17.山中の戦い
家に戻ったスカイとセレネは、二人を連れだした。
「僕たちは何処へ行けば……?」
男が心配そうに、こっちを見て来る。
「それは、俺の知る所じゃありません。とにかく、安全な所を見つけること。それしか言えないですね」
「来たよ!」
前にいたセレネが言った。友達が家に来たかのようなテンションとは裏腹に、表情には緊張の色が浮かんでいる。
スカイは「分かった」と返事をした。聞くと、確かにエンジンの音がする。車でここまで乗り込んできたのか。
少し早口で言う。
「俺達は、あなた達二人が逃げるまでの時間稼ぎをします。その間に、できるだけ遠くへ行ってください。一キロでも、一メートルでも遠くへ行ってもらわないと、俺等の努力が水の泡です」
スカイが指示を出した。
「…………すまんな、少年」
「いえ、何を言うんですか。これは俺自身の為だって言いましたよ」
男は少し押し黙って、スカイを見た。
「……君と会えて良かった。君みたいな能力者が、私を助けてくれるとは夢にも思わなかったよ。……ありがとう」
男は頭を下げた。言いつけを守るように、娘と一緒に敵の反対側へ逃げて行く。GSTが油断しているようで良かった。感知魔法を使ったところ、敵は一方からしか来ていなかった。もし山全体を取り囲まれていたら、戦わざるを得なかっただろう。
「しかし……一般人を忌み嫌っていた俺が一般人を助けてるって、おかしな話だよな」
独り言を呟くと、一呼吸おいて振りかえった。セレネがまだ前にいる。
「セレネ! ちょっと下がってて! 敵が撃ってくるかもしれない!」
セレネは素直に、こちらに走って来た。
セレネがスカイの側に来たのと同じくらいに、斜面を登ってくる人影が見えてきた。見事に武装されている。その後ろには戦車が進んできている。岩を砕き、川の水を割きながら進む姿は圧巻だ。戦車のさらに後ろには、何やら大きなアンテナが守られるようにして進んでいた。あれは一体何だろうか。
「で、どうするんですか?」
セレネが尋ねる。
「ま、とにかく、こうするんだよ」
スカイが息を大きく吸い込んだ。
「お~い! 俺達はここだぞ~!」
大声は当然、警官たちに聞こえた。誰かの命令が飛び、一団が突っ込んでくる。
セレネが大きく慌てるが、スカイには何か策があるようだった。
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「この先がターゲットの住む場所だな」
隊長が伸びをしながら言った。
後ろから、隊員のヒィヒィと音を上げる声が聞こえてくる。
「この程度で音を上げるか、お前達ッ! それでもGSTの隊員かッ!」
キルエナ鬼教官の怒号に、隊員の間に戦慄が走り抜ける。
「私はお前達をそんな風に訓練した覚えは無い! もっと馬鹿は馬鹿なりに頭を働かせろ!」
「おー怖い、怖い」
隊長がおどける。
「で、今回の指令を隊員に言わないんですか」
「ああ、そうだった」
隊長が頭を掻く。しっかりしてほしいものだ、とため息が抜けた。
隊長は、今回は非国民でも無い、唯の学者の射殺が目的だと言った。
「上は何を考えてるんです? 非国民以外の射殺にGSTが駆り出されるなんて今まで無かったはずですが?」
キルエナが言う。隊長は表情を変えない。
「ああ。実は、そいつが大規模装置を作ったやつでな。他の非国民に手を貸すと厄介だからということで命令が下ったんだ。……俺は切り捨てるみたいで嫌なんだがなぁ」
キルエナは具体的な作戦を隊員に告げた。
「A、B、C班は私と隊長に付いてこい。残りの三班はここ一帯を取り囲むようにして潜伏。特に、裏を固めろ。指示があるまで動くな。以上、散れッ!」
風のように三つの班が駆けだして行く。
「お前達、行くぞ」
威勢の良い返事だったので、帰ってからの筋トレ回数を少し減らしてやることにする。隊長を先頭にして、一隊は川沿いを上っていった。
「しかし、あの装置をどうやって上に持ってくんだ? こんな上流じゃ、岩だらけで破損しちまうんじゃねぇか?」
川を眺めながら歩く隊長が聞いた。
「いえ、隊長に手配してもらった戦車を、装置の前に走らせています。特殊装甲は伊達じゃありませんから、障害物から機械を守るのには十分だと。試作品を試す前に壊してしまったら大目玉ですから」
「へぇ、豪快なことするなぁ」
隊長は、首を捻って後手のタンクを眺めている。前は一切見えていないはずで、足場も相当デコボコなのだが、隊長はその凹凸を躓くことなく歩いて行く。まるで、体中に目が付いているかのようだ。
しかし、キルエナは思った。彼はきっと、一切何も考えていないのだろう。彼は天才なのだ。キルエナのように、緻密な計算を重ねなくとも、彼は軽々と成功を収める。生まれつきの才能が、彼には携わっていたのだ。彼はキルエナの憧れであり、羨望の的であった。
