2.捕縛の天使
ドアが勢いよく開く。
中から出てきたのは、天使のように美しい少女だった。少なくとも、スカイの目にはそう映った。
「意外に同い年ぐらい……?」
スカイを見たかと思うと、彼女は一つ呟く。スカイと彼女の間を、風が一つ吹き抜けた。
確かに、彼女はスカイと同い年ぐらいに見えた。背は、スカイより少し低いぐらいだろうか。身につけた純白のワンピースが良く似合っている。良い所のお嬢様を思い出させる風貌だ。顔立ちも良い。彼女の肩まで届いた髪は、色素を失ったかのように白く、風にゆられている。透き通った肌は少しの穢れも無い。彼女が目を瞬かせる度に、綺麗にカールしたまつ毛が少し揺れた。瞳は綺麗な若葉色だ。
彼女は、とても綺麗だった。そこらにいる女性とは住んでいる次元が違う、そんな明らかな違いを感じさせる。天使のたとえは間違い無く合致していた。
彼女は緑の瞳で、スカイをまじまじと観察し始めた。下から上を、注意深く見ていく。
「俺は怪しい者じゃなくて……」
「人の家の敷地内に入ってくるなんて、かなり怪しいと思うんですが?」
彼女の冷たさに内心苦笑する。
スカイは固まったまま、彼女の動きを見ていた。
一瞬、走って逃げようかという考えが浮かぶ。だが、スカイは頭の中で、その案を横線で消した。もしかしたら、色々と話が聞けるかもしれない。情報は大切だ。
「あなた、名前は?」
一通り観察が終わったのか、腰に手を当て彼女は聞いた。
名前を聞かれることを想定していなかったスカイは、虚を突かれた感じを味わう。
彼女は苦虫を噛み潰したような顔のスカイを訝しげに見つめた。
そして、何か、はっと思いついたような顔をした。
「もしかして……名前が無い?」
彼女が呟く。スカイにとって、助け船となる一言だ。
スカイは頷きかけたが……首を振った。不審に思われてはいけない。
と、彼女が驚きの一言を放つ。
「――まさか、神だなんて言わないよね?」
どこか馬鹿にしたような、呆れたような口調だったが、スカイの目は光っていた。
「そう! その通り! 俺、神なんだよ! つまりそれが名前!」
スカイの頭の中は、この場を何とかしようという思いで一杯だった。そのせいで力が入りすぎ、その勢いに彼女は「ひっ」と獣を見るかのような表情で一歩後退した。嘘は言っていないじゃないか、それに近い事は出来る、と思いながらスカイは言い終えた。
すると意外なことに、彼女の顔はパァッと輝いた。
「やっぱり! あの光はそうだったんですね! それと、あの不思議な円形も!不思議な文字も! 私、絶対そうだと思ったんですよ!」
彼女は彼にぐっと近づいた。
(ん……? 俺への当たり方が変わった気が……?)
先ほどまでのギャップに、しばし思考が停止する。
「お願いです、私達を助けてください!」
懇願するように見上げる彼女の前でも、スカイの頭はフリーズしたままだ。そのまま、スカイは中へ押し込まれてしまった。
「私はセレネと言います。セレネ・フレデリアです。で、こっちが妹のフレア」
セレネが妹を紹介するが、スカイは上の空だった。
壁に掛けられた、まるで景色をそのまま映したかのような紙。文字盤の上を規則正しく動く針。見たこともない道具や装飾は、彼の探究心をそそった。
「これぐらいしか出せませんが……。すいません、私が料理の出来る女だったら良かったんですけど……」
彼の目の前に、透明なコップが置かれた。水が控えめに入っている。試しに触ってると、ひやりとした感覚が手に伝わってきた。その表面には、全く凹凸が無い。彼は目を丸くした。謎の技術に驚かされながらコップを置く。
「さっきはその……すいませんでした。口調、凄い乱暴じゃなかったですか? あの、勝手に泥棒だと思っちゃって。今両親は外に出かけてて、私が妹を守らなきゃと張り切っちゃったんです……」
「いや、いいよ。妹思いじゃないか」
「本当に、乱暴な口調じゃなかったですか……? いつもはあんなのじゃないんですけど……」
気にしてない、と言うと、セレネは安心したように肩を撫でおろした。
どこかハルに似てるな、と思ったスカイは、ふと、足が暖かいことに気付き脇を見やった。四角い箱が目に入る。スカイはまたも目を丸くした。箱が熱気を放出しているのだ。箱の上部には、いくつか飛び出ている部分があり、それが赤色の光を出している。一酸化炭素中毒、電源、という見慣れない言葉も並んでいた。スカイは首をかしげる。
それに気付いたセレネが尋ねた。
「どうしたんですか?」
「いや、これは一体何かと思って……」
セレネは彼の指さす方を見る。
「ああ、それですか。ストーブです。ガスストーブ。さすがに冬は寒いので」
スカイは、すとーぶ、とゆっくり口に出してみた。そして少し考える。
「あれか、アダマンタイトを使っているんだな。そうか、そういうことか」
