの足元に穴が開く。それとほぼ同時に襲って来た引っ張るような感覚と共に、その穴から暗い空間へと落ちて行った。
「じいちゃんっ!」
落下しながらも上を見上げると、一瞬見えた赤い穴は、すぐに黒い波で塞がれてしまった。
「じいちゃん……ありがとう」
そう呟いたスカイは、もう夢から覚めていた。




