school_mimic
いみわかんない。わけわかんない。
いま、うちの――あ、うちは水中涼子って名前の女子高生なんだけど。
あのね、すごい。とにかくやばいの。だってね、たったいまうちの前に広がってるすっごい光景を見たら、だれだってうちみたいに驚くと思う。
テンパってるから上手く説明できるかどうか分かんないんだけど、一言で言うとね、宝箱があるの。宝箱。弟がやってたゲームに出てきそうな感じの。
しかもでかいの。こーんなんなの。あ、いまうち両手広げたんだけど端から端に届かなかったよ。そのくらいでっかい。装飾もねホントに、お城の中にどでーんって置いてそうな感じで、なんというか、きびらやか? きらびやかだっけ? その辺の宝箱とは違うオーラが出てる感じ。いやその辺に宝箱なんて落ちてないけどさ。
しかもここ、うちの高校の敷地内なんだよね、実は。校舎裏のだれも来ないようなとこ。うち、この前タバコ買ってみたから、さりげなく吸ってみようと思って来たんだけど。ライター持ってないのにどうやって吸うつもりだったんだろう。しかも宝箱見つけちゃったし。
宝箱は、校舎のコンクリートの微妙な凹凸に隠れて、まるで最初っから置いてあったみたいに、変に馴染んでるの。ただでさえ宝箱なんてふつう落ちてないのに、高校の敷地内に、文化祭でもないのにこーんなでかいのが落ちてるわけない。と思うじゃない。でも落ちてるの。というかもう貫禄感じるくらいちんざしてるの。
ちんざってどう書くっけ? ち○このちんとはちがうよね?
あ、ごめんテンパリ過ぎてるやうち。ホントごめん。いやホント、うちそんなお尻軽いキャラじゃないもん。もっと知的だし。下ネタとか言わないし。タバコも弓野さんに言われて買っただけで、おとめなでしこ目指してるの、これホントよ。
さてどうしようこれ。
うちは首をぐいってかたむけてうーんゆ-んと唸ってみた。うーんゆーん。どうすりゃいいんだろ。うん、正直分かんないや。
「開けちゃえ」
どこから手をつけたらいいか迷ったら顔面にパンチから。とは弓野さんの言葉だけど、うちとしては金的のほうがいいと思うなあ。なんてぜんぜん関係ないこと考えながら、行きあたりばったりにうちは宝箱を開けてみた。
そしたら、男の子が入ってた。
「あ」
「え」
うちも、その男の子も目が点になる。いかにも学校でいじめられてそうなタイプの男の子だなあという第一印象。ん、でも顔はきれいにしたらそんな悪くないような。前髪が長すぎて良く見えないなあーちょっと見せてよ。って思って手を伸ばしてみたら
「み、みみっく第一法則!」
なんか男の子が言った同時に「ひゅうん!」と手が伸びてきたかと思ったらびっくりするくらい急に、うちの目の前の光景がぐるぐるどーんって回った。ええっ。なにこれ。新手のメリーゴーランド? 宙に浮いてる感じが心地いい。っていうか、腕掴まれてる?
そんな不思議なぐるぐるも長くは続かなかった。うちはお尻から一直線、なんだか固い地面にどさっと着地した。いたいー。頭がくらくらする。なんだか辺りもくらくら暗い。おかしいな、まだ夜になるには早いと思ったけどばたん!
「ふぇ?」
「み、みみっく第一法則完了! 第二法則に移行!」
扉というか、宝箱を閉じるみたいな音がして完全にまっくらになってしまった。ようやくうちは、ああなるほどーと思った。つまりうち、宝箱の中に入っちゃったんだ。クレオパトラがミイラ取りになっちゃった。なんか違うけど職業的にはかなりランクダウンしてるよね。
でもまさかなあ、こんなことになるとは思わなかったなあ。どうやって出れば良いんだろうここから。声聞こえたし、まだあの男の子はこの宝箱の中にいるんだよね。じゃあ聞けばいいか。
「ねえきみ、どうやってここから出るの!」
「で、出れません!」
――胸をさわられた。
「おおおとなしく、ぼ、僕にた、食べられてください!」
「はあ!?」
「みみっく第二法則なんです! 『掴んで中に招いた人間を食べる』んです」
「いやえっと。何言ってんの……ころすぞこら」
「ひぃ!」
なんかいみわかんないこと言われたから、ちょっと弓野さんの真似してドスごえを出してみたら男の子はびゅうんって後ろに飛びすさった。「いってえ!」どんっ! って音がして男の子がすっとん声をあげた。さては壁に。もう、人が入れるからって狭い宝箱のなかでそんなことするから。
「ご、ごめんなさい僕が悪うございました……う、ううう……うえ~ん」
「ちょ、え、泣かないでよ!?」
どうしよう。わけわかんないことばかりでまじめに頭がパンクしそう! うちの脳内では会議が開かれた。「そもそもこいつ誰」「というか実はさっき涼子ちゃんわりと危機だったよね」「というか明日の三時間目なんだっけ」「数学」「宿題あったよね。あー無理だよ今日徹夜しないと」「妙案思いついた。宿題の答えこの男の子に聞けばいいんじゃね」「うわ天才」「たいしたやつだ」ねえ会議してようちの脳内。でもそれ、宿題の答え聞くっての、けっこういい案かも。
うちはびえんびえん泣くばかりになってしまっている宝箱の中の男の子に、せいいっぱいの猫の声で話しかけてみた。じゃなくて猫なで声だ。苦手なんだけどね。
「ねえ、きみ。うち、2年の4組の水中涼子っていうんだけど。きみ何年生?」
「ひっく……に、2年ですよう。今日から1年は遠足で3年は勉強合宿してるって聞いてますけど」
「あ、そいえばそうだった」
なんでそういうのすぐ忘れちゃうのかなうち。
「じゃあ数学ってジャッキーだよね。実はうち宿題まだやってなくてさあ移させてよ」
「ジャッキー……? す、雀原先生のことかなあ? うん、いいよ、でも」
「でも?」
「代わりに。き、きみをた、食べさせてよ。僕にはみ、みみっくになる、義務があるんだ」
えっ、また?
