第88話:鉄の疾走者
アドルは決意を固めると、早速ミーシャを工房へと呼び出した。
机の上には、ここ数日で書き殴られた夥しい数の計算式と、構造図が描かれた羊皮紙が重なっている。
「それでアドルさん、二週間も準備期間をとって何を考えているんですか? 」
ミーシャが不思議そうに尋ねると、アドルは真剣な眼差しで、広げられた図面の一枚を指差した。
「実は、この旅のために新しい『乗り物』を作ろうと考えているんだ」
「乗り物ですか。この世界だと、移動は馬車が主流ですよね。でも、馬車じゃダメなんですか?」
「移動時間をもっと短くしたいんだ。伝説の場所がどこにあるかも分からない以上、移動だけで何ヶ月も費やすわけにはいかない」
アドルの即答に、ミーシャは少しだけ口を尖らせ、上目遣いでアドルを見つめた。
「……そんなにカミラさんのことが心配なんですか? 」
不意に投げかけられた、少しだけ棘のあるヤキモチ混じりの言葉に、アドルはたじろぎながら視線を泳がせた。
「そ、そういうわけじゃ……。ルルも、この屋敷も、みんなのことが心配なんだよ。安全を確保するためにも、機動力は重要だろ?」
「ふーん。まあ、いいですけど。それで、どんな乗り物なんですか?」
アドルは咳払いを一つして、照れ隠しをするように図面を詳しく説明し始めた。
「まず、文明をぶち壊すような、現代の車みたいな形にはしない。目立ちすぎるからな。俺が作るのは、磁力を動力源にした『金属製のソリ』だ」
「ソリ? 雪も降っていないのに?」
「ああ。そこがポイントだ。まず、ソリの底面には、俺の錬金術で生成した『超低摩擦プレート』を敷き詰める。これは氷の上を滑るよりもさらに摩擦が少ない特殊な合金だ。これがあれば、草原や土の上でも滑るように進める」
アドルはペンを取り、推進力の仕組みを描き加えた。
「動力は、グランツ戦で見せたあのマグネットウォールの応用だ。ソリの先端に強力な磁石を内蔵し、進行方向の地面に一瞬だけ『磁気のアンカー』を打ち込む。その瞬間に発生する強烈な引力で、ソリを前方へ猛烈に引き寄せるんだ。アンカーを打っては消し、打っては消しを高速で繰り返すことで、馬車とは比較にならない加速を得る」
「え、でもそれ、進路変更はどうするの? まっすぐしか進めないんじゃ……」
「アンカーを打つ場所を左右にずらすんだ。右へ打ち込めば右へ、左へ打ち込めば左へ。ただし、細かいスピード調整はできない。常にフルスロットルの引き寄せになるからな。そして、最も重要なのがブレーキだ」
アドルが描いたのは、ソリの中央にそびえ立つ頑丈なマストのような支柱だった。
「止まる時は、ソリの中央に巨大な『帆』を一瞬で錬成する。パラシュートのように空気抵抗を力技で利用して、強制的に減速させるんだ。本体は木材だと衝撃でバラバラになるだろうから、最悪どこかにぶつかっても中身が無事なように、全体を厚い金属板で覆った装甲仕様にするつもりだ」
「磁力で引き寄せて、帆で止まる……。相変わらずアドルさんの発想は極端ね。でも、それなら確かに早そうだけど」
◇
それからの二週間、アドルは工房に籠り切りになった。
錬金術による金属の加工は、魔力ではなく自身の体力を激しく消耗する。
アドルは何度も肩で息をし、汗を拭いながら、鉄を叩き、磁気回路を組み上げていった。
ミーシャもまた、アドルの体調を世話しつつ、ソリの内装や食料のパッキングなど、女子ならではの細やかな準備を手伝った。
出発を明日に控えた夕暮れ時、庭には鈍い銀色の光を放つ、重厚で無骨な金属製のソリが完成していた。
そこへ、カミラが両手いっぱいに抱えきれないほどの包みを抱えて現れた。
「ミーシャ様、これをお願いしますわ。すべて異空間に格納しておいてくださいね」
「カミラさん、これって全部……?」
「ええ、三ヶ月分のお弁当ですわ。栄養バランスを考え、飽きがこないようにバリエーションを豊富に揃えました。……いいですか、食べるたびに私のことを思い出してくださいね。そして、このお弁当がなくなった時は……もう、この屋敷へ帰ってくる時ですわ。くすくす」
カミラは少し寂しげに、けれど優しく微笑んだ。四ヶ月という長い期限を、彼女は「料理」という形に変えてアドルに託したのだ。
◇
「私も二週間、準備してきたなの!」
そこへ、ルルが元気よく割って入った。
「みてなの、ルルの成果なの! 出てこい、ピヨちゃん!」
ルルが召喚の術式を展開すると、眩い光の中から一羽の巨大な鷹が姿を現した。鋭い眼光と岩をも砕きそうな強靭な爪。その翼を広げれば、アドルのソリすら覆い尽くさんばかりの威風堂々とした姿だ。
「……ピヨちゃん、か。ネーミングセンスはさておき、空飛ぶ魔物なんてこの辺りじゃ滅多にお目にかかれないぞ。ルル、この子を手懐けたのか?」
「そうなの! ピヨちゃん、アドルさんとミーシャさんの匂い、しっかり覚えて! 」
ピヨちゃんは鋭く鳴くと、アドルの周囲を器用に旋回し、風を切る音を響かせた。
「これでどんなに離れていても、ピヨちゃんが定期的にお手紙を運んでくれるのなの。ふふ、ちゃんとお返事も書いて持たせてね。てへ」
「これはありがたいサプライズだ。ルル、本当に素晴らしいよ! 留守の間、屋敷の状況がずっと心配だったからな。これで安心して旅ができる」
アドルが心から感謝すると、カミラが興味深げにルルに近寄った。
「ルルちゃん……これ、将来的に『通信・配送ビジネス』として大成しそうよ」
「えっ、えっ、本当なの!?」
「ええ。でも商売の話は一旦置いておきましょう。まずはピヨちゃんが長距離でちゃんと機能するか、ご主人様を人柱にして実験しましょうか」
「わかったなの! アドルさん、覚悟なの!」
「……人柱って言い方はどうかと思うけど、まあ、頼りにさせてもらうよ」
こうして、家族の温かい約束と、鉄の絆、そして空を翔ける希望に包まれ、アドルの旅立ちの準備はすべて整った。
明日の夜明け、彼らは未知なる北西の地へと、鉄の疾走者を走らせる。




