15.学者と祖父
一行は川沿いを進み、上流へ、上流へと向かって行く。かなりの距離を歩いたと思われた頃には、家は愚か、人の姿さえも無いような山中だった。
「本当にこっちで合ってるのか?」
湿気でぐちょぐちょの川辺を慎重に進むスカイが尋ねる。後ろのセレネはワンピースを汚さないように必死だ。薄い格好を見るたびに自分の肌をぞぞっと冷気が撫でてくる。寒くないのだろうかと思いながら前を見れば、アイドルの少女は軽い足取りで進んでいる。
「合ってます。お父さん、人と会うのが嫌いなんで」
瞬間移転魔法無しでこの距離を往復しているのかと思うと、この少女を尊敬せざるを得なくなった。かなりの根性である。
さらに進むと、川が途絶えた。その根元に、泉が湧いている。
「これが川になってるのか……」
「こっちですよ」
少女が手招きをしている。見ると、人が切り開いたと思われる道が木々の間に出来ていた。葉が落ちているので、それがどこへ続いているのか分かる。あの家に続いているのだ。「れんが」だったか、そういった素材で作られているようだ。突き出した四角柱から、煙が吐き出されている。
家の近くにつくと、思ったよりもそれが大きい事に驚いた。しかも、扉に付いていた物は、スカイの見慣れた物である。
「この円形……魔法陣じゃないか?」
「あ、知ってらっしゃるんですか? 魔除けらしいですよ」
確かに、この魔法陣は結界を張る物だ。だが、魔力を供給する者がいない為効果が発揮されていない。
家の中へ入れてもらうと、白衣の男が目に入った。思わず身構える。
「ん? お客さんかい? ……君、そんなに警戒しなくても追い出したりしないよ」
無精ひげの生えた顔が優しげに笑う。慌てて気を付けの姿勢をとった。
「すみません、白衣を着ている人を見るとちょっと……」
ヒヒヒと笑う殺人鬼が頭をよぎる。
「医者嫌いかい? 僕も医者は嫌いだから良く分かるよ」
セレネとスカイは顔を見合わせ、苦笑した。勘違いをしてくれたほうがありがたい。人殺しに見えたなんて言うと印象が悪くなる。
リビングでは、暖炉で火が焚かれていた。テーブルに座ると、湯気の立つコップが置かれる。
「ちょうどお湯沸かしてたところだったからスープ作った。飲んだらいいよ。寒かっただろ?」
スカイはコップを傾けた。少し熱いが、火傷をする程ではない。とろぉっとしたスープの、芳醇な香りが鼻に抜ける。暖かさが喉に流れ、全身に染みわたった。
「おいしいです」
少女の父は何も言わず、娘を着替えさせることに夢中だ。大きな怪我は無いはずだし、見た所部屋の中にテレビも無いようなので、騒ぎの事は知られていないだろう。心配されても彼女は困るだろうし。
セレネは何度もコップを傾けるものの、すぐ「ひゃいっ」とか「あつぅ」とか言って中々飲めていない。
「飲めないの?」
「私ねこじたなのぉ!」
セレネは舌の先を出してヒィヒィと呻いている。そういえばセレネが食べていたのは冷たい物ばかりだったなと思いだした。
スカイは圧倒的なスピードでスープを飲み終える。
「とにかく、あの子のお父さんに話を聞かないと。扉にあった魔法陣は、魔術師が代々伝えて来ていた物だ。きっと、あの人はどこかで魔術師に会ってるはず。聞けば何か教えてくれるかもしれない。……いや、もしかしたら呪文の研究者はこの人なのかも……」
「そうだよ」
いつのまにか、スカイのすぐ後ろに少女の父がいた。
「僕は昔から、能力を持って生まれた人達の研究をしていたんだ。非国民、と彼らが呼ばれる前からね。僕はずっと彼らに興味を抱いていた」
少女の父はテーブルをはさんだ、スカイの前の椅子に座った。こうみると、どこか頼もしく見える。
「扉の魔法陣は見たかい? あれは昔、ある能力者が教えてくれた物なんだよ」
少女の父は腕を組む。スカイは眉根を寄せた。
「……でも、能力者は魔法陣を全く知らないはずなんですが……?」
少女の父は首を振った。
「普通はね。その能力者は、僕が子供の時に会った二十代位の男の人だった。でも、その人は知っていたんだよ。……彼は別の世界から来たと言っていた。彼は僕に色々な事を教えてくれたよ。その内の一つが、あの魔法陣なんだ」
