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ここに、彼の家に来た時、私の荷物はこのカバン一つだった。

今まで住んでいた部屋から彼の家に移る日、彼は「お前だけいればいいよ」と言って私の手からカバンを奪ってすたすたと歩いて行ってしまった。

びっくりして呆然としていると彼が振り返って、手を差し出して「来いよ」と言ってくれたのを今でもはっきりと覚えている。


荷造りをしていると色々な思い出が美咲の中を駆け巡る。

引っ越してから初めてのデートで買ってもらった淡いブルーのスカート。クリスマスのデートに着たらと言ってプレゼントされたワンピース。一つ一つ手にとっては幸せだった思いがあふれてくる。


雄大さん…。


今一人この部屋を出て行って私はまた新しい一歩を踏み出せるだろうか?

きっとそんなことできない。彼への想いを、彼との思い出を整理できないまま前に進むこともできずに幸せだった思い出にきっとすがってしまう。


美咲は手に持ったワンピースを抱きしめ、両手にぎゅっと力を込めた。

きちんと振ってもらおう。そうでないと私はきっと前に進めない。

そのために彼の帰りを待たなくちゃ。

美咲は少しずつ心の整理をつけながら荷物の整理を再開した。



もう十分だよね。

本棚にもクローゼットの中にも美咲のものは何ひとつ残っていない。外に出ているのは食器棚のお揃いで買った食器だけで、こればかりは彼が帰ってくるまで使うので片付けるに片付けられないでいる。あとの荷物は紙袋とボストンバックに詰めた。持っていくものは自分で持ち込んだもののみでそのほかのものはすべて次のごみの日に出すようにまとめてある。



出ていく準備はできた。




翌日、仕事から帰ると朝きちんと鍵を閉めたはずの玄関のドアがするりと開いた。

いつもならこんなことはない。もしかして鍵かけ忘れた?いや、そんなことないし…。

中をのぞくと廊下には明かりが煌々とついている。

まさか泥棒?どうしよう…捕まえるにも私1人では…。

美咲が困ったように顔を俯けると視界の中に1足の男物の靴が飛び込んできた。

…うそ――

動揺する心を何とか冷静に保とうとするも、思ったようにはいかない。

大丈夫…大丈夫……

言い聞かせるように心の中でつぶやく。

そのまま玄関にとどまっていると美咲…?と奥から彼の声が聞こえた。

「た…ただいまっ」

我に帰ると美咲は少しあわてて靴を脱ぎ中に入って行った。

リビングへと続くドアを開けようと手を伸ばすも、その前にドアが開いていく。

「あ…ありがとう」

見上げると目の前にはいつも通り優しい顔をした雄大がいた。

「おかえり、久しぶりだね」

雄大はそういうと美咲の手から荷物を取り奥へ戻って行ってしまう。

「あり…がとう。いつ…帰ったの?」

のどが渇く。息が荒くなっていく。

美咲は冷蔵庫を開けペットボトルを取り出すと、そのまま水を飲んだ。

冷たい水にのどの渇きは癒され、一瞬で頭がクリアになる。

「えーっと、4時30分頃だったかな」

リビングの奥から雄大の声が聞こえる。

美咲はペットボトルにフタをすると、冷蔵庫に戻す。

「そう」

対面式のキッチンなので横を見ればすぐにリビングの様子が見える。

これから話をするのね。

そう思うと自然と体に力が入ってしまう。美咲は両手で頬を軽く叩いた。

前に進まなきゃ。

美咲は意を決してリビングの方を振り向いた。

あれ?

ソファーに座っていると思っていた雄大はそこには居らず、美咲の鞄だけがテーブルの上にちょこんと置いてあった。

「雄大さん?」

思わずリビングを見渡す。

あれ?寝室にいるの?

