第68話:深淵を統べる者たち
人族の街の喧騒から遠く離れた地。
天を衝く不吉な尖塔と、常に紫煙のような魔力に包まれた場所――魔王城。
その一画にある、無数の魔力回路が壁を這う薄暗い執務室で、一人の男が楽しげに声を上げた。
「ふふ……ふははは! 面白い。実に面白いじゃないか」
男の名は、魔王軍第三将 【 迷宮の賢者 】 。
彼は特殊能力 【 ダンジョンクリエイト 】 を持ち、この大陸のあちこちに死の罠を撒き散らす迷宮の主だ。
ゼノンにとってダンジョンとは単なる防衛施設ではない。
冒険者が絶望し、足掻き、あと一歩で踏破されるか否か……そのギリギリの瀬戸際を見守ることに至上の快感を覚える、救いようのない変態であった。
「どうしたの。独りで気味の悪い笑い声を上げて」
背後の闇から、冷徹な声が響く。
現れたのは、少女のような幼さを残しながらも、その身に纏う殺気だけで空気を凍らせる魔族。
第四将 【 静寂の暗殺者 】 だ。
「おやフィアか。……今、私の最高傑作の一つである『第10層』が踏破されたのだよ。それも、街のギルドに登録されているような三流どもでは到底クリア不可能な特殊ギミックを仕込んだはずの部屋がね」
ゼノンは空中に浮かぶ魔力の盤面を指差した。
そこには、サイクロプスが消滅した後の静まり返ったボスエリアが映し出されている。
「フィア、お前の仕業かな? 私に無断で、あの『黒犬』どもを10層に侵入させたのではないか? 街のギルドのメンバーでは到底クリアできない難易度だ、黒犬くらいしか心当たりがないのだがね」
「私がそんなヘマをするわけないでしょ。黒犬は9層までで徹底管理しているわ。領主ヴァルゴスに確認させるか、私の黒犬たちに調査させてみる? 何が起きたのか」
フィアは忌々しげに鼻を鳴らした。
彼女は根っからの暗殺者であり、魔族だ。
彼女が製造した兵器「黒犬」は、捕らえた人間を洗脳し、徹底的に調教したものに過ぎない。
フィアは、ゼノンが管理するダンジョンの低層を、その黒犬たちの「修行場」として利用し、レベル上げをさせていた。
「まぁいい、クリアされるためにダンジョンは作っている。……もっとも、お前たちの修行場のつもりだったがね。もし本当に骨のある冒険者が現れたのだとしたら、それはそれで楽しみだよ……ふふ、ふはははは!」
「相変わらず変態的な趣味をしてるわね。魔王様に怒られない程度にしときなさいよ。……あの二人みたいに、自分の役割に没頭しすぎて足元を掬われないことね」
フィアは冷たい視線を投げ捨てると、闇の中に姿を消した。
◇
フィアが去った後、ゼノンは独り、執務室の壁に浮かび上がる魔力地図を見つめた。
そこには、自分たち「四将」が管轄する各領域の状況が刻々と映し出されている。
「……ふむ。ヴァンダルは相変わらず、表舞台には出ようともしないか」
第一将 【 剛力の軍神 】 。
彼は未だその姿を隠しているが、領主ヴァルゴスへ冷徹なメッセージを送りつけ、裏から人間社会をコントロールしている。
何より恐ろしいのは、彼が率いる部下たちの武力だ。
かつてアドルの師であったドランが、命と引き換えにようやく相打ちに持ち込んだ相手――バルダザールですら、ヴァンダルの部下の一人に過ぎない。
魔王軍において、純粋な暴力の頂点に君臨するのがこのヴァンダルの陣営であった。
「そして、彼女もまた……独自の軍備を整えているようだな」
地図の別の領域で、妖しくも美しい魔力の揺らぎを見せているのは、第二将 【 幻影の召喚姫 】 の支配域だ。
魔族でありながら、見る者を狂わせるほどの美貌を持つ絶世の美女。
しかしその本性は、数多の凶悪な魔獣を同時に操る、卓越した召喚術の使い手だ。
彼女が一度その指先を動かせば、一国を滅ぼすほどの軍勢が虚空から現れるという。
「ヴァンダルの暴力、イザベラの軍勢……。そして、私の迷宮を荒らす未知のネズミか」
ゼノンは、かつてない高揚感に指先を震わせた。
「武道大会……。あの街で起きる狂宴に、どんな絶望を付け加えてやろうかな」
闇の支配者たちが動き出す。
アドルが自分の「力」の限界に苦悩しているその時、世界を揺るがす巨大な歯車は、確実に彼を磨り潰さんと回り始めていた。