「別の世界から……?」
隣でセレネが「あつっ!」と声を上げる。
「なんていってたかなぁ。あの人は自分のことを……ま? ましつ? まつじゅ?」
「魔術師……ですか?」
男が手を叩く。
「そう! 魔術師! 確かそう言っていたよ! 僕は、彼だけは他の能力者と違うと思ったんだ。普通の能力者は一つの力しか使えない。でも、彼だけはあらゆる力を使えたんだ。……僕が能力の研究を始めようと思ったのはそれからなんだよ」
男が、少女に「お風呂に入って来なさい」と奥を指さした。素直に少女は奥へ向かう。着替えさせてからお風呂に入れさせるのは少し順序が違う気もしたが、スカイはこの研究者の話に集中することにした。
「と、いうことは呪文もある程度知っていると?」
「まあ、少しはね」
スカイはゴクリと唾を呑んだ。
「では、元の世界へ戻る為の、帰還用呪文を知りませんか?」
男はうーん、と唸る。
「どうだったかなそういう類の物を書きとめた紙があった気が……ちょっと待っててくれ」
男は物置きを開くと、紙束だらけのそれを漁り始め、すぐに一枚の紙きれを取り出した。スカイに手渡される。
「それじゃないか? ……文書の中で、それだけは僕の書いた物じゃないんだけど」
男は一人で喋っていたが、すぐに気付き、首を捻った。
スカイの、紙きれを持つ手が震えている
「この字……見た事あるぞ……」
セレネが首を傾げる。
「この字は…………まさか……!?」
スカイはローブの中を探り始めた。それを二人が訝しげに見つめる。内ポケットに手を入れるが、興奮に手が震えて言う事を聞かない。指先を懸命に動かし、狭いポケットからやっとの思いで手記を取り出した。ページを乱暴にめくっていく。
(魔法陣と、書き殴ったような文字の羅列。これと同じページがあったはずだ。確か、真中あたりに……)
「あった!」
スカイが歓喜の声を上げる。
「セレネ、見てくれ」
紙切れと、祖父の手記のページを見比べさせる。
「あ。……おんなじ」
「だろ!? まさかと思ったけど、これを書いたのは俺のじいちゃんだ!」
理解できていない少女の父が慌てて尋ねる。
「どういうことなんだい? 確かにこれを書いたのは、ここを訪れた男の人だが……」
「それが、僕の祖父なんです! 見てください、字の形が一緒でしょ!?」
男は少し見比べた後、確かにそうだ、と頷いた。
「だとすればどこかに、帰還用呪文が書いてあるかも……」
目を紙に巡らせるスカイを、男は感慨深そうに見下ろす。
「しかし……こんな偶然があるんだなぁ。僕の命の恩人の、まさか孫が家に来るなんて思ってもみなかったよ」
「俺もこんな偶然があるとは思ってませんでした。きっと、天国のじいちゃんが会わせてくれたんだと思
います」
男はそうか、とため息をついた。
「あの人は亡くなったのか。俺が今四十五だから……あの人は七十位だったのか……そうだよな。時が経つのは早い」
スカイが、えっと紙から顔を上げる。
「祖父が死んだのは九十過ぎですけど……」
スカイが言った所で、大きく電話のベルが鳴り響いた。
「すまない、ちょっと待ってくれないか? また何かのセールスだ」
男は走っていき、角に消えた。ベルの音が切れ、話し声が聞こえてくる。
「こんな所で一人暮らしなんて大変だねー」
セレネが脳天気に言い、コップを傾ける。「冷たい」と直ぐに言い放った。
スカイはじっくりと二つを照らし合わせていたが、結局帰還用呪文の「き」の文字も出てこなかった。
全く瓜二つの文章だったのだ。
「じいちゃん、手掛かりぐらい残してくれよ……」
頭を抱えた所に、ちょうど男が電話から帰って来た。
「あ、すみません、他に何か呪文に関する物は――……」
「出て行ってくれ」
「……え?」
予想外の言葉に目が点になる。
「今すぐ。……君たちの為なんだ。早く出て行ってくれ」
「でも、何で急に……」
スカイの目は、男の瞳から溢れだす雫を捉えた。
男が膝を突く。
「頼む! ……あの子を連れて今すぐ逃げてくれ! 俺を加害者にしないでくれえぇっ!」