リビングの先には寝室しかない。

しかし、リビングの向こうに見える寝室は真っ暗で明かり一つ点いていない。

リビングを通り過ぎ、寝室をのぞくとリビングの明かりがさしこむ向こうにワイシャツのままベッドの淵に腰掛け前をじっと見ている雄大が見えた。

「明かりつけようか?」

聞きながらスイッチに手を伸ばす。

「いや、いい」

雄大の言葉に美咲の伸ばされた手が止まる。

「仕事大変だったの?もう休む?」

いつもとは違う様子に美咲は少し心配になる。

「いや、仕事は平気だよ。心配掛けてごめんな」

雄大は美咲の方にちらりと顔を向けちいさく微笑むとまたすぐに視線を戻してしまう。

部屋の中は薄暗く雄大の白いYシャツ姿がぼんやりと浮かび上がっていた。

そして、少しの沈黙の後おもむろに雄大が口を開いた。

「美咲に聞きたいことがあるんだ」

雄大は低く柔らかな声ではっきりと言い、美咲の方へ顔を向ける。

「な、なに…?」

心の準備はできていたはずなのに、雄大に見つめられると一瞬でそれが崩れてしまう。

美咲は両腕で自分を守るかのようにまわした。

もういい加減気づいているんだってこと?

わかっていたのに、覚悟をしていたのに、雄大に直接言われるかと思うと心がついていかない。

美咲は目をぎゅっと閉じ、からだを固くして、雄大の言葉を待った。

「あのカバンは何?おれに黙って出て行く計画でも立てていた?」

え?

投げつけられた言葉は想像していたものとは違っていた。

美咲が驚いて目を開けると、笑顔の消えた雄大がそこにいた。

雄大は近づいてくると強引に美咲の腕を掴み、壁に押さえつける。

「痛っ……。な…何するの?」

いつもとは違い乱暴な雄大に美咲は動揺を隠せない。

「ちょっと前から様子おかしかったよな。気づいてなかったとでも思っていたのか?」

雄大は美咲を見つめ、表情を変えることなく言う。

「ほかの男のところに行くなんて許さない。絶対に許さないからな。絶対に、だ」

言い終わるとすぐに奪うようなキスが美咲を襲う。

予想もしていない展開に美咲の頭がついていかない。

どういうこと?

あの彼女は?

呆然としている美咲に貪るように繰り返されるキス。美咲は考える余裕もない。

「ちょっ…やめ――」

美咲が避けるように顔をそらすと、雄大は掴んでいた手を一纏めにし、片手で壁に縫い付けるかのように押さえつける。

そして空いた方の手で美咲の顎を掴み、顔を固定しキスを続けた。

美咲の言葉など聞こえないかのように雄大は続ける。

どれくらいの時間キスをしていたかわからない。

抵抗するにしても体格の違いすぎる雄大相手では勝負にならない。

美咲はされるがまま雄大に身を任せるしかなかった。

張りつめていた緊張に、想像もしていない展開、いつもと様子の違う雄大。どうしていいのかわからない状況に美咲の心はいっぱいいっぱいになってしまい、対処しきれない感情が涙となってあふれる。

突然に唇が離れ、掴まれていた手も離され自由になった。

目の前には目を大きく見開いたまま呆然と美咲を見つめる雄大がいた。

「ご…めん」

聞き覚えのある雄大の優しい声にホッとしたのか急に体に力が入らなくなり美咲はその場に倒れ込んでしまいそうになる。

「おい、大丈夫か?」

いきなり倒れ込もうとする美咲の体を支えようと雄大はとっさに手を伸ばし支える。

そしてゆっくりと体を支えながらその場に座らせた。

寝室の床は冷たくひんやりとしていた。

座らされた美咲はゆっくりと顔を上げ雄大を見つめる。

そして、ゆっくりと美咲の頬に2筋目の涙が流れた。

「…ご、ごめん。美咲…」

雄大はそっと右手を伸ばし美咲の頬に触れようとする。

「いやっ」

美咲は小さく悲鳴を上げ、小さな体をより小さく縮込ませる。

伸ばされたまま行き場のない手。

雄大は顔をゆがませると、そっと視線をそらせた。

美咲は声も上げす、ただじっと涙を流した。

美咲の鼻をすする音だけが薄暗い部屋の中に静かに響いていた。



読んでくださりありがとうございます。なかなか難しいですね。毎日更新してる人が神様に見えてきます。

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