第53話:不運なる召喚師
館に戻り、カミラが腕によりをかけて作った最高級の肉料理がテーブルに並ぶ。
琥珀色の灯火の下、温かい湯気と香ばしい匂いが、ダンジョンで凍りついた俺たちの心をゆっくりと解きほぐしていった。
「……お疲れ様、二人とも。まずは無事に帰ってきてくれて安心したわ」
カミラが安堵の息を吐きながら、俺たちの皿に料理を取り分ける。
俺はナイフを置き、今日の探索の報告を始めた。
「カミラの言う通りだった。通路は狭く、四層まででも魔物の種類が多すぎる。……正直、精神的にかなりこたえたよ。回復薬があっても、あの閉鎖空間の重圧は別物だ」
「それに、ドロップアイテムらしいものも特になくて……。でも、レベルが上がったんです。……レベル10に」
ミーシャが少し首を傾げながら付け加える。
俺もその点には疑念を抱いていた。
たった四層までの往復で、一気にレベルが一つ上がった。
外の魔物を狩るよりも、明らかに経験値の入りが良い。
(このダンジョン、誰かが攻略させるために報酬を吊り上げているのか? ……だとしたら、あまりに悪趣味だ)
さらに、俺は黒犬の紋章があったこと、そして帰りに人間に襲撃されたことを伝えた。
カミラの表情が、瞬時にギルド職員としての厳しいものに変わる。
「……人間の襲撃。それは見過ごせないわね。その男たちの特徴を後で詳しく教えて。指名手配としてギルドに掲示して、街から追放処分にするように手配するわ」
カミラは少し遠い目をして、ワイングラスを揺らした。
「……ドランさんはね、あのダンジョンにはほとんど潜らなかったわ。理由は『ソロでは無理そうだから』って言ってた。一時はボルグさんと潜ってた時期もあったけど、街の連中に背中を狙われるのも目に見えていたしね。……でも、やっぱり錬金術師の性なのかしらね。たまに地図を眺めては、あの中にどんな素材があるのか、興味津々な顔をしていたわよ」
カミラは優しく俺たちを見つめた。
「くれぐれも、気を抜かないで。今後も気をつけるのよ。無理だと思ったらすぐに引き返すこと。いいわね?」
◇
翌朝。
俺たちは昨日の疲労を微かに残しながらも、七層を目指して再び館を出発した。
その足で、まずはモルガンの店へと立ち寄る。
「よう。……一晩じゃ大して売れちゃいないが、それでも十本ほどは捌けたぜ。出所を怪しまない冒険者たちが、こぞって買っていったよ」
モルガンの報告に、俺は短く頷いた。
俺たちは追加の補充を約束し、再び「ダンジョン」へと潜っていった。
◇
昨日マッピングした四層までは順調だった。
だが、第五層に降りた瞬間、空気の質が劇的に変わった。
鼻を突くのは鉄の錆ではなく、腐肉の死臭だ。
「アドルさん、来ます! ……嫌な気配です!」
闇から現れたのは、カタカタと骨を鳴らす「スケルトン」の集団。
そして、その後ろから這い出してきたのは、肌が腐り落ちた「グール」だった。
「くそ、アンデッドか……! ミーシャ、 【 プチファイア 】 で牽制だ!」
「はいっ! …… 【 プチファイア 】 !!」
放たれた火球がグールの肩を焼くが、生気のない怪物は怯むことなく、腐った爪を振り下ろしてくる。
俺は白銀の長剣を最短距離で突き出し、スケルトンの肋骨の間を貫いた。
手応えがない。骨だけの相手に刺突は相性が悪いが、振り回せば壁に当たる。
「……なら、こうだ!」
俺は剣の柄頭でスケルトンの頭蓋骨を叩き砕き、強引に六層へと道を切り開いた。
六層ではさらに狭い通路が続き、グールの死臭が逃げ場を失って充満していた。
視界が霞む。
俺たちは回復薬を煽りながら、這うようにして第七階層へと辿り着いた。
◇
七層に足を踏み入れた直後、これまでにない激しい戦闘音が通路に反響した。
「……っ! 誰か戦ってる!? ……アドルさん、行きましょう!」
俺たちが角を曲がった先にいたのは、一人の少女だった。
十五歳くらいの、華奢な体格。
だがその背後には、小さな魔獣の幻影が浮かんでは消え、懸命にオーガの攻撃を凌いでいる。
「はぁ、はぁ……! 負けないんだから……! お願い、パピィ、あいつを止めて!」
――少女が叫ぶと、召喚された小さな魔獣が泥岩鬼へ突撃する。
しかし、オーガの棍棒が一閃し、召喚獣は霧散した。
その衝撃で少女は大きく吹き飛んだ。
運が悪い、という言葉では片付けられない不運が少女を襲う。
吹き飛んだ先にあったのは、不自然に配置された巨大な「トラバサミ」の罠だった。
ガチィィィン!!
「あぁぁぁっ……!!」
悲鳴が上がる。鋭い鉄の牙が少女の細い右足を深く噛み、地面に縫い付けた。
さらに、転倒した拍子に少女の旅装束は鋭い岩肌に引っかかり、肩から脇にかけて無惨に破れ、白い肌には生々しい擦り傷が刻まれる。
「いやぁ……来ないで、来ないでぇっ!」
逃げ場を失った少女に、二体のオーガが下劣な笑みを浮かべて迫る。
だが、不運はそれだけで終わらなかった。
オーガの足音が地響きとなり、古い天井に埋め込まれていた「転がり岩」のトラップが予期せぬ振動で発動したのだ。
ゴォォォォォォォォッ!!
「……っ!? 罠の連鎖か! ミーシャ、オーガを吹っ飛ばせ!」
「はいっ! …… 【 ウインドカッター 】 !!」
ミーシャの放った真空の刃が、オーガの一体の足を切断し、跪かせる。
その隙に俺は背後の闇から飛び出し、白銀の長剣をもう一体のオーガの喉元へ突き立てた。
「ぎ、ギェ……っ」
絶命するオーガ。しかし、背後からは巨大な岩が凄まじい速度で迫っている。
俺は少女の前に立ちふさがり、トラバサミの固定部を強引に斬り飛ばした。
「……掴まってろ!」
俺は少女を横抱きにし、迫りくる岩を紙一重の差で横穴へと回避した。
轟音と共に岩が通り過ぎ、静寂が戻った通路で、少女は震える手で俺の胸元を掴んでいた。
ボロボロになった服の間から、少女の小さな鼓動が伝わってくる。
少女は涙目で俺を見上げ、喘ぐように呟いた。
「……あ、……たすけて、くれたの……? ……こんなあたしを……?」
「……災難だったな。もう大丈夫だ」
俺は少女を静かに下ろしたが、トラバサミの傷は深く、少女は痛みで顔を歪めている。
想定外の出会い、そしてあまりにも「運のない」少女。
俺たちの迷宮探索は、この一人の召喚師との出会いで、さらなる波乱の予感を孕み始めていた。




