28.悲愴の月
スカイは自分の耳を疑った。
(セレネが怪物……? そんな馬鹿な、そんな訳あるはずがない!)
セレネは泣き喚き、龍はその眼差しを向けて来る。
鼓動が速まり、息が乱れる。
「その者は、昔この世に蹂躙し、民と文化を破壊しようとしたのだ」
龍はそう言い、目を閉じた。彼は、昔を思い返しているようだった。
*
謎の声が響き渡ったのは、魔法文化が全盛期を迎えた頃だった。その不気味な叫びは大地を震わせ、空気を歪ませた。風が風向を滅茶苦茶に変えながら吹き付けてくる。
湧きだす泉の近くで、白いドラゴンが懸念を露わにしていた。その側に立つ男が、慌てて辺りを見回す。
「この魔力は!?」
鎧を纏い、背に大剣を収めた髭面の男が危機感をあらわにした。彼は、龍とは長年の付き合いで、戦闘時の相棒でもある。
「ふむ、魔力はどんどん大きくなっているようだ。……今までこのような事は無かった」
白い龍は考え込むように、フゥ、と鼻から息を吐いた。
今まで巨大な魔力反応があったのは、もう何年も前、この世界に突然悪魔が出現したときだけだ。魔術師達がその討伐にあたったが、いとも簡単に事態は終息した。恐らく悪魔を召喚した術者が未熟だったのだろう、その悪魔は直ぐに消滅したのだ。お陰で被害は無かったが――今回は、明らかにそれとは違うように思われた。
「これは一体何なのでしょうか、白龍様」
男が、思案していた龍の顔を見上げ尋ねる。
「……分からん。何かの天災か……」
「天災ですか? ではこの魔力は?」
天災でないことは、龍には分かり切っていた。この、「人」にも似た魔力の塊が、天災であるはずがない。それでも、彼は現実から逃避し、思わずそう呟いてしまっていたのだ。
キヤエェエエエエエエエッ!!
不気味な叫びは一層けたたましさを増し、人々の不安を煽っていく。
「大変です!」
二人の元へ、黒ローブの魔術師が駆けこんできた。
「あの叫び声の主は、恐ろしい怪物でした!」
「何っ?」
男が眉間にしわを寄せる。
「怪物……か」
龍には思い当たる節があったが、士気に影響する事を恐れ、口にするのは止めた。
「我々は直ぐに応戦したのですが、思っていたよりも奴が強力で、我々の魔力では太刀打ちできません! 連続的に魔法を放たれ、我々は防戦一方です! ここは、どうか白龍様のお力を……!」
黒ローブは頭を下げる。
「何を馬鹿な事を! 白龍様はここを離れる事は出来ないのだぞ! 泉の水が無ければ、白龍様は生きながらえることは出来ない!」
「それは承知の上です! しかし――」
轟音が響き、地面が大きく揺らいだ。黒ローブが体勢を崩す。
空の色が、真っ赤な色に染まった。まるで赤いペンキに塗られたかのような、どろどろとした赤い色だ。鈍い光が大地を赤く照らす。
「これは一体……?」
「どうやら、その怪物は扉を開こうとしているようだ」
白龍が首をのばし、雲の全くない、真紅の空を見上げる。
「扉……?」
鎧の男が尋ねる。
「こことは別の世界への扉だ。怪物はそれを開き、異世界へ向かおうとしている」
「何故……?」
また不気味な声が響き渡り、その度に空気が振動する。
「恐らく、奴は感情を持っていない。唯、この世を滅ぼすために産み出された兵器。異世界への扉を開くためには、生贄が必要だ。……奴は、ここを滅ぼし、殺した人間を生贄として隣の世界へ向かうだろう。そして、そこでも民を滅ぼし、また隣の世界へ向かう……」
鎧の男が恐怖に目を見開いた。
「な、なんてことだ……」
黒ローブが身を震わせる。
「止むをえまい。ここは私が出向こう」
苦肉の策だった。
鎧の男が目を丸くする。
「な、何をおっしゃいますか! 白龍様、自らを滅ぼすおつもりですか!」
「龍とは、大地と一心同体の生き物だ。この大地が滅ぼされれば、私もいずれ死ぬ。ならば私の命、私に尽くした人類の為に使おうぞ」
龍は高らかに宣言した。自分を生かしてくれた自然と、自分を受けいれた人間への恩を返そうと思ったのだ。
白龍はその翼を広げ、全人類と共に、怪物と戦った。こちらの戦力は十分で、怪物をはるかに凌いでいた。
――だが、想定外だったのは、怪物のその特性だった。怪物は永久的に魔力を生産し続け、こちらばかりが消耗する。やがて魔術師達の魔力はほとんど尽きたが、怪物は疲れを知らず、延々と魔法を繰り出し続けて来る。神に頼らぬ怪物の魔法に、人類は耐性を持っていなかったことも、まずかった。
「白龍様! このままでは!」
消耗した白龍は、荒々しげに息を吐きつつも、軍営を結界で守護し続けている。悪あがきとは分かって
いても、龍はそれを続けていた。龍が息を荒げながらも、魔術師に告げる。
「こうなれば、奴の魔力を根幹から封じるしかあるまい……」
魔術師は体を強張らせた。
「そ、そんなことが出来るのですか!?」
白龍は、まるで最期を悟ったかのように目を閉じる。
「私の魔力だけでは足りん。……お前達の魔力も、犠牲にならなくてはならない」
魔術師の目が一瞬揺らいだ。しかし、その目は直ぐに白龍を見据えた。
「……分かりました」
魔術師達は、心を決めた。
