第96話:螺旋の代償
地鳴りのような駆動音が、地下回廊の冷え切った空気を震わせた。
巨大なマギ・ゴーレムが、数百本もの腕を意志を持つ触手のように蠢かせ、アドルたちへと向け直す。
その鏡面のような無機質な瞳には、慈悲も躊躇も存在しない。
アドルは全身の筋肉痛に耐え、震える指先で懐から鉄屑の塊を掴み出した。
複製錬金の素材だ。
脳内のレシピを高速で検索する。
この重い体で剣を振り回しても勝ち目はない。
だが、磁力スライダーの部品として何度も作ってきたあの楔なら、構造は熟知している。
「ミーシャ! 九十秒……いや、六十秒でいい! 奴を足止めしてくれ!」
アドルが叫ぶように指示を飛ばす。
「スライダーのアンカーを複製する! 奴の機動力の支点を潰す一点突破だ。それまで、何としても持ちこたえてくれ!」
「……分かったわ! やってみせる!」
ミーシャが杖を構え、アドルを背にかばうようにして一歩前へ出た。
アドルの手の中で、青白い錬金光が細く灯り始める。
複製。
それは無からの創造ではない。
緻密な術式の構築と、物質の再構成。
どれほど慣れたレシピであっても、この巨大な質量を錬成するには、意識を削るような集中と、決して短くない時間が必要だった。
◇
ヒュォォォォォ!!
ミーシャが放った風の障壁が、ゴーレムの放つ無数の腕を弾き飛ばす。
ガガガガガッ! と、火花を散らしながら腕が石床を削り取る。
だが、敵の数は圧倒的だった。
一本を弾けば十本が襲いかかり、十本を逸らせば百本が頭上から降り注ぐ。
「ウインド……ブレス!」
ミーシャの叫びも虚しく、風の壁が物理的な物量の前に軋み、砕け散った。
逃げ場のない回廊で、一本の巨大な腕がミーシャの足元を正確に薙ぎ払う。
バキィィィィィィッ!!
「……っ、ああぁぁぁぁぁっ!!」
耳を塞ぎたくなるような、生々しい破壊音が響き渡った。
衝撃で吹き飛ばされたミーシャが壁に激突し、その場に崩れ落ちる。右足の脛が不自然な角度で歪み、激痛に顔を歪める。
「ミーシャ!!」
アドルの絶叫。
視界が怒りと焦燥で赤く染まる。
だが、錬金光はまだ半分も満ちていない。
ここで手を離せば、すべてが霧散し、二人に待つのは死のみだ。
「だ……大丈夫……まだ、終わってない……!」
ミーシャが、杖を支柱にして必死に立ち上がった。
折れた足からは、一歩動くたびに意識を刈り取るような痛みが這い上がる。
震える足に無理やり重心を乗せ、彼女は両手で杖を強く握りしめた。
その奥にある意志の灯火は消えていない。
「二重螺旋……詠唱……開始……!」
ミーシャの声が重なり合う。
一人の口から、二つの異なる呪文が同時に紡がれる奥義。
彼女の周囲で、青と緑の魔力が螺旋を描きながら狂ったように渦巻き始めた。
鼻孔から血を流しながら、ミーシャは己の精神を削り、巨大な魔法陣を空中に固定する。
「風よ、荒れ狂え……! 嵐の檻!!」
ドォォォォォン!!
猛烈な竜巻がゴーレムを包み込み、その巨体を一箇所に繋ぎ止める。
凄まじい圧力と遠心力が、ゴーレムの腕を次々と引き千切っていく。
だが、ダメージを負っているミーシャの状態では肉体が限界を超え、彼女の肌の至る所から毛細血管が浮き上がり、破裂し始めていた。
◇
「……っ、あと、十秒……五秒……!」
アドルの手の中で、ついに光が収束した。
ズシリと、右手に鉄の重みが戻る。
完成したのは、磁力を極限まで高めた巨大なアンカー楔だ。
アドルは痛む脚を蹴り、地を這うようにしてゴーレムの足元へと肉薄した。
ガラハドの言葉が脳裏をよぎる。
――重心を感じろ。巨大な敵ほど、その支えは脆い。
ゴーレムが竜巻を強引に引き裂き、残された腕を振り上げた瞬間。
アドルは、ゴーレムが全質量を預けている右脚の関節部……そこにある、小さな魔力の継ぎ目を見抜いた。
「そこだぁぁぁっ!!」
アドルは全身の重みを楔に乗せ、一点へと叩き込んだ。
ガツゥゥゥゥゥン!!
高純度の磁力が関節に食い込み、凄まじい反発力で内部の術式を食い破る。
ギィィィィィィ……ガガッ!
重心を失った巨大な質量が、自らの重さに耐えきれず、ゆっくりと傾いていく。
ズルリ、という摩擦音が虚しく響き、マギ・ゴーレムはそのまま地下回廊の壁へと倒れ込み、沈黙した。
◇
静寂が戻る。
埃の舞う暗闇の中で、アドルは荒い息を吐きながら、動かなくなったミーシャの元へ駆け寄った。
「ミーシャ! しっかりしろ!」
アドルは即座に腰のポーチへ手を伸ばし、一本の小瓶を引き抜いた。青い液体が揺れる、回復薬B。
彼は迷わずその栓を抜き、ミーシャの折れた足と口元へ振りかける。
ポーンッ、と抜けた栓が床を転がり、液体の飛沫がミーシャの傷口を覆った。
「……あ、うっ……」
「これを使えば痛みは引くはずだ。……頑張れ、ミーシャ」
回復薬Bの効果により、彼女を苛んでいた激痛の鋭さは和らいでいく。
腫れが僅かに引き、荒かった呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻すが、歪んだ骨までは元に戻らない。
皮を突き破らんばかりの骨折を完治させるには、この薬では出力が足りなかった。
「……アドルさん……。……勝てた、のね……」
ミーシャは薄く目を開け、安堵したように微笑んだが、そのまま再び深い意識の底へ沈んでいった。
「……たいしたもんだ。死なねぇ程度に加減はさせたつもりだったが、まさかあれを止めちまうとはね」
闇の向こうから、老婆の乾いた声が聞こえてくる。
彼女は悠然と歩み寄り、アドルの右手の甲に刻まれた紋章をじっと見つめる。
「合格だよ。……だがね、資格者。その娘を助けたいなら、今すぐここを出るんだ。ここは、一度扉が閉まれば、次の太陽が昇るまで開かない禁域さ」
「何だって……!? 出口はどこだ!」
アドルが叫んだその時、頭上の石床が、轟音と共に内側から爆散した。
降り注ぐ瓦礫の中、一人の人影が音もなく着地する。
「……適合試験、終了です」
そこに立っていたのは、昼間の穏やかな微笑を完全に消し去り、冷徹な仮面を纏った司書、セレネだった。
彼女の手には、先ほどまで老婆が持っていたものと同じ、禍々しい鍵が握られていた。