まっくらすぎて目が慣れることもない宝箱のなかで、ふたたび男の子はうちを食べたいって言ってきた。うーん、どういうことなの。みみっくになるのが義務で、それでうちを食べなきゃいけないんだってそれ、繋がってなくない? もしかして新手の告白?
そうか。新手の告白なのかもしれない。つまりだね、この男の子はうちがここに来るのを先回りして、宝箱に入ってうちを待ってたんだ。じゃなきゃ宝箱が高校の敷地内にあるわけないもん。これ、いい線いってるよ。食べたいってのもそういう意味じゃない? さっき思いっきりおっぱい触ってきてたし。
うん、そう考えて見ると、ちょっとこの男の子にも愛着がわいてきた。うちを驚かせるためにいろいろ用意してアピールしてくれてるわけでしょ、かわいいじゃん。さすがに体とかをいきなり許すのはないとしても、おっぱい揉ませてあげるくらいなら許していいかな? って気になってきた。でもそれっておとめなでしこ的にはどうなんだろう。どこまでセーフかってのは難しい問題だよね。弓野さんなんて意外と純情なのかまだ処女らしいし、うちもそういうの今からでも守るべきかな。
というかおとめなでしこがタバコ吸っちゃだめじゃん! あーよかった、今日ライター持ってこなくて。あやうく吸ってしまうところだったよ。危なかった危なかった。
「へ、返事がないってことは、食べても、い、いいってこと、かい?」
「いま会議中なんだから黙ってろ」
「は、はいぃ!」
ちょっとドスっとした声を出すと、びくってなる男の子。なんだかちょっかいを出したくなるタイプだよね、こういうひとって。やっぱりこの男の子、うちけっこう好みかも。とはいえ今日会ったばっかりだし……
「うーん、分かった。じゃあ明日の1時間目にまた来るからさ、ここで数学の宿題持って待っててよ。そしたらうちのこと食べてもいいよ」
「ほ、ほんと!?」
「うちには一言しかないもん、ほんとだよ。なんならゆびきりけんばんしよっか」
ぽろろろん。ってBGMが後ろでなりそうな指切りをうちと宝箱の男の子は固く交わした。なんでかじゅるじゅると男の子がよだれを吸う音をさせてたからちょっと不気味だったけど、とにかくこれで交渉せいりつだ。最後にクラスと名前だけ聞いて、うちは男の子の宝箱からようやく外に出ることができた。2年8組の相上くん。みみっくになるのが夢なんだとか。やっぱりいみわかんないけど、世の中いろんな人がいていいのさって弓野さんも言ってたし、きっとみみっくにも専用の職場があったりして、きちんとした試験もあって、相上くんは純粋に夢を追い求めているんだろう。
またひとつ賢くなったなあ。うちは腕を後ろに組んで、鼻歌を歌いながらお家に帰った。
あ、でもまだ一ついまいちピンとこないことがあった。
さんざん言っといてなんなんだけど、みみっくって何なんだろう? っていう。
弓野さんにでも聞いてみようかなあ。
*
「みみっくってあれよ、モンスターよそれ」
「ふぇ、そうなんですか?」
お家に帰ってシャワーを浴びた後、勉強合宿中の弓野さんに電話してみると、弓野さんは快くうちの質問に答えてくれた。忙しいだろうに、後輩思いの良い先輩だ。
「矢口がゲーマーだからね、まああいつはゲーセンの方がメインだけど、携帯機もいろいろ持ってんだ。みみっくってのは宝箱の姿で冒険者を騙して、中に引きずり込んで食べちまうモンスターさ。けっこう強いから注意したほうがいいらしいね。魔法使うとかしないと」
「なるほど、だから宝箱なんですね。でも強くはなかったですよ? たぶん顔面パンチで一発です」
「ああ、会ったことあるんだ? だったらあたしに聞かなくてもいいじゃないか、涼子」
「会ったけど分からなかったんですよー。明日また会うんですけど」
「じゃあ顔面パンチくらわせてやれ。ごめん、あたしまだ11時間目が残ってるから、またね。歯磨きしてから寝るんだよ」
「分かりました! ありがとうございます!」
「あと、今はいいけど受験はほんときついからね、ゲームはほどほどにしときなよ!」
ツー、ツー。
電子音が3秒くらい流れて、うちは受話器から耳を離した。
うーんゆーん。なんだかすこし話がかみ合ってなかったような気がする。もしかして弓野さん、うちがゲームの中でみみっくに出会ったと思っていたのかな。いやでもふつうそう考えるか。まさか学校の敷地内にみみっくがいるなんて誰も思わないもんね。
整理すると、みみっくっていうのはモンスターらしい。モンスターなんてもう響きだけで危険だって分かる。相上くんもうちを驚かすのはいいけど、うちの分からないネタで攻めてこないでほしかったなあ。強引なんだから。そんでみみっくは、宝箱の姿になってひとをだまして、開けてきたひとをつかまえて、食べちゃうらしい。
食べちゃうだなんて。えろい。
えろえろだ。
そんなにえろえろなモンスターがドラゴンクエなんちゃらにいるだなんて、うち思わなかった。要するに食べるって、「おもちかえり」ってやつにちがいない。うちは今日、あやうく宝箱におもちかえりされるところだったのかあ、あぶなかった。うちは安心のためいきをひとつついた。
――あれ? でも、そういえばうち、明日食べられるんじゃなかったっけ?
そうだった。なにを考えてたんだうちは。言ったじゃんか、数学の宿題を見せてくれたら食べていいよって、この口で。しかも確かあのとき脳内で、「今日あったばかりはさすがに抵抗あるけど、明日なら会うのも二回目だしいいんじゃない?」みたいな思いが渦巻いてたような気がする。
れいせいに考えてみたらアホすぎる。おとめなでしこどころか、一般常識までどっかいっちゃってる。うちってこんなにアホだったっけ?
