第51話:未知への渇望と、家族の忠告
ダンジョン探索を翌日に控えた夜。
館の応接広間には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
テーブルの上には、カミラが用意した古い地図と、彼女が独自にまとめたメモが広げられている。
彼女は俺とミーシャを真っ直ぐに見据え、静かに口を開いた。
「いい、二人とも。……今から私が言うことは、ギルドの公式な見解ではなく、私がこの十年間で耳にしてきた『真実』よ」
カミラの話は、俺たちが想像していた以上に過酷な内容だった。
「まず、あのダンジョンは十年前、何の前触れもなく突如として出現したわ。……そして一番重要なのは、あそこはギルドが管理している場所ではないということよ」
カミラは手元のメモを指先で叩きながら、淡々と、だが重々しく事実を並べていく。
「通路は驚くほど狭く、迷路のように入り組んでいる。さらに悪趣味な罠が至る所に仕掛けられていて、難易度は異常に高い。……実際、戻ってこなかった冒険者は数えきれないわ。だから、ギルドはあそこへの立ち入りを一切推奨していないし、探索クエストも発行していないのよ」
カミラは一度言葉を切り、俺たちの顔を窺うように続けた。
「魔物の討伐証明はギルドでも受け付けるけれど、あそこから証拠を持ち帰るのは困難を極めるわ。十層にはボスエリアがあると言われているけれど、情報は皆無。……過去に一度だけ、王都の騎士団精鋭パーティが十層をクリアしたという噂があったけれど、なぜかその情報は即座に秘匿され、一切表に出回らなかった」
カミラが一度深く息を吐き、最後通牒を突きつけるように言った。
「リスクに対して、見返りがあまりにも少なすぎるの。……これを踏まえた上で、本当に行くというの?」
◇
カミラの問いかけに、俺は少しだけ笑みを浮かべた。
「未知の探索は、嫌いじゃない。……それにカミラ、俺は楽しみたいんだ、ここでの生活を。復讐のためだけに生きるなんて、つまらないだろう?」
迷いのない、そして何処か楽しげな俺の瞳。
その真っ直ぐな視線に射抜かれたカミラは、何かを言いかけようとして――不意に視線を逸らし、その白い頬を赤く染めた。
「……っ。……もう、勝手になさい。……その代わり、絶対に怪我一つしてこないこと。分かった?」
俺が頷こうとした、その時だった。
今まで静かに話を聞いていたミーシャが、意を決したように手を挙げた。
「アドルさん、出発を一日だけ遅らせませんか?」
「……一日? どうしたんだ、ミーシャ」
「カミラさんの話を聞いて、もっと慎重になるべきだと思いました。……街で買ってきたこの回復薬、これを 【 複製錬金 】 で量産してから行きたいんです」
ミーシャがテーブルに置いたのは、街の商店で手に入れた一般的な『品質:C』の回復薬だった。
「私の空間に溢れるほどの回復薬を詰め込んでおけば、どんな消耗戦になっても耐えられます。それに、余った分はモルガンさんの店で販売してもらうのはどうでしょう? 回復薬は、この街でも絶対に需要があるはずです」
「いい案だ、ミーシャ。カミラ、悪いが庭の魔力草の収集を手伝ってもらえるか? 薬の複製に必要な『素材』として使いたいんだ」
「そういうことなら……わかったわ。明日一日は、総出で薬作りの日ね」
◇
翌日。館の庭は、さながら野外調合場のようになった。
カミラとミーシャが手際よく魔力草を摘み取り、俺は街で購入した『品質:C』の回復薬を核にして作業を開始した。
「 【 複製錬金 】 !!」
無機質な作業を繰り返し、小瓶が次々と現れる。
十個、五十個、百個。
ミーシャの異空間へと整然と収納されていく中で、百二十個目を錬成したその時だった。
錬成の光が、今までよりも一際強く、白銀の輝きを放った。
「……あ」
手の中に現れたのは、これまでの濁った碧色とは違う、透き通ったエメラルドの輝きを放つ小瓶だった。
俺は手元の薬を注視した。
『回復薬 品質:B』
「アドルさん、今の……光り方が違いましたよね?」
「ああ。久しぶりに上振れが起きた。……品質Bのレシピが解放されたぞ」
脳内に浮かんだ新しいレシピを確認する。
品質Bを作るには、Cの時よりも二倍の素材と時間を消費するだけの、非常にシンプルなものだった。
「ミーシャ、予定を変更する。俺たちの手持ち用には、この品質Bを量産しよう。……街で売っているものより遥かに効きが良いはずだ」
「わかりました! じゃあ、今まで作った品質Cの方は、予定通りモルガンさんの店に卸しましょう」
それからの数時間は、まさに「物量」を積み上げる時間だった。
品質Bの薬がミーシャの空間を埋め尽くし、品質Cの山がモルガンへの納品用として纏められていく。
準備を一日延ばしたことで、俺たちの手元には絶対的な安心感という名の兵糧が蓄えられた。
「……さて。カミラ、今度こそ準備は万端だ」
「ええ。……明日こそ、本当に行ってらっしゃい。ご主人様」
夕闇に包まれる館の中で、俺たちは溢れんばかりの薬のストックを確認した。
一歩引いて、万全を期す。
明日、俺たちは誰も見たことのない深淵の、さらに先へと足を踏み入れる。




