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第9話:カルンの村と、忍び寄る牙

森の境界を抜けると、肌を刺すような湿った空気が、乾いた陽光の熱へと一変した。

アドルの背中を走る鈍い痛みは、先ほどの死闘の証として刻まれている。

「……見えた。あそこだよ、僕たちの村だ!」

レオンが指差した先には、丸太を組み上げた質素な柵に囲まれた集落――カルンの村があった。

一見すれば穏やかな山間の村だが、アドルの瞳にはその綻びが克明に映り込んでいた。

手入れの止まった麦畑。

随所に継ぎ接ぎされた、強度の足りない防壁。

そして、人々の手に握られた、刃こぼれした農具。

(……想像以上に疲弊しているな)

村の入り口へと差し掛かると、数人の男たちが槍を構えて立ち塞がった。

「止まれ! 誰だ……っ、レオン! リナじゃないか!」

「父さん! 無事だよ、助けてもらったんだ!」

レオンが叫ぶと、柵の奥から一人の大柄な男が、地面を蹴るような勢いで駆け出してきた。

この村の長であり、レオンたちの父親――ボルグだった。

彼は二人を力一杯抱きしめ、その無事を確かめるように何度も背中を叩いた。

安堵で肩を震わせるボルグだったが、その視線はすぐに、子供たちの後ろに立つアドルとミーシャへと向けられた。

血と泥にまみれ、正体不明の武器を携えた二人。

ボルグの瞳に、感謝よりも先に、隠しきれない警戒と戸惑いが走る。

「……レオン、この方々は?」

レオンとリナは、交互に言葉を重ねるようにして森での出来事を語った。

アドルが自らの肉体を盾にしてオークの棍棒を受け止めたこと。

ミーシャの放つ炎と、アドルの放つ槍が重なり、巨大な魔物を粉砕したこと。

その「奇跡」のような話を聞き、ボルグの表情が劇的に変化した。

「……なんと。……カルンの村の長、ボルグと申します。我が子の命、そして村の未来を救っていただき、言葉もございません」

ボルグは得物を置き、地面に膝をついて深く頭を下げた。

「お二人とも、酷い傷だ。まずは村の中へ。精一杯の持て成しをさせていただきます」

村の広場へ招かれると、アドルとミーシャには冷たい水と、素朴な黒パンが振る舞われた。

洞窟で自ら複製したものとは違う、人の手の温もりが感じられる味。

アドルはパンを咀嚼しながら、無意識に周囲の状況を観察する。

彼の視線は、広場に置かれた壊れた荷車や、農民たちの錆びついた道具で止まった。

「……ボルグさん。村に職人はいないのか? 道具がどれも限界に見える」

ボルグは苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「……数ヶ月前の襲撃で、腕のいい職人は命を落としました。今は自分たちで直していますが、それも限界でしてな……」

アドルは、隣でリナから貰った野花を眺めていたミーシャと視線を合わせた。

彼女はアドルの意図を察し、小さく頷く。

「……もしよければ、俺が手を貸そう。少し時間はかかるが、道具を立て直せるかもしれない」

アドルは立ち上がり、広場の隅に積まれた、軸の折れた荷車へ歩み寄った。

村人たちが遠巻きに眺める中、アドルは折れた車軸の破片を手に取り、目を閉じた。

(解析……構造の再構築……イメージを固定しろ)

アドルが試みるのは、単なる修理ではない。

所有していない、あるいは構造が複雑なものを無から生み出す**【想像錬成】**。

アドルの手に青白い光が宿る。

だが、その光は不安定に明滅し、パチリと乾いた音を立てて霧散した。

「……くっ」

手元には、形を成しかけて崩れた、ただの木屑が転がる。

【想像錬成】の成功率は、レシピが確立されていない状態では極めて低い。

魔力という概念が存在しないこの世界で、錬成を成立させるのは純粋な「イメージの強度」と「構造の理解」のみだ。

アドルは再び集中する。

二度、三度と錬成光が爆ぜ、素材が虚しく地面に散る。

村人たちの間に「やはり無理なのか」という失望の空気が流れ始めた。

十数回の失敗。

アドルは淡々と作業を繰り返す。

オークと対峙した時の、あの極限の集中力を呼び覚ます。

(……ここを補強し、重心を逃がす。素材は堅牢な広葉樹をイメージしろ。……錬成!)

ひときわ強い光が、アドルの手元で収束した。

これまでとは違う、安定した構造の定着。

光が収まった時、そこには鈍い光沢を放つ、完璧な形状の車軸が横たわっていた。

【鑑定:荷車の車軸 品質:C】

「……できた」

アドルがそれを荷車に嵌め込むと、先ほどまで動かなかった車輪が、滑らかに、音もなく回転し始めた。

「な、なんだこれは……! 以前よりもずっと軽いぞ!」

「新品じゃないか! いや、それ以上だ!」

広場に集まった村人たちの間に、どよめきと歓喜が広がっていく。

アドルはその熱狂を余所に、次々と運ばれてくる壊れた道具に向き合った。

錆びたクワ、折れた斧、穴の開いた鍋。

何度も失敗を繰り返し、アドルは一歩も引かずに【想像錬成】を続けた。

失敗するたびにレシピの精度を上げ、一歩ずつ「正解」へと近づいていく。

数時間の格闘の末、広場には「品質C」の輝きを取り戻した道具たちが整然と並んでいた。

「……アドル殿。あんたは、この村にとっての救世主だ」

夕暮れ時、ようやく作業を終えたアドルに、ボルグが心底からの畏敬を込めて語りかけた。

広場には、修復された道具を手に、希望を取り戻した男たちの活気が溢れている。

「……礼には及ばない。宿と食事の代わりだ」

アドルは冷徹を装ったが、背中の痛みは、村人たちが運んできた薬草酒によって少しずつ和らいでいた。

「だが、ボルグさん。道具を直しても、根本的な問題は解決しない。……領主の重税と、森の異変。そうだろ?」

火を囲み、アドルは核心を突いた。

ボルグは酒杯を握りしめ、この村が直面している「影」を静かに語り始めた。

商都リュステリアの領主による容赦ない搾取。

そして、その重圧を知ってか知らずか、森の奥で肥大化を続ける魔物の気配。

「……来るべき『波』に備えて、道具を直しただけじゃ足りない。……ボルグさん、村の男たちを集めてくれ」

アドルは、ミーシャの空間に納められた戦利品、そして自らが作り上げてきた武装を思い描いた。

「この村の全員に、**『木の盾』と『投槍』**を配る。……そして、戦い方を教える」

「全員に、だと……? そんな物資、どこに……」

ボルグの驚愕を余所に、アドルは既に次の「複製」の計画を立てていた。

ただの修理屋ではない。

異世界の理を書き換える錬金術師としての本当の介入が、ここから加速していく。

「……リュステリアへ行く前に、ここでやるべきことができたな」

アドルは、夜空に浮かぶ異世界の月を見上げ、静かに独り言ちた。

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