「そんで明日どうするんだ?」あ、また脳内で会議が始まった。「バックれるのが一番安全じゃね」「でもうちには一言しかないとまで言っちゃったし」「じゃあ涼子ちゃんは潔く食べられちゃうの?」「宝箱の中でいけないことしても、きっと誰も気づいてくれないよ」「嫌だようち、こんなうっかり体を許しちゃうのとか」「あ」「どうしたの妙案?」いや、「ライターってさ、結局そういえばカバンに入れなかったっけ昨日」「そういえばそうだったー」「めでたしだね」「うんめでたしだー」いや、今関係ないじゃんそれ。
探ってみると確かにライターはカバンの中にあった。一応護身に使えるかもなので、カバンの中に戻しておく。
そして、ふらふらとベッドに倒れこんで天井を見た。うーんゆーん。一日に二回も脳内会議をするとうちの頭は疲れてしまう。
「まあ、明日考えればいっかー」
一言つぶやいてうちは寝ることにした。弓野さんに言われたとおり、歯磨きをしてからベッドに入る。ノー天気なうちの頭は、だいたい二十秒もすれば夢の世界に行ってしまうという優れもの。すぐにすーすーと寝息を立てたみたいで、気が付いたときにはもう、朝だった。
スズメのちゅんちゅく鳴く声が、朝の日差しといっしょに聞こえてきた。
「あ、そうだ」
スズメといえば、ジャッキーもとい雀原先生だ。
どうしようもなくなったら大人に助けを求めろって、弓野さんが前に言ってなかったっけ。
「そうだ、今日早く行って、ジャッキーに相談してみりゃいいんじゃない! やっぱうち、こういうところは機転がきくよね」
自画自賛だった。そのジャッキーにばれないように数学の宿題を見せてもらいに行くんじゃなかったっけ? とかのツッコミも、朝のねぼすけもーどになってたうちには出来なかった。るんるん気分で、昨日の夜つくっておいた冷たい朝食を食べて、いつもどおりに学校に出発する。
あ。
玄関に見慣れない靴があった。おとこものだ。うーんゆーん。
ママったら、おとめなでしこになれってうちに言ったくせに、またうちが寝たあとに帰ってきて、いまも寝室で寝てるんだろうな。
ケータイの時計は、午前四時を差している。早寝早起き早出発、ゆったり歩行はおとめなでしこのたしなみ。
*
「ジャーッキー!」
「おや、さく……ではなく、水中さん。私に何か御用ですか」
朝も朝、まだ学校にも人がまばらな職員室に入って、うちは元気いっぱいにジャッキーを呼ぶ。不意打ちで呼ぶとたまにジャッキーは、うちにすごく似てたらしい昔の生徒の名前をうちに向かって言う。最初はなんか変な感じがしたし、ちょっとむかっとしたけど、すぐに許してしまった。
なんていっても、うちに優しく接してくれる先生はジャッキーしかいない。銀縁の四角いメガネをかけていつもにこにこ笑ってる、倒れちゃいそうに儚いかんじのほっそい人なのに、学校でもなんだかんだですごい不良ってことになってるうちをジャッキーだけは色眼鏡で見ない。だからうちは、ジャッキーが好き。自然と会話のテンションも上がっちゃう。たとえ昔、さくなんちゃらって女の子と何かがあったんだとしても、きっと嫌いにはならないと思う。
「えっとね、あのね、どっから話せばいいんだろ、昨日ね」
「落ち着いてください。まだ始業まで二時間もありますし、お茶菓子でも食べながら。甘いのと辛いの、どちらにします?」
「え、あ、あの。甘いので」
「ほら座って」
「あ、……ありがと。う。うー」
こういう、ちょっとした気配りにうちがドキッとしてしまうのも、ジャッキーの前だけ。他の教師の言葉はぜんぜん耳に入らないのに、ジャッキーの言葉にだけは体が従ってしまう。
うちは開いていた隣の席の先生のイスを借りて、そこにちょこんと座って、カバンを床に置くと、ジャッキーが差し出したお茶菓子の袋を開けて口に運ぶ。おいしい。カクカクしたゼリーみたいのが入った小さいお饅頭。お饅頭のふわふわと、ゼリーのふにゅっとした感触が混ざってとっても口の中が楽しい感じ。なにより、甘いの。あまあまうまー。
「ねえこれどこで売ってるのジャッキー~。今度弓野さんに差し入れる~♪」
「サクリデパートの7Fの味摘屋ですよ。差し入れはいいですが、授業を抜け出して買いに行くことのないように。水中さん、昨日も授業を抜け出したでしょう」
「ぎく」
「そういうことはもうしない、と約束しませんでしたか」
「した。したけど」
「こら、ちゃんと目をみて」
目を見る。やばい。ジャッキー怒ってる。珍しく眼鏡の奥の目がつりあがって真剣な感じになってる。そんな顔、ジャッキーには似合わない、笑っていてほしいのに。
昨日の三時間目、うちは授業をほっぽり出してタバコを吸いに行った。のは確かにそうだけど、うちはちゃんと授業受けるつもりだったのに、受けさせてくれなかったの。田鍋が、あいつが、「授業ぜんぜんわかんねえだろう水中、お前みたいなやつは俺の授業にはいらん、出ていけ」ってうちに言ったの。
うちはジャッキーにそう言いたかった。でも言えなかった。うちが約束をやぶったのはほんとうで、事実で、これから先はいいわけだから。だからうちは、
「ごめん、なさい。もうしません」
って謝るしか、ない。一回うつむいて、うちは顔を上げる。
「はい。では、もう一度ゆびきりをしましょう」
ジャッキーは、また笑顔に戻ってた。
「うん」
ゆびきりげんまん。小指と小指でうちとジャッキーは約束を繋いだ。ジャッキーの小指はやっぱり男のひとで、ちがう感じで、なんか触れ合ってるって感じがした。ああ、こういうことでもないと、うちはジャッキーに触れること、できないっけ。もしかしたらうち、だから昨日あんなことしちゃったのかも。反省だ。大反省だ。
「あのねジャッキー」
「?」
「頭、なでてほしいの。来週まで約束守れたら」
「いいですよ」
触れてほしいのなら、こうやって言えばいいだけなのに。
うちはこれだからばかなんだ。
それからうちは、ジャッキーとお茶菓子を食べながら、世間話とかして、あー久しぶりにまともな会話してるなあ、なんて満足感に浸って。
「あれ? よくかんがえたらうち、結局ジャッキーに相談してなくない?」
ばたーん、と職員室の扉を閉めて数秒経ってから、ようやくうちは気が付いた。
うわあ、完全に忘れちゃってた。うち、ジャッキーにみみっくのことを相談しにきたんだっけ。なのにジャッキーのペースに呑まれちゃって、いつのまにかゆるるーんと雑談しただけで出てきちゃった!
