第47話:新しい風
ドランの葬儀を終えてから、三日が過ぎた。
洋館の庭には、あの日ドランが放った浄化の光の残滓が、まだ微かな魔力の粒子として漂っているような気がする。俺は額の汗を拭い、崩れ落ちた外壁の前に立った。
バルダザールとの戦いで無残に穿たれた巨大な穴。俺はそこに手をかざし、 【 複製錬金 】 を発動させた。
無から有を生むのではない。
手元にある健全な石材を核にして、構造を「上書き」していく作業だ。魔力を酷使し、精神を削りながらも、俺は一刻も早くこの拠点を修復したかった。
ボロボロのままの館は、俺たちの敗北と無力さを突きつけてくるようで耐えられなかったからだ。
「アドルさん、無理をしないでくださいね。……お水、持ってきました」
ミーシャが庭の瓦礫を片付ける手を休め、俺に駆け寄ってくる。
彼女もまた、悲しみを押し殺すようにして、慣れない力仕事に精を出していた。どれほど館を美しく整えても、そこには決定的な温度が欠けていた。
かつて路地裏の店で、不器用ながらもお茶を淹れてくれた老賢者の気配。
その欠落を埋める術を、俺たちはまだ持たずにいた。
ある日の夕暮れ時。
修復作業を一段落させた俺とミーシャは、一階の正面玄関を入ってすぐにある、高い吹き抜けが特徴の応接広間へと移動した。大きな暖炉と、座り心地の良い革張りのソファが置かれたこの場所は、今や俺たちの作戦会議室のような役割を担っている。
そこで今後の素材調達について話し合っていた時、玄関の呼び鈴が控えめに鳴った。
扉の向こうに立っていたのは、カミラだった。
彼女はいつものギルドの制服姿ではなく、少し大きな荷物を足元に置き、どこか緊張した面持ちで俺たちを見つめていた。
「……カミラさん? どうしたんですか、そんな荷物を持って」
ミーシャが驚いて声をかけると、カミラは意を決したように深く一礼した。
「アドル、ミーシャ。……ううん、今日からはそう呼ぶのは最後にさせてもらうわ。……二人にお願いがあるの。私を、この館に住まわせてくれないかしら」
唐突な申し出に、俺たちは顔を見合わせた。カミラは言葉を続ける。
「もちろん、ただで住まわせろなんて言わないわ。ギルドの受付嬢としての仕事はこれからも続けるけれど、それ以外の時間は、ここの家事一切を引き受けたいの。食事の用意、洗濯、掃除、庭の管理、 ... そして……お二人の身の回りのお世話。……私に、ここのメイドを兼業させてほしいのよ」
「メイド……ですか?」
ミーシャが目を丸くする。カミラは真剣な眼差しを俺に向け、その場で自身の荷物から一着の衣服を取り出した。それは、黒を基調とした落ち着いた生地に、汚れ一つない真っ白なエプロンを合わせた、正真正銘のメイド服だった。
「ドランさんが亡くなってから、ずっと考えていたの。私に何ができるかって。あの方は、身寄りのなかった私を拾い、親代わりとして育ててくれた。……あの方にとって、アドルとミーシャは最後の希望だったはずよ。だから、私はドランさんの弟子である二人を支えることで、あの方への恩返しをしたい。……それにね」
カミラは少しだけはにかむように微笑んだ。
「私自身、ずっと寂しかったの。ドランさんの店があって、二人がいてくれたあの賑やかな日々が、私にとっても最高の幸せだった。だから、これは私の我儘でもあるわ。……私は、ここであなたたちと『家族』として、幸せな生活を送りたいの」
カミラはそのまま俺の前に膝をつき、まるで誓いを立てる騎士のような厳かさで頭を下げた。
「家の中にいる間、私は徹底してメイドとして振る舞うわ。呼び方も、そうね……。ご主人様、とお呼びしてもいいかしら。それが私の、あなたたちを守り、支え抜くという覚悟の証よ」
俺は困惑した。カミラはギルドでも有能な受付であり、俺たちにとっては対等な協力者だ。だが、彼女の瞳に宿る光は、決して一時的な感傷などではないことを物語っていた。それはドランという巨星を失った後、自分なりの正義を見出そうとする一人の女性の、気高くも切実な願いだった。
俺は隣に座るミーシャを見た。彼女の瞳はすでに潤んでおり、カミラの申し出を拒む理由などどこにもないことを示していた。
「……分かりました、カミラさん。いや、今日からは家の中では呼び方を変えたほうがいいのかな」
俺が苦笑いしながら手を差し伸べると、カミラはその手を取り、凛とした表情で立ち上がった。
「私、これでも家事は得意なんです。明日からは朝食の心配は無用ですよ。ミーシャ様も、お掃除の手伝いはもう結構ですからね」
カミラはそう言うと、手際よく荷物をまとめ始めた。彼女がこの館に居場所を得た瞬間、冷たく吹き抜けていた風が、どこか温かいものに変わったような気がした。
「……ふふっ。アドルさん、これでやっと、この館が本当の『家』になりそうですね」
ミーシャが嬉そうに呟く。
その晩、カミラが用意してくれた夕食は、ドランの店の裏でよく食べた、あの懐かしいシチューの味がした。湯気と共に広がる琥珀色の香りが、俺たちの乾いた心に染み渡っていく。
食事を終え、カミラが自作のメイド服に着替えて再び現れた時、その完璧な着こなしと、背筋の伸びた献身的な立ち姿に、俺は改めて彼女の「本気」を感じ取った。
「改めまして、ご主人様、ミーシャ様。これからはこのカミラが、お二人の安寧と飛躍のために身を粉にしてお仕えいたします」
深々と頭を下げるメイドの姿。それは、ドランが遺してくれた、もう一つの大切な火種だった。
復讐を急ぐ必要はない。まずはこの暖かい場所を守り、確実に力を蓄える。カミラという新しい、そして最も信頼できる家族を迎え、俺たちの生活は、穏やかで力強い一歩を踏み出した。
夜の静寂の中で、カミラが淹れてくれた紅茶の香りが応接広間を満たしていく。窓の外には、明日を照らすための星々が、かつてないほど明るく輝いていた。




