第98話:聖女の鑑定
街の北側、石造りの古い教会。静謐な祈りの声が漏れる門を潜ったアドルを待っていたのは、白百合のような静けさを纏った一人のシスターだった。
「……シスター・マリアか?」
アドルが声をかけた瞬間、マリアはアドルの包帯を巻いた右手をじっと見つめ、その瞳に形容しがたい光を宿した。
「……その右手。……あなた、あの方に選ばれた『資格者』なのね、お名前を伺っても?」
「……アドルだ」
マリアは手際よく二人を礼拝堂の奥にある私室へと促した。
ミーシャはアドルの肩を借り、折れた右足を引きずりながらも、痛みに耐えて唇を噛み締めている。
アドルは彼女を清潔な寝台に座らせると、マリアの前に立ちはだかるようにして問い詰めた。
「詳しい話をする前に、まずこいつの足を治してくれ。……そのあと、あんたに聞きたいことがある」
「ええ、分かっているわ。……痛むでしょうけど、少し我慢してね」
マリアは迷いのない手つきでミーシャの足に触れる。
アドルはポーチから回復薬Bを取り出し、マリアに手渡した。
「これを使ってくれ。さっき使ったが、完治まではいかなかった」
「……上質な薬ね。でも、骨がこれだけ砕けていると、表面的な再生だけでは歪みが残るわ」
マリアは薬を傷口に流し込み、その上から自らの掌を重ねた。
シュゥゥゥ……。
掌から溢れ出した白銀の光が、薬の成分を芯まで浸透させていく。
ゴリッ、ミシミシ。
骨が噛み合い、細胞が爆発的に再生する瑞々しい音が響く。
「……っ、あ……あぁっ!」
ミーシャが激痛に身を悶えさせ、アドルの腕を強く掴んだ。アドルはその手を握り返し、マリアを睨みつける。
数十秒後、マリアが額の汗を拭い、手を離した。
「……痛みは引いたはずよ。ただ、急造の再生。今日一日は、その足を地面につけないこと。いいわね?」
「……ありがとう。助かったわ」
ミーシャが荒い息を整えながら、少しだけ血色の戻った顔で微笑む。だが、アドルの表情は依然として険しいままだった。
彼はマリアを部屋の隅へ追い込むようにして、低い声で切り出した。
「さて、本題だ。……あんた、何者だ? なぜ俺たちが『資格者』だと知っている。セレネとはどういう関係だ? 聞かせてもらおうか」
マリアはカーテンを固く閉ざすと、アドルの刺すような視線を真っ向から受け止めた。
「……警戒するのは無理もないわ。私はね、セレネたち『末裔』とは別の道で、あの方……錬金術師の祖に仕える者よ」
「別の道だと?」
「ええ。セレネは表の世界で資格者を見つけ、導く役割。私は、この街に留まり、地脈の汚染を食い止めながら、現れた資格者の『質』を見極め、知識を向上させる役割。……いわば、あの方にとっての『外の目』と『内の楔』ね」
マリアは自嘲気味に笑い、窓の隙間から遠くに見える王宮を指差した。
「なぜ知っているか……。私は20年前、魔族が王妃様を殺したあの夜、あの方に命を救われた。それ以来、この教会の地下で地脈を守りながら、いつか現れるはずの『あなた』を待つように命じられていたのよ」
「……あの方に、直接命じられたってのか?」
「そうよ。……でも、名前までは聞いていない。だからあなたが誰なのか、どういう素性なのかは知らないわ。……でも、その右手に刻まれた紋章の波長。それは、20年間私の耳の奥で鳴り続けていた音と同じだもの」
アドルは一歩踏み込み、マリアの顔を覗き込む。
「セレネとは協力関係にあるのか? それとも……」
「……協力、というほど仲良しではないわね。あの子たちは森の平穏しか見ていないけれど、私はこの街の腐敗を肌で感じてきた。……アドルさん、今のこの街は魔族の巣窟よ。王妃に化けたイザベラが、王の魂を食らい、国を内側から作り変えている」
マリアは懐から、漆黒の手袋を取り出し、アドルに差し出した。
「それを着けなさい。私の聖力で編んだ、認識阻害の術式よ。それがあれば、魔族の探知も、王宮の兵たちの目も誤魔化せる」
アドルは無言で手袋を受け取り、右手に嵌めた。ぴったりと吸い付くような感覚と共に、右手の不気味な疼きがふっと遠のく。
「……禁書庫で、20年前の『王妃殺害記録』の欠片を探しなさい。セレネたちは『合格すれば情報をやる』なんて悠長なことを言っているけれど、そんな時間は残されていない。イザベラは、世界を滅ぼすための『門』を開こうとしているわ」
「……あんた、俺に何をさせたいんだ」
「私はただ、この20年間の悪夢を終わらせたいだけ。……禁書庫へ行きなさい。そこで真実を知った時、あなたが戦う道を選ぶなら、私は持てる全ての知識をあなたに授けるわ」
部屋の窓の外、通りを軍馬が駆けていく音が聞こえる。
アドルは黒い手袋を嵌めた拳を強く握りしめ、ミーシャの安らかな顔を確認すると、マリアの瞳の奥にある深い絶望と、微かな希望の色を読み取った。
王都に渦巻く不気味な影。
だが、異変はここ王都だけで起きているわけではなかった。
遠く離れた地、リュステリアの屋敷。
アドルの不在を守るその場所に、一台の馬車が傲慢な音を立てて近づいていた。
御者台から降り立ったのは、冷ややかな笑みを浮かべた男、ギルバート。
「さて、税の徴収といこうか……」
彼の手には、屋敷を揺るがす不吉な書状が握られていた。