まって、さっきやっぱりアホだなあうちって再確認したばっかりなのに、またばかなことしちゃってる!
「うーんゆーん、で、でもまだ授業始まるまで一時間くらいあるし、戻れば」
「本当にそれでいいの?」
「え、だってしょうがないじゃん、相談できるのジャッキーしかいないし」
「あなた、雀原先生に出す宿題をあの子に写させてもらうんじゃなかったかしら?」
え?
だれ?
うちは、振り向いた。そしたらうちから数メートル離れたところに、女の子がいた。おっとり系な感じのきれいな黒髪で、お肌がとっても白くて。ぱっちりした二重の目で。すっとした上品な鼻で。紅を引いたみたいに赤い、でも主張しすぎてないくちびるの。いままでうちが見てきたかわいい女の子のかわいい部分をぜんぶあつめて、違和感ないようにパッチワークしてみました、みたいな。すっごいかわいい女の子が、うちとおんなじ制服を着てそこにいつのまにか立っていた。
さっきから会話してたのは、この子?
「そうよ。わたしは、桜葉彩子。8組よ。あなたは、4組の水中涼子さんで合ってるわよね?」
「あ、うん。そだよ」
まるで心を読まれてるみたいな会話に、うちはなんだか嫌なふうにどきどきした。動揺、っていうんだっけ。いつも揺の字が書けなくて、この前の漢字テストは七点だった。
「わたしはあと一点で二十点満点だったわ。ねえ、涼子さん。あなたは絶望的に頭が悪いようではないようだから、この状況も理解してくれると思うの。どうかしら?」
「っえ、そんな急に言われ、ても」
「あなた今、最高に意味のないことをしようとしてるのよ、ってこと」
うろたえるうちに向かって、女の子……彩子ちゃんはそう言って詰め寄ってきた。ぐい、と一歩、またぐいって、二歩。お互いの瞳のなかに、お互いが映るくらい近く。そこでうちは、あることに気が付いた。彩子ちゃんとうち、声が似てる。いつも脳内会議のときにうちが脳内で喋ってる声とそっくりだ。だからうち、最初誰かと会話してるって気づかなかったんだ。
8組の彩子ちゃん。8組って言えば、昨日のみみっくの相上くんも8組だっけ。そしてうちは今日、数学の宿題を相上君に見せてもらう代わりに――あれ?
「気づいたみたいね。分かった? 自分がしようとしていたことの愚かさに」
ようやくうちは自分がなにをしようとしてたかに気づいて、顔を赤くした。そうじゃんか。ジャッキーに喜んでもらいたくてうち、ジャッキーの数学で出た宿題を写そうとしてたんじゃん。それをジャッキーに相談したら、宿題写そうとしてたのが、ばれちゃう。そしたらきっと、ジャッキーは幻滅してしまう。
ううん、それでもジャッキーのことだから、うちを一通り怒ったあとに相談には乗ってくれる。でも、喜んではくれない。だから、絶対にジャッキーに相談しちゃいけなかったんだ。
「うわあ。うち、なんでこんなにアホなんんだろ」
「分かってくれたみたいね。よかった。もし雀原先生に相談なんてされてたら、大変だったわ」
「大変?」
「だって、あなたが抱えている問題はもう解決しているもの。あいつが出てきたら話がこじれてしまう」
彩子ちゃんは眉をひそめて、両手で外人みたいな振り付けのオーバーリアクションをした。
さっきから、いまいち回りくどい言い方で話してくるから、うちの頭が追いつかない。え、もう解決してる? なんで? かといって、脳内会議しようとすると、それを読んだみたいに彩子ちゃんは言葉や行動でうちを刺激してくる。
いつも知らない女子なんかに話しかけられても、うち、無視するのに。無視できない。
入り込まれる。
「さあ、校舎裏に行きましょう」
なにがなんだか分からないまま、うちは彩子ちゃんに手を引かれた。わ、針金みたいに華奢なうで、と思ったらすごい力で、ほとんど引きずられるようにしてうちは校舎裏まで運ばれてしまった。彩子ちゃんはそのあいだ、羽でも生えたみたいに軽やかに階段をジャンプするし、表情はぜんぜん変わらないしで、人間離れって感じだった。
息もぜんぜん上がってない。けろっとした顔で、朝からいい運動をしたわね、なんて言ってる。すごい人だ。こんなに尊敬されるおーらを出してるの、弓野さん以来かもしれない。
「わたしなんか尊敬してもいいことないわよ。さ、宝箱のところまで、早く。もしかしたら雀原先生は気づいてるかもしれない。その前におわらせましょ」
「え。いくらジャッキーでも、うちが何も言ってないのに、気づくわけないと思うけど」
「あいつを舐めちゃいけないわ。甘々の優男だと思って油断してたら、後悔するわよ」
彩子ちゃんはきれいでかわいい顔を、ジャッキーのことを言うときだけこわばらせている。どうやら彩子ちゃん、ジャッキーと何か因縁があるみたいだった。うちにばればれなくらいだから、きっとみんな分かる。ジャッキーと、因縁。桜葉彩子ちゃん。さく、らば。……まさか、と思ったけど、うちはその考えを頭からほうりなげた。ありえない。
見た感じ、この子はうちと同い年。でも、ジャッキーに一回聞いたことがあるけど、うちに似てるらしい桜葉さんは、6年前の生徒なんだそうだ。
だからそれじゃ、ない。でも、そうだとしてもこの表情の変化っぷりには、子供会の肝試しで一回も泣かなかったうちもちょっと怖くなった。
「彩子ちゃん、何で、そんなに」
「相上くん、連れてきたわよ」
と、うちの思考はそこで打ち切られた。彩子ちゃんの目線の先を追う。
知らないうちにもう、あの場所にまで来ていたみたい。そこには宝箱、と、相上くんの姿がある。校舎裏の陰に、ぜんぜんおにあいじゃない綺麗な宝箱。今はフタが開いていて、その中に相上くんが立って、両手を前に突き出している。
突き出された手は、数学のプリントを握ってた。しっかり丸付けまでしてあるのがすごい。
「ありがと、さ、彩子さん。あと、涼子ちゃん、し、宿題やってきたよ。約束、守ってよね」
