18.決定的な一撃
すごい。
セレネは目の前の光景に、改めてそう思った。
「あの紙には、あの人達を消す効果があったんだ……!」
神が頷く。
「ま、実際は消してるんじゃなく、強制的に移動させてるんだけどな。どっかの海の上に」
海の上……。大海原に大きな水しぶきがいくつも上がるところを想像し、セレネは危うく吹き出しそうになった。
「この風も、あの紙で?」
神は首を振った。
「いや、これは俺自身の魔力で賄ってる魔法だ。向こうからあの境界線までの区域で、立っていられないぐらいの風を起こしてる。常時魔力を削られるから普段は使って無いんだけど、この世界では魔力が尽きないようになってるらしいから、使い放題だ。やっぱりドでかい魔法は気持ちいいな。俺の師匠はこういうのばっかり教えて来るから。……そういえば、俺が魔力を消費しやすい体質になっちまったのって師匠のせいだな。うん、多分そうだ」
神は答えると、一つ指を小さく振った。
風がさらに強くなったようで、向こうの木がさらに大きく揺れ始める。
その下で、何やらがたいの良い男の人が頑張って風に耐えていた。
途中から独り言に切り替わったスカイに、一つ聞いてみる。
「神様の師匠って、どんな人なの?」
「ド変態」
神がコンマ1秒で答えた。
「……え?」
寒くなったのか、神はいきなり腕をさすり始める。
「会ったら一目で分かる。こりゃ変態だ、っていう感じ」
神は苦々しげな過去を振り返ってしまったようだ。
「えっと、お師匠さんは強いの?」
「強い。俺より遥かに強い。というか、あの人の魔力は底なしだから。まあ、魔法のコントロールの面では欠けまくってるけど、そこそこ威力のある魔法を、前テレビでやってたマシンガン――多分そんな名前だった――みたいに撃ちまくるんだよ。あれは怖い。……あ、そうか、でかい魔法を自分が使えないから俺に教えまくったのか。道理で見本を見せたがらないわけだ」
神の話は、また途中で独り言に切り替わった。
それにしても、話している顔が、言っている事とは裏腹に凄く楽しそうだ。
「神様はいつ頃から弟子入りを?」
「ま、俺が魔法に目覚めたときからだな。そのときの師匠は大分グレてて、大分怖かったけど、まあ一緒に生活してたら自然にその人格は消えてったな。何故かはわからないけど」
その後もその師匠の話をしていると、急に神の顔色が変わった。
「あれ、危なくないか?」
神が向こうを指さす。
そこには、戦車に巻き込まれそうになる二つの人影があった。一つはさっきの男、もう一つは……前に見た青髪の女性だ。確か、キルエナといったか。
「助けないと」
神が迷いの無い声で言う。
「え!? なんで、助けなくていいじゃない! だって、あの二人は敵なんだよ?」
神の表情は変わらない。
「いや、今の俺たちの役目は時間稼ぎをすることであって、敵を殺すことじゃない。何とか、この境界線に入ってもらわないと困るんだ」
「でも、あの二人は私のお父さんを殺した奴の仲間で……」
「だからって、殺していい理由にはならないだろ!」
思いのほか強い言葉に、思わず涙腺が緩む。
「……ごめん」
神がうつむきながら小さく言った。
「俺も、実はこんなこと言えた立場じゃないんだ。俺も、魔法を使えない人に対して、酷い事をしてきた。……でも、あの青髪の人を見て、自分を客観的に見れた気がするんだ。……俺は変わらなきゃならない。人を殺す以外の道を見つけたいんだ。今からじゃ遅いかもしれない。俺が犯した罪は消えない。……でも、俺は変わりたいんだよ。……セレネ」
神は、セレネに向かって言葉を投げかけてくる。
セレネは気付いた。
自分は、あの警官たちと同じ事をしようとしていたのだ。醜い相手は、口を聞かせぬようにする。自分は、そんな彼らと同じ道を歩もうとしていたのだ。
「……助けてあげて」
「もちろん」
神の手が、流れるように振られる。一瞬、眩い光に視界が奪われた。
放たれていた光の矢が戦車を貫くと、光がそれを包み込む。すぐにそれは細かい粒子として分解され、大気に溶け込んだ。
キルエナが、辺りをきょろきょろと見回している。
「助けたのは私達ですよー! って叫んであげようか?」
「いや、いいよ」
実際働いたのは神様だけか、と言ってから気付く。
「それより、あの二人がまだ逃げきれてない。まだ山の中だ」
今のはどういう魔法なんですか、と口にしかけたセレネは耳を疑った。
「なんで!?」
「俺が知るかよ。何故か二人とも立ち止ってるんだ。他に反応は――」
神は少し目を閉じる。
「――無いな。感知魔法に引っ掛かるのはその二人と、GSTのお二人さんだけ……って、何か今魔法が消えたような」
神が境界を凝視する。セレネには何も見えていないが、もしかしたら神には薄い膜のような物が見えていたりするのだろうか。
「……間違いない。魔法が何かに掻き消された」
キルエナが、向こうの方で立ちあがった。かと思うと、姿が消え、次の瞬間にはその細い足が、神の腹
部を捉えていた。
「もらった!」
彼女が勝ち誇った声を上げる。
