第50話:傲慢なる檻と、狂犬の首輪
リュステリアの街を統べる領主、ヴァルゴスの館。
かつて大賢者ドランという巨大な壁がこの街に聳え立っていた頃の、あの肌を刺すような緊張感は、今やどこにもなかった。
豪華絢爛な大広間では、ヴァルゴスが極上のワインを揺らし、その芳醇な香りに目を細めている。
「……ふふっ。ようやく、あの目障りな老いぼれが消え失せたか」
ヴァルゴスは独り言をこぼし、誰に聞かせるともなく笑った。
二十年もの間、自分の野心を陰から牽制し続けてきた不気味な賢者はもういない。
リュステリアは名実ともに、このヴァルゴスの私物となったのだ。
「閣下、例の弟子たちの件ですが……いかがいたしましょう。黒犬たちからは、今すぐにでも館を焼き払うべきだとの声が出ておりますが」
傍らに控える側近が、慎重に言葉を選んで尋ねる。
ヴァルゴスは鼻で笑い、黄金の刺繍が施された椅子に深く背を預けた。
「焼き払う? 冗談はやめろ。ドランの弟子とはいえ、所詮は親を失った雛鳥だ。今すぐ殺しては面白くない」
ヴァルゴスは窓の外に広がる夕暮れの街を見下ろし、陶酔したように告げた。
「流通を絞り、ギルドを通じて仕事を制限すれば、いずれあの若造どもは自ら飢えて、私の靴を舐めに来るだろう。……生かさず殺さず、檻の中で飼い殺す。それが最も賢い支配というものだ」
◇
だが、ヴァルゴスの慢心は、その直後に届けられた一通の「届け物」によって一瞬で砕け散ることとなった。
「――閣下、これを。演練場に、突き刺さっておりました」
執務室に駆け込んできた部下が差し出したのは、かつてバルダザールが愛用していたものと同じ意匠の、だが無惨に捻じ切られた紅い大剣の残骸だった。
それを見た瞬間、ヴァルゴスの顔から血の気が引いた。
差出人の名はなくとも分かる。
魔王軍第一将、【 剛力の軍神ヴァンダル 】。
バルダザールの直属の上司であり、言葉よりも破壊を以て意思を示す怪物からの、冷酷な警告だ。
『俺の部下が一人、その地で消えた。不始末は、貴様が拭え』
捻じ切れた剣から漏れ出す圧倒的な魔圧が、ヴァルゴスの肌を突き刺す。
ヴァンダルにとって、部下の死そのものはどうでもいい。
だが、自分の所有物が「人間」ごときに壊されたという事実が、彼の矜持に泥を塗ったのだ。
「ひ、ひぃ……っ。すぐに……すぐに沈静化させねば……!」
ヴァルゴスは震える手で机を叩いた。
魔王からは、各四天王を通じて『この街は内側から静かに管理せよ』との厳命が下っている。
派手な軍を動かして街を混乱させれば、魔王の意向に背くことになる。
かといって、このまま放置すればヴァンダルの怒りは自分に向く。
「お前たち……! あの館の連中を徹底的に監視しろ! 決して逃がすな、だが街を騒がせるような真似はするな!」
ヴァルゴスの背後に、影のように「黒犬」たちが並び立つ。
彼らは四天王第四将、【 静寂の暗殺者フィア 】によって精神を徹底的に破壊され、狂気と忠誠のみを植え付けられた「調教済み」の人間たちだ。
フィアからの「貸与品」である彼らは、ヴァルゴスの首輪に繋がれながらも、その瞳には凍てつくような殺意が宿っている。
「アドルとミーシャ……。あの雛どもが自ら死地を求めて動き出すまで、檻の中で静かに飼い殺してやる。それが、私の生き残る唯一の道だ」
◇
一方、その頃。
アドルとミーシャは、カミラが見守る中で、明日からのダンジョン探索に向けた最終確認を行っていた。
「アドルさん、装備の調子は……?」
ミーシャの問いに、アドルは新調した白銀の長剣の感触を確かめながら頷く。
「ああ。完璧だ。……明日から、この街の連中が腰を抜かすほどの結果を出してやる」
アドルの手元にある剣が、月光を反射して鋭く輝く。
自分たちが領主という名の檻に閉じ込められ、監視されていることは百も承知だ。
だが、その檻が「静寂」を求めているのであれば、それを利用しない手はない。
敵が静観を決め込んでいる間に、自分たちはその想像を絶する速度で成長し、根を張る。