昨日よりさらに震えるような声をして、実際に体も震わせながら、相上君は彩子ちゃんの言葉に答えた。昨日はすぐ宝箱の中に連れ込まれちゃったからよく分かんなかったけど、こうしてみると相上君はやっぱり、ネクラーな感じの雰囲気だ。肌は不健康な感じに白いし、ところどころニキビができてる。腕は細すぎて骨が浮いてる。
何より、昨日も思ったけど、髪が長い。でもうねうねしてなくて、つやつやとしたストレート。
ここは正直うらやましい。うちなんか、少し伸ばすとうねっちゃって大変なことになるから、肩までしか伸ばせない。おとめなでしこへの道の大きなまいなすポイントだ。
長い髪に隠れて、相上くんの目は見えなかった。口だけが、動く。
「さ、さあ、早く。僕の中に入って、僕に食べられて!」
うちはどうすればいいのか分からない。黙っていると、隣から声がした。
「待って」
重い空気を切り裂くみたいに、澄んだうちに似た声。
「――食べるのは、私にしなさい」
彩子ちゃんはそう言って、宝箱の方に足を向けていく。
うちと相上くんが驚く。
「え?」
「え!? ま、まって彩子さん! 僕、彩子さんは食べたくないよ!」
「つべこべ言わずに食べなさい。あと、宝箱のフタは開けて食べるのよ。暗いのはいや」
え、ええ、えええええ。うちは頭の中で緊急会議を試みる。ちょっとこれ、どういう展開? 応答して、うちの頭、応答を。……。……。うーんゆーん、ゆん、あ、だめだうちの脳内。
ぜんぜん回ってない。
「そう難しく考えないで。簡単に説明すると、この子にみみっくになれって言ったのは私なの。みみっく第一法則と、第二法則。どちらも私がこの子に厳守させていたの。でもホントは、みみっくの法則はただのレクリエーション。ほんとうにそういうシチュエーションになったときには、食べちゃだめよって伝え忘れてて。校舎裏のこんなとこなら人は来ないと思ってた、これは、私の過失よ。だから、食べられるのは私でいい」
「だ、だったら今からそう言えば! 食べちゃだめって言えばいいんじゃ」
めずらしくうちはいい答えを出した。でも、それは彩子ちゃんに否定される。
「いい案だけど、だぁめ。それは私たちのルールに反する」
8組のね、と彩子さんは付け加えて、相上君の目の前に立つ。おびえて何もできなくなってる相上くんの手から、数学のプリントをひったくってうちの方に投げた。ひらひらとした紙一枚が、まるで意思を持っているみたいにふわふわと浮いて、うちの目の前まで運ばれてきた。ぱしっと掴んで、うちは驚いた。すごい細かく答案が書かれてる。神経質なくらい、ぴっちりと。
「さ、あなたは早く行きなさい。そして相上くんは私を食べる。これは、命令よ」
「で、でも、彩子ちゃん」
「彩子さん、い、いいんですか」
いまだにうろたえるうちとは反対に、少し落ち着いたのか、それとも命令って言葉に反応したのか、相上君がちょっと乗り気になっていた。口の端からよだれを垂らしながら、彩子ちゃんの肩に手を置いて。息を少し荒げているのか、肩が上下に動いている。
うちは、早く行け、と言われた。でもそれで、いいんだろうかって思ってしまう。最初に、ジャッキーとの約束をやぶって授業を抜け出して、タバコを吸いに来た悪い子はうちなのに。ルールを決め忘れてたって理由だけで、彩子ちゃんはぜんぜん悪い子じゃないのに。彩子ちゃんにかばわれるほどの価値が、うちに本当にあるのか、真剣に考える頭さえ、うちには足りてはいないのに。
でもうちは、やっぱり悪い子で。
ありがとうとだけ言ってその場から立ち去ろうと。うちの足は動き始めていた。
「ええ、いいのよ。水中さんには逃げる権利がある。さあ、相上君」
「……は、はい」
「私を。食べろ。その、みみっくの口で」
――おかしな音がし始めたのは、うちが宝箱からちょうど目をそむけたときだった。
「え?」
ぬちゃ、ぐちゃ、っていう、生生しい音。あ。あ。って断続的に聞こえる誰かの高い声。彩子ちゃんだ。でも、彩子ちゃんじゃない。あ。あ。あ。ぬちゃ、ぐちゃ、ずるるずずる。ぷはぁ。がり、がり、と何かを砕く音。何かを啜る音。食べる音。ああ、食べる。みみっく第二法則。
うちはもう一度、宝箱の方を向いて、見た。
「…………ひ」
血。赤と黒が混ざったひどい色の血が、宝箱の中から溢れていて、うちの頭に訴えてきた、どうして、早く、気が付かなかったんだ。
宝箱の中に相上くんがいるらしい。ぷはぁ、じゅるる、ずる、ぼきぼきって、音をさせているのは相上くんに違いない。じゃあ彩子ちゃんは? 彩子ちゃんはどこに行った?
ぴゅ。
っと、長い長い距離を飛んできた血が、うちのほっぺたを濡らした。
とっても温かかった。
「食べる、って。そんな、そういう、いみ?」
どういう意味だと思ってたんだよ。って弓野さんがこの場にいたら突っ込んでくれたかもしれない。普通真っ先に考えるのはそっちだろ。うちは。うちはなんでこんなに。
「やめ、て。やめろ。やめろよ。やめてよぉ!」
足を無理やりでも動かして、止めに行きたかった。でもダメだった。怖さに足がすくんで動けない。だってじゅるじゅるばきぼきって。にちゃにちゃ、笑い声も。たまにぴゅっと血が。そんなので、動けるはずがない。それに叫んでも無駄だ。でも無駄だってわかってるのに、叫ばずにはいられない。
手。
彩子ちゃんの、彩子ちゃんだった、手が宝箱から覗いた。血にまみれて赤くなっていた。それを食べようと、相上君の顔が宝箱から出てきた。そして、ばくり。あ。あはは。すごい。人の手って、噛み砕けるものなの。相上くんの正気を失ったような目と、うちの目が合って、テレパシーみたいに言葉が通じ合う。合ってしまった。
相上君はこう言った。目で言った。これ、すごくおいしい。
次はおまえのばんだ、って。
嫌!
