第67話:鏡の中の自画像
部屋の中央、漆黒の騎士アーサーが静かに大剣を構えた。
声は発しない。しかし、その全身から溢れ出す濃密な魔力が、空気を震わせるほどに膨れ上がる。
アーサーが踏み込んだ瞬間、その姿が消えた。
「……ッ!!」
サイクロプスの巨大な胸元に、十条もの光の斬撃が刻まれる。
しかし、10層の主もただでは倒れない。
サイクロプスは断末魔のような叫びを上げ、折れた膝を強引に叩きつけて立ち上がると、残った左腕でアーサーの剣を掴み取った。
凄まじい力と力の均衡。アーサーの剣が、怪物の膂力に押し戻されようとする。
「させるか……! ミーシャ、合わせろ!!」
俺は転がっていた白銀の長剣を左手で強引に拾い上げ、サイクロプスの背後へと走った。
「はいっ!! 【ウインドカッター】!!」
ミーシャが放った鋭い旋風が、サイクロプスの唯一の目を切り裂く。
視界を奪われ、のけぞった怪物の喉元へ、俺は左手一本の不格好な突きを叩き込んだ。
ドォォォォォン……!!
巨体が崩れ落ち、やがて光の粒子となって消えていく。
それと同時に、閉じ込められていた入り口の扉と、さらに奥へと続く道が重い音を立てて開いた。
「……勝った……のか?」
右腕の感覚がじわりと戻ってくる。
部屋の中央には、勝利の証である重厚な宝箱が出現していた。
◇
宝箱の中身は、金貨5枚と三つのアイテムだった。
一つ、 【深淵の燐核】 。用途不明だが、拍動するように怪しく光る黒い石。
二つ、 【叡智の栞】 。装備者の適性を引き出し、魔法の習得効率を劇的に上げるアクセサリー。
三つ、 【魔湧の雫】 。最大MPを1.2倍に上昇させる指輪。
「……よし、とりあえず回収だ。……ん、あそこに何か書いてあるぞ」
次の層へ続く扉の脇に、古びた石碑が立っていた。
「アドルさん、これ……入り口にあった石碑と同じじゃないかしら?」
ミーシャが気づき、手をかざす。
すると石碑が淡く発光し、俺たちの脳内に情報が流れ込んできた。
踏破記録をここに記憶させれば、一瞬でダンジョンの入り口まで戻れるという「転送の碑」だった。
「助かった……。正直、歩いて帰る体力は残ってないからな」
三人は石碑に手を触れ、吸い込まれるような感覚と共に、懐かしい地上の光の中へと戻っていった。
◇
屋敷に戻った俺たちは、リビングのソファに泥のように沈み込んだ。
少しの休息の後、戦利品の分配を始める。
「金貨は山分けだ。アイテムは……挙手制にしよう。俺は、この用途不明の素材を貰っておくよ。何かに使えそうな予感がするんだ」
俺が燐核を手に取ると、残る二つのアクセサリーがテーブルに置かれた。
ミーシャが「叡智の栞」に手を伸ばそうとした時、隣でルルも同じように手を伸ばした。
「あっ……」
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
ルルが慌てて手を引っ込め、視線を落とした。
「ルル。言いたいことがあるなら、言ってみな」
「……あたし、足手まといになってる気がするなの」
絞り出すような、小さな声だった。
「たまたまアーサーちゃんを召喚できたから、今回はなんとかなったけど……。あたし自身は、右手が動かなくなった時に何もできなかった。ずっと守られてるだけなのよ」
「そんなことはないわ、ルル! アーサーがいなければ、私たちはあの場で全滅していた。本当に感謝しているのよ」
ミーシャが優しく肩を抱くが、ルルの表情は晴れない。
「それでも……あたしも、みんなの役に立ちたいの。だから、このアクセサリーを貰ってもいいかな……? 魔法のことも、召喚のことも、もっと勉強したいの」
ミーシャは穏やかに微笑み、自分の手を引いた。
「いいわよ、ルル。あなたが強くなることが、パーティーの力になるんだもの。……譲るわ」
「……ミーシャさん、ありがとうなの……っ」
これで、分配は完了した。
◇
「……さて。これからのことだが」
俺は背筋を伸ばし、二人を真っ直ぐに見据えた。
「正直、今回はかなり危ない橋だった。右腕封じなんてギミック、想定外すぎた。……いくら高品質の回復薬があっても、即死したり、今回みたいに完全に無力化されたら終わりだ。俺は、ダンジョンを軽く見すぎていた。……反省している」
「……私も、同じ気持ちです」
「今後はレベル上げと、個々の基礎能力の底上げに集中しようと思う。一ヶ月後の武道大会まで、一旦は各々で修行期間にしないか? ダンジョンに潜るなら二人以上、かつ7層までと制限する」
「わかりました。……強くなって、次はもっとアドルさんを支えられるようにします」
「あたしも、修行してパピィとアーサーちゃんをもっと上手に呼べるようになるなの!」
打ち合わせを終え、俺は重い腰を上げた。
「じゃあ、俺はちょっと風呂に入ってくるよ……」
一人で部屋を出ていく俺の背中を見て、ミーシャが不安げに呟く。
「……アドルさん、なんだか少し、元気がない気がするわ」
「……ええ。様子が少し、おかしいわね」
影から見守っていたカミラも、その異変に気づいていた。
◇
屋敷の最上階、天空を仰ぐ露天風呂。
俺は立ち昇る湯気に包まれながら、一人で天井の星空を見上げていた。
(……本当の足手まといは、俺だ)
心の中で、何度も繰り返される自責の言葉。
戦いの中、右腕を奪われた瞬間に俺が感じたのは、絶望的なまでの「無力感」だった。
(戦闘になれば、俺の錬金術は遅すぎる。複製にも、新しい武器を作るにも時間がかかる。咄嗟の対応ができない……。剣技だって、アーサーに比べれば子供の遊びだ。魔法が使えるわけでもない)
お湯をすくい、自分の掌を見つめる。
ポテトを揚げ、薬を量産し、街の人に喜ばれる「商売人」としては成功しているかもしれない。
だが、命のやり取りをする「冒険者」として、俺の存在意義はどこにある?
(素材さえあれば何でも作れる。だが、"今この瞬間"を守る力が、俺には欠けている……。このままじゃ、いつか本当に大事な仲間を失うことになるぞ)
お湯の中に顔を沈める。
複製錬金術師という職業。
それがただの「便利な道具屋」で終わるのか、それとも戦場を支配する「力」になり得るのか。
俺は、自分自身の強さについて、根本から考え直さなければならなかった。
鏡に映る自分の姿が、ひどく頼りなく見えた。