*
(そんなことが……。だからこの世界には魔法がなかったのか。魔術師達が、自分たちの魔法を犠牲にしたから……)
白龍が喉を鳴らす。
「そうして我々は怪物の魔力を断つことができたはずだったのだが……。怪物の魔力は大き過ぎた。封じられたのは一時のみ。奴は少女の姿になって、この世に舞い戻って来てしまった」
白龍は静かになったセレネを見つめる。
「私が大地に引き留められ、この世に残ったお陰でその者はすぐに捕らえる事が出来たのだがな。その者と一緒にいた人物が、異世界からやって来た、魔術に長けた人物だった。どうやら、扉が僅かだが開いた状態になっていたようだと、私は察した。その者が、異世界から人を呼び寄せてしまったのだ」
セレネはうつむいたまま、じっと動かない。
「魔術師は、私に抵抗してきた。しかし、我々には魔力がほとんど残っていなかったため、易々と逃げられてしまった。その時、彼はその者を空に封印してしまったのだ」
「空に……? あっ、月が魔術師に魔力を齎してくれていたのは、扉が僅かに開いてしまっていたせいなのか……!」
白龍は頷いた。
「やはり、そちらにも“月”の影響はあったようだな。元々そちらの空にあった月と、こちらの怪物の“月”が、同調してしまっていたようだ」
「なるほど。だから月の出る夜は魔力が満ちるのか……。そういえば、“月が魔力を出す”と言われ始めたのは、そんなに昔の話じゃない」
スカイが納得する。
「元々、魔法は夜に強まるものだと言われていたから、『それは実は月のせいだった』という考えが浸透しやすかったんだ……だから、誰も不思議に思わなかった……」
「そしてまた、怪物はこの世に降り立ったのだ。……今回はどうやら、身の半分だけを使ったようだな。我々と、異世界の人間に勘付かれないようにするために……」
白龍が、泉の水をまた飲み始めた。水が龍の体に取り入れられる度、うろこの艶やかさが回復していく。
飲み終わると、白龍は口を開いた。
「私は見ての通り、泉の水を飲んでいなければ体さえも維持できぬようになってしまった。その怪物一匹を滅ぼす力さえ、残ってはいない。……私に仕えてくれている者たちも同じだ」
白龍の側近たちが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「……今回は見逃そう、お前達。覚醒の兆候も、今のところは見られない」
どこにいたのか、あのテントウムシがすっとスカイの横を通り、龍の前で止まった。
「あっ」
スカイが思わず声を上げる。そして直ぐにこみ上げてきた吐き気をこらえた。
「その虫を知っているのか?……ふむ、我が友が君たちをここに案内したのか」
スカイは口を抑えながらも、内心首を傾げる。
「このテントウムシが、話しに出した鎧の男だ。彼も魔力の持ち主だったから、力を貸してもらったのだが、その反動でこんな姿になってしまった。……もう友も、泉の寿命が尽きる。我々は、こんなにも脆い。――そんな我々に、一つ忠告をさせてもらってもかまわないか?」
「……はい」
白龍はその返事を聞き、安心したように息を吐いた。
「今、お主らは禍々しい魔力と戦っていたな。……彼らの目的が、私にはとても邪悪な物に思える。彼らと関わると、この先お前の命……いや、世界を滅ぼす事になるかもしれん」
「世界を……?」
スカイは生唾を飲み込む。
「……絶対に、“月”を戦場に連れていくな。私の力で見えた未来から言える事は、それだけだ」
「……!? それはどういう……!?」
「私にはそれしか言えん。……お主らが、無事に元の世界へ帰還できる事を祈る」
白龍が言葉を切ると、突然、黒ローブ全員が詠唱を始めた。
(転移魔法か……!?)
そう思った時にはもう目の前に閃光が走っており、二人は束縛を解かれた状態で、拠点の前に移動させられていた。
茜色の夕日が、二人を背後から照らしている。伸びる影が、少し揺らめいた。
「拠点に戻されたのか」
スカイは、出来あがっていたログハウスを見つめた。
……何故だろう。完成を心待ちにしていた気持ちがあったはずなのに、全然気持ちが高ぶらない。あるのは虚無感。それだけ。
スカイが足を進めようとすると、セレネがフッ、と糸が切れたように倒れた。
「セレネ!?」
慌てて彼女に駆け寄る。様子を見ると、どうやら、彼女は眠ってしまったようだった。彼女の体を、まじまじと観察してしまう。
知らず知らずのうちに、手を握り、その感触を確かめてしまっていた。
(温かい……温かいのに……セレネが怪物だなんて……)
白龍の話は筋が通っていた。それに、セレネが“月”だとすれば、自分達の魔力が尽きなかった事も頷ける。……だからこそ、スカイはそれを否定したかった。
「セレネ……」
拠点から、ざわめき声が聞こえる。スカイの名を呼びながら、こちらに向かって来ているようだった。ほぼ一日行方不明だったのだ。周りが心配するのも無理はない。彼はセレネを見据えた。
「俺……セレネのこと、絶対言わないからな」
スカイは決意を込め、眠るセレネにそう言った。