「うわ、あ。美味しかったあ。ねえ美味しかったよ。僕、自信が付いたなあ。これでみみっくに一歩近づいたなあ。君も食べるね」
全部食べきったらしい相上くんがそう言って、宝箱から這い出てきた。そんな。宝箱を開けるまで待ち続けるのがみみっくなんじゃ。あ、でも宝箱は開いてるんだっけ。じゃあ、いいのか。近づいてくる。さっきまでとは、まるで別人。それとももう、人じゃなくなってしまったのかもしれない、とうちは思った。
みみっくは、モンスター。みみっくになるってことは、モンスターになるってこと。リフジンで、理屈ぬきな、怪物に。
うちは、食べられてしまうの?
「やだ……だってうち、まだおとめなでしこに、なれてないのに。ぅあ」
「いただきます」
両手をつかまれて、押し倒された。唯一持っていた数学のプリントが、手から離れてどっかに飛んでいく。無防備になったうちの、額に、相上君の唾液がぬらりと糸を引いて落ちてきて。目の前に顔が迫ってきて。思わずうち、目をつぶって――
「私の教え子に。何をしているんです」
ジャッキーの声がして。
すっごい音とともに、体がいきなり軽くなった。
「鵜ヴぁ亜」
遅れて相上くんの化け物みたいな悲鳴が聞こえた。うちが目を開けると、目の前にはジャッキーの足があった。蹴り飛ばした? あの化け物を。ジャッキーが。
ジャッキーが助けに来てくれた!
「大丈夫ですか、水中さん」
「ジャッキー!? なんで、ここに」
「忘れ物をしていましたからね。届けに来たのですが、これは大変なことになっていた」
そういってジャッキーは、片方の手に持っていたものをぷらぷらさせた。あ、うちのカバンだ。そういえば。職員室の床に置きっぱなしにしていたような。
「あちらは一体?」
「あのね、あれは2年8組の相上くんで、みみっくになっちゃって……」
うちが精いっぱいの説明をしようとしたら、8組って言ったところでジャッキーが首を傾げた。
「はて、8組?」
「え?」
「この学校には、2年7組までしかないのですが……・?」
「……え?」
「鵜ヴぁる額はァ鵜」
がし、と、急に足をつかまれる感覚。体を起こしてみたら、相上君が、ううん、みみっくがうちの足を掴んでた。すごい力でうちを引きずって、宝箱に入れようとしている!
「き、きゃ」
「鵜ヴぁ巣冠者、鵜ヴあ卸路……炉?」
「だから――私の教え子に手を出すな、と言っているでしょう」
「ヴぁ矢貴場!!??」
再び、どすっと言うスゴい音がして、今度は掴まれてる感覚は残っているのに、引きずられるのは止まった。見ると、肘から先でみみっくの腕がもげている。すごい、ジャッキー。じゃっきーちぇんも顔負けのアクション。
いつもとおんなじような優しい口調で、ジャッキーは諭すように言った。
「これ以上するのであれば、生徒の姿をしていても容赦はありませんよ?」
「ジャッキーすごい! かっこいい!」
「水中さんは立って私の後ろに」
「あ、うん」
うちは足に残ってたみみっくの手を払って、ジャッキーの後ろに回る。みみっくは手を押さえながら立ち上がって、何が楽しいのか笑い始めた。どうしてこんな状況で、笑うの? パンチ一発で倒せそうだった相上くんはどこかにいってしまったみたいだった。もう、みみっくはただのみみっくに。
ぎゅぎゅぎゅ、と音がして、みみっくの切れた腕が再生したのからも、めいはくだ。
「再生、」
「した……」
いくらでも再生できるぞ、と言ってるみたいなどや顔で、みみっくはうちとジャッキーに対峙する。いくらジャッキーがみみっくをぶっとばしても、再生されたんじゃいつかはやられてしまう。ちら、とジャッキーの顔を見ると、真剣ながらも冷や汗をかいていた。
うちが、助けなきゃ。ジャッキーをサポートして、この状況を脱しなきゃ!
「脳内会議!」うちはうちの頭に話しかけた。「うちに、知恵と力を、貸して!」
強くつよく、念じた。そしたら頭の中ですごく大きな嵐が吹いてるみたいになって、ようやくうちの頭が回り始めたみたいだった。「やれやれ。ようやくまともな議題が出たな」「ほんとうちって命にかかわる系じゃないとやる気でないよねぇ」「基本涼子ちゃんバカキャラだしねー。ちょっと考えたらわかるようなことにもうちらを使うし」「まったくだね」こんなときにうちをバカにしなくていいから、早く考えて!「あーほら、うち。カバンだよ」カバン?
ジャッキーが持ってきてくれたカバンは、うちの近くに置いてあった。「カバンに昨日、涼子ちゃんが入れなおしたのは、なんだったっけ?」脳内のうちがうちに問いかける。うちは、答える。思い出す。そっか、そうだよね。
弓野さんも言っていた。みみっくは強いから、魔法を使わないとって。
「場るよヴぁる余技木!!」
うちがカバンのフタを開けるのと、みみっくがうちに突撃してくるのは、同時だった。もしうちとみみっくの他に誰もいなかったら、うちは食べられちゃってたんだろうけど。ここには、ジャッキーがいてくれる。
「ぐっ……」
今度はさすがに蹴り返せなかったみたいで、ジャッキーとみみっくは組み合う。うちはカバンを漁る、早く、早く、ジャッキーが持ってくれるうちに! ……あった!
