第90話:星空の特訓宣言
関所の門を潜り抜けたところで、アドルはようやく鉄のソリの速度を落とした。先ほど激突したダメージを回復薬で誤魔化したものの、全身の倦怠感までは拭えない。
街道から少し離れた、見晴らしの良い草原へと鉄の塊を滑らせると、アドルは深く息を吐いて操縦席から降りた。
「……アドル、すまんが今日はここまでにさせてくれ。私の三半規管が、これ以上の『跳躍』に耐えられそうにない」
ガラハドが鉄の箱から這い出るようにして降りてきた。
かつての伝説の剣聖としての威厳はどこへやら、その顔は青白く、足取りはおぼつかない。
ミーシャもそれに続き、草の上に座り込んだ。
「賛成です……。私も、地面が動いていないことを確認しないと、お弁当が喉を通りそうにありませんわ」
「じゃあ、今日はここで野宿にしましょう。準備は任せてください」
◇
アドルは体力の回復を待ちながら、手際よく野営の準備を開始した。
かつて培ったサバイバル能力に、今の彼の錬金術が加われば、野宿はもはや「移動式の高級宿」へと変貌する。
「複製錬金……キャンプセット、展開」
アドルが地面に手を触れると、魔法陣が広がり、中から頑丈なアルミフレームの大型テントが現れた。さらにその内部には、厚みのある高反発のマットレスと、保温性に優れた羽毛の寝袋が並ぶ。中央には魔石を熱源とした、煙の出ない調理用コンロが鎮座した。
「……アドルよ。君の錬金術は、戦いよりもこういった生活の質の向上に全振りしたほうが、歴史に名を残せるのではないか?」
ガラハドが、ふかふかのマットレスに腰を下ろして感銘を受けたように呟いた。
「これでも俺の故郷では普通なんですよ。……さあ、ミーシャ。カミラさんの料理、何にする?」
「そうね、初日だし景気よくいきましょう! はい、これよ」
ミーシャが異空間から取り出したのは、カミラが「初日の夜用」と銘打っていた特製の木箱だった。
蓋を開けると、そこには分厚く切られたローストビーフ、彩り鮮やかな温野菜のコンフィ、そしてアドルが大好きな黄金色のフライドポテトがぎっしりと詰まっていた。
「……ほう、これはまた。冷めているはずなのに、まるで今しがた作り終えたような輝きだな」
ガラハドが目を丸くする。
三人は焚き火の代わりに魔石ランプを囲み、カミラの愛情が詰まった食事を口にした。肉の旨味がじゅわりと広がり、三人の疲弊した心と体に活力が戻っていく。
◇
食後、温かい茶を啜りながら、ガラハドが改めて鉄のソリを眺めて切り出した。
「ところでアドル。先ほど言っていたあの『磁力』の仕組みだが、改めてこの速度には驚かされる。地面をアンカーにして引き寄せ、帆で止まる……理屈は聞いたが、実際あの関所までは馬車をどれだけ飛ばしても通常は三日はかかる。それを君たちは、一日どころか数時間でやってのけた」
「やっぱりそれくらい短縮できてるんですね。よかった、計算通りだ」
「計算通り、か。恐ろしいものだな。このままの速度で突き進めば、王都までは一週間程度でたどり着けるだろう。……当初、私は移動だけで三週間は見積もっていたのだがな」
ガラハドは少しだけ真剣な目つきになり、アドルを見据えた。
「アドル、提案がある。移動時間がこれほど短縮できたのであれば、浮いた時間をすべて君の訓練に充てたい。王都に着くまでに、せめてBランク上位と渡り合えるだけの身体能力を叩き込む」
「修行、ですか」
「そうだ。君には剣の資質がないと言ったが、それは逆に言えば、基礎すらできていないということだ。基本の型と、何よりあの黒犬の圧に耐えうる精神力を養う。……それから、お嬢さん」
ガラハドがミーシャに向き直る。
「アドルが私としごき合っている間、君は周囲の森を探索し、素材を蓄えておくといい。アドルの錬金術には大量の資材が必要だろうし、君自身の魔法の研鑽にもなるはずだ。一人で動くことになるが、大丈夫か?」
「ええ、任せてください。アドルさんのために、見たこともないようなレア素材をたくさん見つけてきますね」
ミーシャが意気揚々と答えた。
アドルも、その提案に異存はなかった。
今の自分に足りないのは、圧倒的な「地力」であることを誰よりも自覚していたからだ。
◇
話が一段落したその時だった。
夜空から鋭い鳴き声が聞こえ、一羽の巨大な影が舞い降りてきた。
「クワァ!」
「あ、ピヨちゃん!」
ルルが持たせてくれた通信用の鷹、ピヨちゃんだった。ピヨちゃんは器用にアドルの腕に降り立つと、その脚につけられた小さな筒を差し出した。
「もう届いたのか。……ルルのやつ、張り切ってるな」
アドルが筒の中から手紙を取り出す。そこには、ルルの拙いながらも力強い文字が躍っていた。
『アドルさん、ミーシャちゃん、ご無事なの? ピヨちゃんがちゃんと届いたら、このじゃがいもの種をピヨちゃんの袋に入れて送り返してほしいなの! こっちで植えて、アドルさんが帰ってくるまでに大収穫祭をする準備をするのなの! パピィもアーサーも寂しがってるけど、みんなで屋敷を守ってるから安心するのなの!』
手紙には、じゃがいもの小さな芽が一つだけ同封されていた。アドルは思わず吹き出した。
「あはは、ルルらしい。じゃがいもは芽だけ植えても育たないのにな……じゃがいも自体を持てるだけ待たせてあげよう、それにしても向こうはもう大収穫祭の心配をしてるよ。パピィたちも元気そうだな」
「ふふ、あの子なりに寂しさを紛らわせてるのかもね。……カミラさんの『三ヶ月の期限』より、ずっと早く帰らなきゃ」
ミーシャの言葉に、アドルは深く頷いた。ガラハドはそんな二人を眺めながら、微かに微笑んだ。
「……いい家族だな。ならば、その期待に応えるためにも、明日の朝からは覚悟しておくことだ、アドル。地獄の基礎訓練を始めるぞ」
「……お手柔らかにお願いします」
アドルの言葉に、ガラハドは「断る」と一蹴した。
静かな星空の下、アドルは明日の筋肉痛を予感しながらも、不思議と心地よい高揚感と共に眠りについた。