(……まただ)
キルエナは、隊長の横顔をずっと見ていた自分を叱った。足場がおろそかになり、躓きそうになる。後ろから、珍しいな、という声が聞こえてきた。
駄目だ。集中しないと。
別の事を考える。
(……今回の作戦に、穴は無いだろうか)
しばし考えた後、彼女は心の中で頷いた。
(ミスは許されない。ミスはしてはいけない。……だから、私は失敗しない)
今まで、GSTの関わる作戦の多くはカガトが担当していた。いつも、カガトの作戦はいつも意表を突く物で、失敗知らずであると評判だった。狂気じみた彼の性格は嫌いだったが、その繊細さには目を見張るものがあると思う。その一方で、キルエナの考えた策は、いつもどこかが抜け落ちていた。肝心なところで失敗し、指揮官に責任を負わせてしまうことが多かった。これが経験の差か、と思い知った感覚は今でも覚えている。
カガトが死んでからは、自分に仕事が集中した。もっと完璧な物を目指さなければ、そう思っていても、やはり作戦はどこかで失敗した。この前の、アイドル騒動もそうだ。今も、あの少女は行方不明になっている。その事で、思いつめていることも事実だ。
でも、今回は大丈夫だ、そう思えた。今回の相手は、非国民では無い。
キルエナは銃の感触を確かめた。
上がどう考えているのかは分からないが、任務は遂行する。それが、幹部としての自分の使命だ。
考えにふけっているところで、隊長がいきなり止まった。止まり切れずぶつかる。
「いきなり止まらないでください!」
「静かに。……あそこに誰かいる」
隊長の顔が、珍しく真剣だ。
「ターゲットでは?」
「いや、違う。学者は白衣を着ていた。だが……あれは黒い。それに、体格も大人というより……子供だ」
キルエナも目を凝らす。
確かに、全身が黒い物に、白い物が駆け寄っていく。
「……俺、あいつらをどこかで見た気がするんだよなぁ。どこだったっけなぁ」
隊長が手で髭を撫でる。
「奇遇ですね。私もどこかで見た気がします」
その謎は、直ぐに解けた。
「お~い! 俺達はここだぞ~!」
「あっ!」
悪戯っぽい少年の声に二人の声が一致した。
「あいつ、俺一回会ってるわ」
「奇遇ですね。私も一回会ってます」
キルエナは後ろを振り返った。
「あの少年と少女を捕えろ! 絶対に逃すな! 学者は見つけ次第射殺!」
隊員が銃を構え突撃する。
キルエナはトランシーバーを白コートから取り出した。
「D、E、F班、聞こえるか!」
暇を持て余しているだろうと思っていたが、何故か反応が無い。
「おい、応答しろ!」
無線機に向かって怒鳴るキルエナを見かねた隊長が声を掛ける。
「どうした?」
「隊長、トランシーバーを」
隊長から無線機を引っ手繰ると、また呼びかける。
別の無線機でも、やはり応答は無かった。
「なぜ……? 各班には無線機を持たせてあるはず」
困惑するキルエナを追い詰めるように、先頭から悲鳴が上がった。
見ると、前進させたはずの隊員が全速力で引き返してくる。
「なんだ、お前達! 揃いも揃って! 早く奴らを捕まえろ!」
「教官、あれ以上進めません!」
走って来ながら、隊員達が少年の方を指さす。
しかし、そこには何もない。
「見えない境界があるんです! 足を踏み入れた数人が突如消失しました!」
「なっ……?」
キルエナは必死で状況を飲み込もうとする。その彼女を、突如、今まで感じた事のない力がねじ伏せた。体が、まるで地面に引き寄せられるかのように倒れて行く。危うく体を強打しそうになった所を、隊長に受け止められた。彼の足元の土が、力に耐える為に抉れている。見ると、木々が力に薙がれ、傾いてしまっている。
力は、風によるものだった。考えられないような暴風が、土を抉りとり、木々をドミノのように倒していく。風に煽られた石のつぶてが猛スピードで通り過ぎ、耳の側でギュンと音を立てた。
「……何だありゃ」
隊長の向く方では、風に耐えきれず転がっていく隊員が見えた。必死に地面にしがみつこうとしている者もいるが、その手は土をひっかくのみである。そして引きずられるように少年のいる方向へ引っ張られていき……ある場所で、すっ、とその姿が消えた。まるで透明人間になってしまったかのように、いなくなってしまったのだ。目をこすっても、状況は変わらない。
しかし、目を逸らすと、ある物が目に入った。
少年の後ろ側に位置する木が、何一つ揺れていないのである。
キルエナは悟った。この突風は、自然に起きた物ではない。自然現象であるのならば、あの少年が、意図的に起こした物なのだ。それも、自分達を境界に引き寄せる為に。
「くそッ! もう私達二人だけかッ! この意気地なしめッ!」
キルエナが悪態を突く。