しかし、その足は、とっさに構えた神の腕に受け止められた。キルエナが間合いを取る。神が指を鳴らそうとした。しかし、キルエナはそれを手で制した。
「待て。今のは唯の挨拶だ。素手でお前を倒せないのは良く分かっている」
「……何の用だ? だったらとっとと帰ってくれ」
神が顎をしゃくる。
「学者はどこだ?」
キルエナの手が銃に伸びるのが見えた。
「ここにはいない」
セレネは、キルエナが銃をこっちに向けて来るのではないかと思った。しかし、キルエナはそれを聞くと、銃に伸ばした手を引いた。
「そうか、それはそれで良い。お前達に聞きたい事がいくつかある」
「聞きたい事……?」
キルエナは依然として冷たい目を向けてくる。
「お前達は、一体何が目的だ?」
簡潔な質問だ。でも、それだけに答えが難しいだろうとセレネは思った。
「目的なんて――……」
「君、別世界から来たっていう話じゃなかったっけ?」
この低い声には、聞き覚えがあった。まさかと思い、目を向けると、そのまさかであることが分かった。
「……ツトムさん」
そう、キルエナの後ろに立つ男は、以前喫茶店で出会った、あの男だったのだ。警官を名乗ってはいたが、まさかGSTのメンバーだったとは。
「隊長、一体どこで知り合いになったんですか? 名前まで教えて」
キルエナが首を捻り男に尋ねている。
「隊長……? ってことは、ツトムさんがGSTの隊長なの!?」
セレネの声に、男は「ん?」とこちらを向いた。
「ああ、実はな。隠しててすまん。外で身分を言ってしまうと、キルエナに説教を貰っちまうから」
キルエナが肩をすくめた。
「ツトムさん、なんで俺が他の世界から来た事を……?」
ツトムは髭を手のひらで撫でている。
「言っちまえば勘だ。まあ、明らかにオーラが違っていたっていうのはあるな。俺は、この少年はこの世界の人間じゃない、そう思って声を掛けたんだ。そのときはなんとなくそう思っていただけだったんだが、実際、能力者だったっていう報告を受けて驚いたな。……それに俺の親父は昔、能力者に会っててな。そのとき聞いていた容姿と君の姿が、すごく似てるみたいなんだ。特に、ローブを着ているところと、空色の瞳、っていうところが」
ツトムは頭を掻く。
「ま、要するにどっちも勘でしかなかったから、合ってたようでなによりだ」
神様は、異世界の事がバレるのは構わないようだった。
「で、ツトムさんは俺等を逮捕するんですか?」
ツトムが少し笑う。
「どうだろう。お二人さんが大人しく付いてくるって言うなら連れて行くが……普通に考えたら、逮捕なんて嫌だろ?」
セレネは目一杯頷いた。
「嫌です!」
これでツトムが大笑いする。ちょうど声が聞こえてきたトランシーバーを、後ろのキルエナに渡した。
「普通はそうだろうなぁ。だから俺は逮捕しないつもりだ。……というか、しても仕方ないだろう? 君らみたいな子供を牢に放りこんだって意味が無い。それに、君たちはアイドル活動中の女性を救ったそうじゃないか」
セレネは元気よく「はい!」と答えた。
(なんて良い人なんだろう……)
セレネは幸せ一杯の顔で神を見たが、その顔は何故か思いつめた表情になっていた。
「その恩も返したいと、俺は思ってる」
セレネは期待に満ち溢れた目でツトムを見ていた。だが、その後ツトムは「でもな、」と続け始める。
「俺達もタダでは帰れないんだよ。仕事の都合上、そういうことをするとあっという間に首が飛ぶんだ。
な、あの学者は今どこなんだ? 教えてくれ」
(えっ、この人やっぱり悪物……!?)
セレネの中で、ツトムのイメージがまた黒に反転した。
「それは無理です。俺達は、彼らを逃がす義務があるので」
神の顔が強張っているところを見る限り、まだ二人は山を降り切っていないのだろう。
話していたキルエナが、ツトムにトランシーバーを返した。そして何かを耳打ちする。「分かった」と言うと、ツトムはこちらを向いた。セレネと一瞬目が合い、逸らしたところが何かぎこちなかった。
「早く教えてくれ。さもないと、強硬手段に出ざるを得なくなる。今、応援がこっちに向かってるから、早くした方が良い。多くに見られると、俺とキルエナの立場もあるんでな」
応援が来れば、お前らは殺す。
そう、ツトムの目は告げていた。
「しかし、約束は約束なんで。俺が破る事はできません」
「平和な手段でこっちは行きたいんだ。教えてくれ」
神とツトムとの巧みな話術を用いての応酬に、睨みあいが続いた。
そのツトムの後ろで、キルエナが何の迷いも無く、腰のホルダーから銃を引っ張り出していた。
拳銃が向けられる。
(……え……何で)
その銃口は、明らかにこちら――セレネの方を向いていた。
「隊長、邪魔です。先にその子からやります」
待っていたかのように、ツトムが反射的に脇へと移動する。
それと、神が走りだしたのは、同時であった。
キリッ、と音がして、引き金が引かれた。
死んでも、もう父はいない。護ってくれる存在は、もういないのだ。
(もう終わり……なんだね……)
セレネは自分の中で、勝手に諦めを付けていた。
しかし、セレネが感じたのは痛みではなく、生暖かい感触であった。