「ごめんね、相上くん――」
うちはそれを投げた。みみっくの中身ではなくて、宝箱のほうに向かって。脳内会議がうちに教えてくれる。最善の行動を。
これで、終わりだ。
「ぜんぶ、燃えちまえ」
「う、ヴぁあああああああああああ!!!」
うちが投げたのはライターだった。火のついたままのライターは弧を描いて、宝箱の中に入り。……彩子ちゃんの体を媒介に一気に全体を火に包む。
みみっくは、宝箱とセットで一つのモンスター。宝箱がなくなったら、生きていけない。予想どうり、みみっくは悲鳴を上げた。火を消そうと宝箱の中に戻って転がる。でももう遅い。むしろみみっくの体にも、火が燃え移っていく。お肉の焦げるにおいと、黒い煙。ごうごうとかげろうが揺らめくのをみていたら、うちはなんだか眠くなってきた。
ああ、そっか。今日はもう二回、脳内会議開こうとしたから。
「ジャッキー、ごめんね、うち、悪い子で」
炎をじいっと見つめるジャッキーにうちは、意識が切れる前に謝っておいた。
ああ、眠い。それに、色々とわかんないことだらけ。でも、いろいろわかんないこともあるけど、一つ分かることがある。このあと、うちが意識をなくして眠った後。ジャッキーはうちにこう言うんだ。
「謝らなくても、いいですよ」
って。またうちがジャッキーのこと、好きになっちゃうような言葉を。
うちの思考は、そこで途切れた。
*
一つだけ。言わせていただくと、実際には私が見ていたのは、炎ではありませんでした。
「さく、らば」
「お久しぶりですね、雀原先生。いいえ、ジャッキーと呼ぶべきかしら? 6年前と変わらないみたいで、変わってるんですね。口調も妙に優しくなって。格闘技でも習ったのかな、力が上がってた」
「……生徒を守るためだ。今回のこれは、君の仕業か」
「ええ。残念ながら失敗しちゃったけど」
炎の向こう側に居たのは、確かに桜葉彩子。
――6年前、私の過失で死なせてしまった少女でした。
水中から聞いた8組という言葉から、嫌な予感はしていたのですが、的中してしまったようです。
8組があったのは、丁度6年前の二年生の代まで。そして桜葉彩子は、2年8組でした。いつも無邪気な笑顔で、水中とは違って優等生だったけれど、水中さんと同じように。私によく懐いてくれていた生徒でした。
一度ばらばらになった体が再構築される途中のような姿で、桜葉彩子は私に語りました。
あの頃と変わらない声と、あの頃と変わらない笑顔で。
「14年前。二つ隣の県の高校で、文化祭の劇の当日にいじめっ子たちに宝箱の中へ閉じ込められて死んだ男の子がいてね。面白い素材だったから、みみっくに調教してたところだったんだけど、水中さんに見つかっちゃったからプランを変更したの。水中さんを、雀原先生についた悪い虫を、殺す方向に。ただ、びびりな心を矯正する仕上げに、私を食べさせたのは少し荒い手段でした。次はもっと、上手くやるわ」
「私は……君に、死人で遊ぶような子にはなってほしくなかった」
「ふふ。私を見殺しておいて、その言いぐさはないんじゃないかしら? せっかくだから、宣言してあげる。これからも私、学校に殺された子たちを怪物にしちゃうから。そして、先生にいろんな迷惑をかけますから。怪物たちで、私だけの、最高の2年8組を造ったら。そのときは是非、担任になってね?」
「お断りだ。君は、さっさと成仏するんだ。悪霊になる前に」
「お断りの、お断りです。それに――悪霊になんて、あなたに出会った時からなってますよ」
じゃあ、またね。
そう言い残して、私の前から少女は姿を消しました。同時に燃えている宝箱も、辺りに散っていた血も全部消えて。最初から何も、なかったかのようになってしまいました。
数秒立って、ようやく思い出した私は、振り返って水中さんの姿があることに安堵して。今頃そんなことをしているあたり、まだまだ私も未熟であると痛感せざるを得ませんでした。
*
「あ、弓野さん~! こんにちは!」
「おう、涼子。こんちー。わ、お土産?ありがとー」
「このお菓子美味しいんですよ~」
みみっくの騒動から一か月が経った、ある週末。うちはお土産に味摘屋のおいしいお茶菓子を持って、不良の先輩である弓野さんに会いに行った。徒歩でだいたい二十分。大学受験を控えた弓野さんにはあんまり時間を取らせたくなかったから家の中までは入らなかったけど、久しぶりに弓野さんとお話が出来てうちはとってもいい気分になった。
持ってきた二つの袋のうち片方に、お土産が入っている。二人でお土産のお菓子をぱくぱく食べていたら、弓野さんに質問された。
「ねえ涼子、そっちの袋には何が入ってんの?」
もう一つの袋を指差して、弓野さんが自然に訊いてきた。うちはあわてて袋を隠す。
「あ、こっちは……うちが作ったクッキーです」
「ええっ、あんたクッキーなんて焼けたっけ? 食べさせてよー、手作りクッキーとか萌えるわー」
「あの、だめなんです。これはこの後、相上くんに食べてもらうものなので」
「相上くん? え、何、彼氏? まさかあたしを差し置いて彼氏なの」
「いえ、みみっくです。この前、電話で聞きましたよね。ジャッキーが調べてくれて、このあと彼のお見舞いなんです。うちを食べさせる約束はむりだけど、せめてうちの手作りのものを食べてもらおうかなー、って思いまして」
一息に言うと、弓野さんは頭にハテナマークを浮かべて固まった。えーとどういうこと? って顔してる。当たり前か。こんなおとぎ話みたいな話、うちも信じるのに時間がかかったし。
「あとうちの本命はジャッキーなので。これは義理と人情のクッキーです」
「それ、人情いらない」
「まじですか」
「いや人情があっても別にいいけど……お見舞いねー。手作りクッキーねー。なんか涼子っぽくなくて新鮮。うん、いいんじゃない。よく分かんないけどさ、あんたも成長してるんだねえ」
