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しばらくすると美咲もだんだんと落ち着き冷静さを取り戻してくる。
濡れた頬を手の甲で拭い顔を上げると、そこには俯いたままその場から動こうとしない雄大が座っていた。
今までに見たことのない様子の雄大を見つめたまま、美咲は先ほどの雄大の言葉を思い返していた。
―あのカバンは何?―
―ほかの男のところに行くなんて許さない。―
さっき雄大さんはあの女の人のことじゃなくてカバンのことを言っていた。それにほかの人のところには行かせないとも。
あの女性が好きだから別れたいんじゃないの?
そうでないなら、あの女性は何?
何がどうなっているの?
答えの出ない疑問ばかりが頭の中で堂々巡りを繰り返す。
目の前の雄大は座り込んだまま俯いていて、とても話しかけられる雰囲気ではない。
どうしよう…
ただ時間だけ過ぎていく。
考えていたって答えはみつからない…
美咲は勇気を振り絞り雄大に話しかけた。
「雄大…さん…」
美咲の声に反応して雄大の体がピクリと動く。
しかし、雄大は顔をそむけたまま美咲を見ようとはしない。
美咲は折れそうな心を再び奮いおこし、雄大の頬に手を伸ばし触れる。
「雄大さん…、私…聞きたいことがあるの」
薄暗い明りの中、美咲と雄大はベッドに腰をおろし座っている。
いつもよりすこし遠い距離が今の二人の関係をよく表していた。
静かな部屋の中、秒針を刻む時計の音と遠く走る車のアクセルの音が静かな部屋の中で響いている。
「美咲の…聞きたいことって、何…?」
沈黙を破る第一声は雄大のはっきりとした、けれども、いつもより覇気のない弱弱しい声だった。
声の先を振り向くと雄大が優しそうな、けれども、悲しそうな顔で美咲を見つめていた。
「さっき言ってただろ、聞きたいことがあるって…」
見たことのないほど悲しげな雄大の様子に美咲はどうしていいのか戸惑ってしまう。
どうしてこんなに傷ついた顔をしてるの?
あなたの望みは私がいなくなることじゃないの?
雄大の望みが美咲には理解できない。
私にどうしてほしいの?
言葉を返すことができない。
見つめ合ったまま時間が過ぎる。
すると無言のままふいに雄大が手を伸ばし美咲の頬に触れる。そして、触れるか触れないかのやさしい強さで美咲の頬をなぞる。
その手は優しい彼そのものだった。
付き合いたてのころ彼はこうして頬をよく撫でてくれた。
誰とも付き合ったこともなくスキンシップにすらなれていなかった私。
彼に触れられるたびにビクビクしていた。
でも、彼がいつもやさしくふれてくれたおかげで、だんだんとなれていきその心地よさを知った。
少しずつ少しずつ人とふれあうことの、肌と肌を触れ合わせることの幸せを少しずつ少しずつ教えてくれた。
はじめて手をつないだ日。
はじめてキスをした日。
はじめて抱きしめられた日。
そして、はじめて…体をつなげた日。
忘れていた感情が、忘れようと必死で蓋をしていた感情がせきを切ったようにあふれだしていく。
私は彼が愛してくれていたから、彼と付き合っていたの?
私は彼が愛してくれていなければ、彼を愛さなかったの?
…違う。
私は彼が好きだから、怖かったけど一緒にいたの。
私は彼が好きだから、そばにいることを望んだの。
私は彼が―――
―――好き―――
愛おしさが湧きあがってくる。
そばにいたい。この人に愛されていなくとも私は間違いなくこの人を―――。
心を厚く覆って居ていた雲が晴れ、そこに残ったものは暖かな太陽。
美咲の心ははっきりと決まった。
「私…、私は雄大さんが好きです。雄大さんが…私のことをもう好きじゃなくても、
私は…私は雄大さんだけが…」
想いがあふれる。
雄大のことが好き。大切なのはその気持ちだけだった。
美咲は思わず雄大に抱きつく。そして、背中に腕を回し、ギュッと力込めた。
そして、いつのまにかあふれ出た涙がまた頬を伝った。
「……俺を…好き…?」
思いもよらない美咲の告白に雄大は状況を把握できず、呆然としていた。
先ほど、泣かせるほどひどいことをしてしまった美咲。なじられ、別れを突きつけられても仕方がないと覚悟していたのに。
現実の美咲は好きだといい、雄大に抱きつて涙を流している。
わからない。
あのカバンは出て行こうとしていたんじゃないのか―――?
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