「いや、今はこの状況を何とかしよう。あのカップルが起こしてる風と、姿が消える境界には、何か仕掛けがあるはずだ。……キルエナ、早く見つけてくれないと、俺が持ちこたえられない」
風は、先ほどよりも強くなっているように感じられた。目を開けているのが辛い。
せめて、サテライトがあればこの状況も変わっていたかもしれないのに。非国民がいないからと、また、油断した。
「ほら、早く…………」
隊長の声は、風の声と、後ろで何かが軋む音で掻き消された。
……戦車の、あの大きな図体が引き込まれている。
その後ろには……。そうだった。忘れていた。
「隊長!」
腹に力を入れ、大声で呼びかける。
「もしかしたら、あの装置で何とかなるかもしれません!」
隊長はただ頷くだけだ。声も出せない程疲労しているのか。
「隊長、なんとかあそこへ行けますか!?」
隊長は苦しそうに頷く。
心が痛むが、あの境界を越してしまったらどうなるか分からない。部下たちの仇取りだ。
隊長は、キルエナの体を、少しずつ、少しずつ押して行った。荒れ狂う風にさらされ、肌に、張り裂けそうな痛みが走る。隊長の荒い息が、さらに心を苦しくさせた。
装置の方も、突風に吹かれているので距離は必然的に縮まっていくが、その前に隊長の体力が尽きてしまいそうでならない。キルエナは、酷く責任を感じていた。
キルエナは隊長に、励ましの言葉を掛ける事しかできない。しかし、それも風の唸る声で聞こえていたのかも分からなかった。
なるべく体重を隊長に掛けないよう風に逆らいながら、かなりの時間歩いた気がする。やっと、装置まであと数歩のところまで来た。隊長の体力は、もういつ尽きてもおかしくない。隊長が、また一歩を進めた。しかし、その一歩は地面を捕らえる事が出来ず空を掻き、隊長は正面から倒れてしまった。支えがなくなり、キルエナは後ろに転んだ。つま先を地面に杭のように刺し、なんとか隊長の体を支える。
一安心だと思っていたキルエナは、風が弱くなった事に気付いた。彼女は一瞬、現象が収まったのか、と思った。しかし、前から迫る戦車に、それは間違いであったと気付く。しかも、鉄の塊は横ばいになって進んでくるではないか。
しかも、不幸な事に、今から移動しても粉々になる事は明らかだった。馬鹿な隊員が、エンジンをかけっぱなしにしていたようだ。車の裏側で歯車が剥き出しになって回っている。軋む音はこれか、と半ば納得した。まさか、旧式を使用しているとは。倒れたままの隊長を睨む気にもなれず、策を考える。だが、戦車はかなりのスピードで滑って来ていた。今から移動しても、間に合わないことは明らかだ。
キルエナは、潔く諦めていた。ここで、血だらけの人生を終わらせる事ができるなら、それでもいい。目を閉じる。
――カンッ!
――しかし、キルエナは死ななかった。突如閃光が広がり、戦車が跡形もなく消えていたのだ。
戦車が無くなったことで、装置がかなりのスピードで滑ってくる。幸い、ぶつかる事はなさそうだ。
今、何が起こったのかは分からないが、今はここを切り抜けるしかない。
キルエナは前に一度、装置を下見していた。開発局の学者は、確か側面にあるスイッチを押すだけで作動すると言っていたはずである。隊長がややこしい操作を嫌ったためだ。
何かでそのボタンを押せれば、あの境界も消えてくれるかもしれない。
希望を胸に、キルエナは近くに手頃な石を探した。だが、風にさらされてしまっていたせいで、投げられるような石は無い。あるのは川の巨大な岩のみだ。
慌てている内に、装置がそこまで来てしまった。川に入ってしまわなかったのが奇跡だ、と思い直す。
何か無いか、と探す。ホルダーに手が当たった。
(銃は機械を傷つけてしまう……壊してしまっては元も子もない……)
考えているところに、トランシーバーから物音が聞こえた。誰かが喋っている。……女? 風のせいで、よく聞き取れない。
しかし、今はこれしかない、そう思った。トランシーバーをコートから引っ掴むと、寝たままの状態で構える。立った方が腕は振りやすいが、空気抵抗を受けやすい。この激しい風の中では寝たままの姿勢の方が得策だ。
風の強さ、タイミング、距離……様々な物を考慮し、シミュレーションする。喚くトランシーバーを黙らせ、神経を研ぎ澄ませた。
集中に、周りの音が聞こえなくなる。辺りが静かになる。
装置の分かりにくい小さなボタン……それを押せば、今の状況から脱却できる。
キルエナは、タイミングを見計らった。
(3、2、1…………!)
手首のスナップを利かせ、トランシーバーを投げた。
それは小さく放物線を描き――――見事に、赤いボタンをプレスした。
わーん、と周りの音が舞い戻り、キルエナは自分が別世界へ行っていたかのような感覚を覚えた。
全身の力が抜け、キルエナはその場にへたりこんだ。