亡霊と踊れ、どのみちジャックはどこにも行けない
その日はハロウィンだった。今年十九になる青年ルーファスは荘園領主である兄に命じられて村はずれの朽ちかけた小屋に赴いていた。
その小屋には昔からジャックと呼ばれる男が一人で住んでいた。その男を荘園の従業員として勧誘する。それはルーファスが幼いころに亡くなった祖父と、つい先日こちらも亡くなった父両方の遺言だった。
ルーファスの兄の仕事は多い。それは主に農奴たちの管理だ。豚を飼う許可、粉ひき水車を使う許可、その土地に住み続ける許可……。様々な権利を掌握し、税を取る。それが荘園領主だ。ルーファスは主にその手伝いをして生きていた。
(俺は荘園を継げない。一生こんな小間使いをして人生を終えるのだな)
小屋に向かうルーファスの足取りは重い。歩いているうちに、彼は子供の頃のハロウィンを思い出していた。
***
「あの家には神様と悪魔を同時に怒らせたせいで、天国にも地獄にも行けない男が住んでいます。だからあの家には近づいてはいけませんよ」
村の子供たちはジャックについてそう教わっていた。天国にも地獄にも行けないというのは死ねないという意味だ。
「ジャックは年を取らないらしいぜ」
「片足が木でできてるらしいぜ」
そう言って子供たちはジャックを恐れた。
幼く無鉄砲だったルーファスは、その日誰にも言わずにジャックの家までお菓子をもらいに行った。
小さな手にカブのランタンが揺れる。これがあればハロウィンのおばけも怖くない。
隙間風がひどそうなジャックの家のドアを叩くと、ルーファスはハロウィンの決まり文句を口にした。
「いたずらか、お菓子か!」
かつんかつんというおかしな足音のあと、ぎいと軋むドアが開いて中から黒い頭がぬっと突き出す。
ルーファスはその時初めてジャックの姿を見た。
「こんな家にまで来るんじゃない」
「え、わ、わあ」
緩いウェーブを描く黒い髪の間から尖った長い耳がにょっきりと飛び出していた。目は猛禽のように黄色く、それだけでルーファスはジャックが人間ではないのだとわかった。
足が木でできているというのも本当だった。ジャックの右足は途中から義足になっていたのだ。
しかし、ルーファスが息を飲んだ理由はそれだけではない。ジャックはルーファスが見たことのないくらい、美しい顔をしていたのだった。
「仕方ない、ビスケットのあまりくらいしかないが……。ほら、これでいいか?」
「う、うん。ありがと……」
白く優美な指がビスケットをいくつかつまんでルーファスの持っていた袋の中に落とす。
来るときまでは一人でジャックの家に行ったことを友達に自慢しようと思っていたルーファスだったが、彼は結局それを誰にも言わずにもらったビスケットも一人で食べた。
それはほとんど甘みのない、ひどく簡素な味がした。
***
(どうしよう、眠れない)
その夜。ルーファスは昼間見たジャックの美しい顔がちらついて、まんじりともできずにいた。
人間離れした尖った耳、かたちのよい眉、眩く白い額。宝石のような黄色い瞳、長い睫毛、すっと尖った鼻梁、大きすぎない赤い唇。そのすべてがルーファスの幼い心を支配していた。
(ちょっとだけ……ちょっとだけならバレないよね)
ルーファスはもう一度ジャックの家に行くことにした。
行ってどうするのかなど決めてはいなかったが、手の中のランタンと胸の内の拙い好奇心からなる情熱があれば、夜道も怖くはなかった。
そして彼は、それを見た。
「おお……、おおお。おお……」
その恐ろしげな声は小屋の外まで響いていた。それだけでルーファスの肝は冷え、逃げ帰ろうかと思った。
しかし好奇心に負け、ルーファスは窓から中を覗く。
中では、シーツを被ったおばけが奇妙な踊りを激しく踊っていた。おお、おおという唸り声はそのおばけがあげていたのだ。
(ハロウィンのおばけだ……!)