じゃ、早くお見参っちゃいなさい。という弓野さんの言葉で、その場は一旦打ち切りになった。話の辞めどころが見えなくなってしまってたからありがたい。うちはお辞儀をして、弓野さんの家から出て、相上君のお墓に行くために駅へと向かう。
「あ、彩子ちゃん」
「げげ、水中涼子。なんでこんなところにいるのよ」
生垣の曲がり角を曲がると、彩子ちゃんがふわふわ浮いていた。今日も今日とておとめなでしこな出で立ちで、流行りもののかわいい服できめている。どうしてだか、彩子ちゃんは幽霊なのに見るたびに服装が違う。幽霊の服屋さんがあるんだろうか。
二回目に会ってから、彩子ちゃんは自分が幽霊だってことを隠さなくなった。
どうやら相当力のつよい幽霊らしくて、最初に会ったとき相上くんに食べられたのも、復活できるのが分かってた上でわざとやったんだって。そうすることで相上君の理性をどっかにやって、本気でうちを襲わせるために。そうやって彩子ちゃんは、あのときうちを殺す気だった。今はもう、そんな気はないみたい。一回失敗したことはやらない主義なんだそうだ。
ちなみに、相上君も幽霊だった。うち、触れられたり触れたりしてたんだけど? とジャッキーに言ったら、幽霊だからといってすり抜けるとは限りませんよ、と返されてしまった。それはそうなんだけど、それってロマンがない気がするの、うちだけなのかなあ。
ともかく今では彩子ちゃんは、うちの珍しい顔見知りだ。うちには同年代の友達が居ないから、彩子ちゃんに会うとテンションが上がる。彩子ちゃんを同年代って呼んでいいのかどうかは、ちょっと微妙なところだけれど。
「うちは相上くんにクッキーあげにいくの。彩子ちゃんは?」
「私は……そうね、次のイタズラの計画を立てていたわ。学校中の花瓶の水を赤くしてやるの。以東くんにも協力してもらって」
「以東くんって、この前の呪いのFAXのときも手伝ってくれた男の子の幽霊だっけ。……なんだかんだで仲いいじゃん。付き合っちゃえば?」
「な、なんでよ! 私はあくまでも、雀原先生のことが――う、うう、うふふ、何でもないわ。私は雀原先生のことなんてなんとも思ってないし。以東くんもしかりよ」
最近、彩子ちゃんは最初のミステリアスな雰囲気がどんどん崩れていってる。イタズラもネタが切れたのかすごく遊びっぽいのになっちゃって、ぜんぜん悪霊って感じじゃなくなってしまった。こっちのほうが親しみやすくていいから、うちは大歓迎。ちょっと面白かったので、うちはもっと彩子ちゃんをいじめてみることにした。
「でも以東くんも、その一個前のとき彩子ちゃんが連れてきた神先くんもだけど、なんかタイプが似てるよね。相上くんみたいにネクラーな感じで。タイプなの?」
「ち、違うわよ! ぶっちゃけめちゃくちゃ怖い幽霊とかもいるけど、私が怖くなって話しかけられないだけなのよ……あと、学校で死んだ子縛りだと、そういう子が多くなるってのもあるけど」
「あ、そういえば、そうだっけ。その縛りもさ、いまいち謎なんだよね。だって彩子ちゃんの死に方って」
「いやああ! それだけは言わないで! ホントに恥ずかしいから!」
「えへへ。実はこのまえブログに書いちゃいました」
「……来週殺すわ。首を洗って待ってなさい」
うわ、やばい。彩子ちゃんが最初の頃の雰囲気を取り戻してる。それどころじゃないかもしれない、体からばちばちって音を立てて雷っぽい何かが出てる。久しぶりに脳内会議。どうしよう?「逃げろ」「逃亡安定」「逃げなさい」「逃げろ」「逃げた方がいい」あ、満場一致。
「ははは、嘘だようそ。えーっと、じゃあね!」
「あっ」
うちは彩子ちゃんの体に突っ込むようにして、彩子ちゃんをすりぬけて逃げた。幽霊は、すり抜けようと思えばすり抜けれる。ここ一か月で学んだ微妙な知識。すたこらっと走って駅まで着くと、もう彩子ちゃんは追いかけてきていなかった。ちょっと来週が怖いけど、まあ、いいか。
二つ隣の県まで、電車で二時間半。うちはそこからバスに乗って、相上くんのお墓まで行った。相上くんのお墓はでっかい霊園のどこかにあるらしい。夜までかかって探すつもりだったけど、案外、それはすぐに見つかった。
お墓の前に、でっかい宝箱が置いてあるんだもん。うちが気づかないわけがない。
「開けるよ」
近づいて、宝箱のフタをゆっくり開ける。中で相上くんは、すやすやと寝息を立てて眠っていた。ジャッキーと彩子ちゃんが言ってた通り、一回全部燃えちゃったこころを取り戻すのには、ふつうかなりの時間が必要らしい。一か月待ったけど、まだだったみたいだ。
うちが見つけちゃって。うちが約束しちゃって。うちが燃やしちゃった、相上くん。うちはせっかくなので、相上くんの長い前髪をかき上げてみる。……ジャッキーの前に相上くんに会ってたら、惚れてたかもしんないな。そう思わせるには十分すぎるくらいの、寝顔だった。
「じゃ、置いとくね。またね」
うちは持ってきたクッキーを宝箱の中に置いて、フタを閉めようと手をかけた。ぎぎぎい、と音を立てて閉まるフタ。でも、手が伸びて、そのフタが閉まらなくなる。あれ?
「――みみっく第一法則」
中から相上くんの声、同時に「ひゅうん!」と手が伸びてきたかと思ったらびっくりするくらい急に、うちの目の前の光景がぐるぐるどーんって回った。ええっ。さっきまで寝てたじゃん!宙に浮いてる感じが心地いい。っていうか、腕を掴む力、強くなってる?
不思議なぐるぐるは、すぐ終わる。うちはお尻から一直線、宝箱の床にどさっと着地。
ぱち、っとライトが点いて、暗いくらい宝箱の中が明るくなって。
「遅いよ、水中さん。僕ずっと待ってたのに。暇すぎてみみっくの腕もあがっちゃったよ。びっくりした?」
相上君は、笑ってて。
「うん、びっくり。で、これは何? なんでうち押し倒されてんの」
「そりゃあ、約束を果たしぐへぇ!?」
ちょっとだけ強くなっていたみみっくに、うちは顔面パンチでケリをつけた。