スカイは勝手に納得する。その前に座ったフレアが顔をしかめた。
「アダマンタイトって何ですの?」
「……え?」
予想外の反応に思わず声を上げる。何を言ってるんだ、この小さい子は。
「あれだよ、俺達がいつも使ってる青い石! 毎日目にするじゃないか!」
二人はきょとんとするばかりだ。
「ほら、俺達の魔力を固めた人工の石だよ。知ってるだろ?」
「私達が使ってる石といえば、鉄とか、銀ぐらいですけど……」
「じゃあ、これは何で動いてるんだ!?」
「電気です。ほら、コードが」
見ると、線がずっと奥まで続いている。
「科学って、すごいですよね」
セレネは、彼をどこかで気遣うように微笑みかける。といっても、苦笑いだが。
しばらく彼はアダマンタイトの事を説明していたが、どうも話が合わない。彼は机を叩き立ち上がる。
「もういい、魔術師を呼んでくれ! 説明させる!」
スカイが怒鳴る。
「魔術師って、おとぎ話の?」
セレネが言うと、フレアが笑った。
「お兄さん、そんな物を信じているのですかー?」
「おとぎ話?」
「この子が読んでる絵本に出てくるんです。ウォーダンっていう魔術師が悪魔を成敗するお話なんですけど」
彼は、その名に思い当たる節があった。ウォーダンとは、元老の本名である。
……偶然か。
「つまり……この世界に魔術師は……本当にいないのか?」
セレネは迷いなく頷いた。
……どういうことだろう
彼は考えた。じいちゃんの手記には、変わった能力が使える人がいるとも記されていた。それに、魔道兵器があるとも書かれていた。だから、俺達はこの異世界には魔法が使える人々がいて、彼らが国を治めていると思っていた……が、それは唯の思い違いだった、ということだろうか。この箱や、表面が滑らかな器を作る、変わった技術を持っている彼らが魔術師でないというのは考えにくい。だが、この純情な少女が嘘を言っているとは思えない。見かけで人を判断するなと言うが、この人は別格だ。それに嘘をつくとしても、その理由が見当たらないではないか。とすると、この世界には本当に魔術師がいないのだろうか……?
「あれだ、魔法陣! 魔法陣は知ってるだろ!?」
フレアの笑いが大きくなる。まるで、耳に残るような笑い声。
焦りで、彼の額に汗が浮かんできた。
認めたくない。この世界に魔術師がいないなんて。魔術師が支配していない世界なんて、あり得ない。一般人が支配する世界なんて、絶対に認めない。
「じゃあ、呪文は!?」
「なんですの? わたくしだって、そんなものが無いことは知っておりますわよ」
フレアの言葉に、少しむっとする。
セレネも、ゆっくりと首を振った。白い髪が流れるように揺れ動く。
「ごめんなさい、神様。私達には分かりません……」
セレネはそう言ってから、気付いたように付け足した。
「もしかして、何かでそれが必要だった……のですか?」
図星だった。
「いや、特には…………」
セレネを気遣うつもりでそう言った。
「そうですか」
ほっと息をつき、セレネは立ちあがる。
「今から妹が夕飯を作りますので、上で休んでいてください。出来あがったら呼びに行きますので」
セレネの言葉に甘えた彼は、階段を上がった部屋の、座り心地の良い椅子に腰かけていた。
彼は唸った。
この世界に魔術師がいない、ということは、この世界に魔法が無いことを意味する。どうやら、この世界では「魔法」ではなく「科学」と言う物が繁栄しているらしい。
この世界で呪文を探すつもりだったが、それはこの世界に魔法が繁栄していることを前提にしたものだった。だが、さっき、この世界には魔法が無いと言う事を知った。つまり――この世界で帰還呪文を知り得ることは不可能、と言う事だ。
では、長達がくるのを待つしか……いや、無理だ。自分が元の世界に帰らない限り、元の世界から長達は来ない。自分の報告が無ければ、異世界の状況は分からないのだ。異世界に何があるのか知り得ない以上、長もこちらに魔術師を派遣する命令は出せないだろう。
彼は頭を抱えた。
「大丈夫ですか?」
セレネだった。見ると、ドアが開いている。幼い頃から様々な訓練を積んでいた彼が気付けないほど、彼は深く考え込んでいた。
「ああ、いや、なんでもない」
組んでいた足を解き、椅子に座り直す。
セレネは部屋に入ってくると、彼の隣に座った。
柑橘系の爽やかな香りが漂ってくる。
「神様は、何故ここに?」
セレネがスカイに顔を向ける。返事を待っているのだ。
部屋の静かさが身に染みる。彼はちょっと間を開けてから言った。
「……ある物を探すために」
「ある物?」
また少し静かになる。下から、食材を切る音が聞こえてきた。
「世界を滅ぼしかねない、とても危険な物を」
「……危険な物、ですか」
気まずい沈黙が続く。