そこまで見て、ルーファスは初めて踵を返した。しかし、数歩逃げたところで立ち止まる。
(家におばけがいたらジャックはきっと一人で怖いよね……)
そう思ったルーファスは小屋の軒先に自分が持ってきたランタンを吊るした。そして、自分は真っ暗な道を走って帰った。
次の日ルーファスは熱を出して寝込んだ。それきり、次の年のハロウィンからはジャックの家に行くのをやめた。
***
「領主の次男か。何の用だ……」
あの日と同じく、カツンカツンという足音に続いて顔を出したジャックはあの頃からまったく年を取っていなかった。
大人になってから見るとジャックの風体は思ったよりみすぼらしかった。髪はよれてパサパサだし、服もボロボロだ。ただ、その顔の造りは変わらず美しいままだった。
「父の遺言で、うちで働かないかと……」
「チッ、あきらめが悪いな、君の家も……」
ジャックが下品な舌打ちをする男だとルーファスは初めて知った。
子供のころに感じた神々しさは目の前の男にはなかった。それはジャックが変わってしまったのか、自分が大人になったせいなのか。
ただ、目の前の男には子供には感じ取れない生々しい色気があった。
「君の家には行かない。エルフの誇りがあるからな……」
祖父と、父と。二代にわたっての男の欲望をこの年を取らない男が肉体で受け止めていたということを、ルーファスはもう知っている。その見返りに税をまけてもらっていたことも。
なんのことはない。あの日窓から見たシーツのお化けは、絡み合うジャックとルーファスの父であったのだ。
(娼婦のような真似をして、何が誇りだ……)
ルーファスの胸にじわりと怒りの感情が湧く。
「人間の家で飼い殺されるくらいならここで朽ちて死んだ方がましだよ。エルフの私がどうして長くここに住んでいるか知っているか?」
ジャックの黄色い目は諦めとひねくれに濁っているように見えた。ルーファスは黙って彼の言葉を聞いた。
「旅の途中で私はこの土地にちょっと寄っただけだったんだ。そして君の祖父に言い寄られた。ちょっと面白いと思って……相手をしたのが馬鹿だったよ」
扉の横に置いてある簡素な椅子に腰かけ、ジャックは義足の足を撫でる。
「求愛を断ったら、足を斧で切断されてしまったんだ。君の祖父だよ。やったのは。それ以来、私はもう故郷には帰れない。どこにも行けない」
「……」
「ジャクリエルという輝かしき我がエルフの名を呼ぶ者も、いない」
ルーファスにとって、この美しい人の足を損ねたのが自分の祖父であったという事実はそれなりにショックだった。
加えてこの話を、現領主である兄が知らないとはルーファスには思えなかった。
(爺さんと親父は違うだろうが、兄貴は先祖の醜聞をこうやって簡単に口にしてしまう男を囲い込み、全てなかったことにしようとしているのだな)
そしてそれを弟にやらせようというのだ。もはや何に対してかわからない怒りがルーファスの胃の腑にどろりどろりと溜まっていく。
ふと窓辺に目が向いた。そこには、あの夜にルーファスが置いて行ったカブと同じ顔の穴が開いた新しいランタンがぶらぶらとぶらさがっていた。
あれ以来ルーファスはここには来ていない。あれはジャックが自分で作って下げているのか。
ランタンから目を離し、ルーファスは再び腰掛けて背が低くなったジャックを見下ろした。白い首筋から胸へ降りるなだらかな稜線が見える。それを見た瞬間、ルーファスは祖父が、父がこの男に魅了された気持ちを理解した。わかってしまった。
「……おお」
野良仕事で荒れた手が衣服を乱しても、ジャックはそれしか言わなかった。
ルーファスは幼い日のハロウィンと同じように、自分だけの秘密を作る。ジャックの肉体を祭壇にしたハロウィンの祭典。誰も知らない。兄も知らない。
あの日と変わらぬ声色で呻く声を聞きながら、ルーファスはシーツのおばけとなって背徳にむせび、踊った。
***
「……ここは、どこだ」
小さな馬車の御者台で馬を駆るルーファスの背後で、失神から目覚めたジャックが呟いた。
彼は自分が元いた村からかなり遠くまで運ばれているということに気付き、身を起こしてルーファスを問い詰める。
「……一体なんのつもりだ。君は領主家の息子だろう? こんなことをしていいのか、戻りなさい……!」
取り乱すジャックに対して、ルーファスは落ち着いていた。
「俺があんたを故郷まで連れていく」
ルーファスの答えを聞いて、ジャックは美しい顔を呆然とした表情に変える。
「……人間は勝手だ。君は、君の祖父そっくりだ……!」
「それでもいい。あんたがどこにもいけないなら、俺はあんたの道を照らすランタンになるよ」
ルーファスの言葉を聞いて、ジャックは馬車のひさしにカブのランタンがぶら下がっていることに気付いた。
「俺はあんたが好きだ。ジャクリエル」
ランタンの後ろから朝の光が射して、ジャックは眩しそうに目をすがめる。
旅立った二人がたどり着くのは天国だろうか、地獄だろうか。
明け方の秋の空は馬鹿馬鹿しいほどに晴れ渡っていた。
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