壁に掛けられた針が、少しの狂いも無く、同じリズムで音を立てている。その音には何か自分の中身を掻き乱すような、焦りを生み出す物があった。いつまで経っても、スピードは狂わない。
これが時を刻む物だと分かった頃、耐えきれなくなった彼は切りだした。
「そういえば、何で助けて欲しいなんて言ったんだ? ……見た所、すごく平和そうだけど」
静けさに、自分の声が大きく聞こえる。
彼女の表情が曇った。まるで、未来を失ったかのような顔色をしている。
彼女は重々しくいった。
「……実は私達、追われてるんです」
「……え?」
思わず聞き返した。セレネは口をつぐむ。彼女の目線が下を向いた。
「命を……狙われているんです。いつ見つかって、いつ殺されてしまうのか、全く見当がつかなくて……。私、家族を失いたくないんです。銃弾に撃ち抜かれて死ぬなんて……」
セレネの体が震え始める。顔が蒼い。
「どういうことだ? 何故セレネが狙われないといけないんだ?」
彼女の震えは止まらない。どうにかしようと、彼はセレネの肩に手を置いた。小刻みな震えが、恐怖が伝わってくる。
「……ありがとうございます」
絞り出すような声で、セレネは言った。
「実は、私達は国に狙われているんです……」
「国に?」
少しセレネは深呼吸をした。その呼吸も浅い。
「はい……十年ほど前、私達の国、カエデリアでは、幻想や心理、心霊現象の研究をする学者さんが増えて来ていました。その人達の考えは広く広まって……多くの支持者を集めました」
セレネはうつむく。
「ですが……彼らの中には組織を作る人も出始めたんです。健全な物もあったのですが、どうしたことか、その組織のほとんどは、とても残忍な人をリーダーとしていました。結果、洗脳された人達は各々に課された命令に従い、大規模なテロを起こしてしまいました。その結果、幻想や心理、つまり、非科学的な物を信じている人は……殺してしまえ、という考え方が強まったんです」
彼は首を捻った。
「……それとセレネが追われている事に何の関係があるんだ?」
「実は、私とフレデリア一家は代々不思議な力を持っているんです」
そう言うと、セレネは手を伸ばした。目を閉じる。
文字盤が規則正しく音を立てている。と、カタカタ、という音が耳に入り始めた。右から、左から、あらゆる方向から、それは聞こえてくる。見れば、周りの物が、細かく暴れているではないか。
スカイは大気の流れが変わった事を感じた。
大気がこうなる理由が一つしかないことを、スカイは知っていた。魔力だ。セレネは、魔法を使っている。
「こうすると、何故か物が浮かぶんです」
その手の先にあった、かなり重そうな書物が、ゆっくりと持ちあがり始めた。数十センチ浮いた所で、空中にピタリと静止する。
セレネが手を下ろすと、本はトサリと物悲しげな音を立てて落ちた。ページが下敷きになり、折れ曲がってしまった。音も止まった。
「こういうことです」
スカイは感心したような声を上げた。
「すごい……魔法だ」
褒めたつもりだったスカイの期待とは反して、セレネは表情を暗くした。
「これは……魔法みたいな、夢のような力じゃありません。禍々しい……呪いです。呪いなんです。私達はこんな力、望んでないのに……」
スカイは声を掛ける事ができなかった。スカイは自分の手をみつめた。なんだか、自分の立場が凄く、脆い物に感じられた。
沈んだセレネを見、尋ねる。
「……セレネの能力は分かった。だけど、何故それだけで国に狙われなけりゃいけないんだ? それは、国民の考え方がそういう流れになってるだけだろ?」
セレネは下を向きながら、頭を振った。
「違います。それを主導しているのは、国なんです」
そう言って、セレネは机に置いてあった灰色の紙を手にした。
「今日の新聞です」
セレネは紙をスカイに差し出す。
左端に1と書かれたその面には、大きく「非国民二名処刑」と記載されていた。記事から、「非国民」と呼ばれる人が数名新たに逮捕されたことが分かる。
そして、一番最後には、国からのメッセージとして、「非国民を見つけたら、直ぐに警察に通報を!」という、煽るような文章が太字で書かれていた。
「なるほど。国がこの国民の動きを後押ししているのか」
スカイは新聞を畳むと、机に放り投げた。先ほどの本に、新聞が圧し掛かる。
「たぶん、私達のような能力を持つ人達が政府に歯向かうのが怖いんだと思います。実際、私の父の知り合いも昨日国に捕まってしまって……」
セレネは口を固く結び、その先を続けなかった。
「晩ごはんが出来ましたー。早くしないと冷めてしまいますわよ」
ドア越しに、フレアの声が聞こえてくる。
(思ったより、この世界の状況は悪いみたいだ)
突き付けられたアウェー感に、気分は晴れない。
(魔法使いにとって、いい世界でないのは確実だな)
スカイは片手でドアを閉める。扉の軋む音が、耳についた。