第42話:託される禁忌の断章と、不器用な背中
洋館での生活が始まって数日。俺とミーシャは、それぞれの役割を果たすべく別々に動き出していた。
ドランの店の裏庭では、今日も激しい魔力の衝突音が響いていた。ミーシャは大量の汗を流しながら、右脳と左脳を切り離す「二重螺旋」の精度向上に励んでいる。先日、実戦で一度成功させたとはいえ、まだ発動までのラグが大きく、魔力のロスも激しい。
「……そこまでだ。一度、息を整えろ」
ドランが杖を地面につき、鋭い声をかけた。ミーシャは膝をつき、肩で激しく息をする。そんな彼女を見つめるドランの眼差しは、いつになく真剣で、どこか焦燥を含んでいるようにも見えた。
「ミーシャ。……お前にもう一つ、俺の奥義を伝授しておきたい」
「……えっ? もう一つ、ですか?」
顔を上げたミーシャに、ドランは静かに、しかし重い口調で語り始めた。
「この魔法は……正直、使う時が来ない方がいい。人や魔物には一切のダメージを与えられない、完全な 『対魔族特化』 の専用魔法だ」
「魔族……。お話に出てくるような、あの方たちですか?」
ミーシャの無垢な問いに、ドランは遠い空を見上げた。
「今は御伽噺のように聞こえるかもしれねえ。だがな、俺は視ている。遠い未来……魔界から人間界への侵攻が始まり、再び血の時代が来ることをな。役に立つかはわからねえが、お前にこの種を託しておきたいんだ。アドルには……まだ言うな。あいつは合理主義者だ、いつ来るかもわからねえ敵のための備えより、今を生きるための武器を優先しちまうからな」
ドランの指導は、それからさらに苛烈なものとなった。魔族特有の負の魔力を打ち消すための、特殊な術式。ミーシャは必死にその難解なイメージを脳内に刻み込もうとした。
その時だった。
「――っ、ごほっ……!!」
ドランが激しく咳き込み、その場に崩れ落ちた。彼の口元から、どろりとした鮮血が地面に滴り落ち、石畳を赤く染める。
「ドランさん!? 大丈夫ですか!?」
ミーシャが血相を変えて駆け寄る。ドランは震える手で血を拭い、無理やり身体を起こすと、顔を背けて短く吐き捨てた。
「……騒ぐな。持病だ。……少し、喉を痛めただけだ」
「でも、今の血は……! 修行、今日はもう終わりにしましょう。休んでください」
「ガタガタぬかすな! 時間がねえんだよ……!」
ドランの気迫に押され、ミーシャはそれ以上言葉を続けられなかった。震える背中。ドランが自らを滅ぼす「禁術」に身を投じていることなど、今の彼女には知る由もない。ただ、彼の放つ寂しげな覚悟に、ミーシャは胸を締め付けられた。
気まずい沈黙が流れる中、ミーシャは血のついた石畳を見つめ、少しでもドランを元気づけようと明るい声を出した。
「……あの、ドランさん。もう少し家の改修が進んだら、一番に招待しますから。……絶対、遊びに来てくださいね。アドルさんと一緒に、最高のおもてなしを準備しますから」
ドランは一瞬だけ、悲しげに目を細めて頷いた。
「……ああ。お前らの作った『城』、見せて貰うのを楽しみにしてるぜ」
◇
一方その頃、俺は森の深部で、一人黙々と素材の回収に励んでいた。
「……くっ、重い。やはり、ミーシャがいないと効率が悪すぎるな」
俺は背負い袋に詰め込まれた、建築用の強化石材の「種」となる希少石を背負い直し、ブツブツと文句を垂れていた。
次の風呂は、ドランの店に置いてきたような「ひのき風呂」ではない。新居の最上階に作る予定の、大理石を贅沢に使った 『天空の風呂』 だ。そのための良質な大理石のサンプルを鑑定し、持ち帰る必要がある。
ミーシャの 【異空間保存】 があれば、質量も容積も無視して無限に持ち帰れる。だが、一人では持てる量に限界がある。何度も森と往復し、鑑定眼で素材を選別しては、人力で運び出す。
「……ミーシャ、今頃ドランさんにしごかれてるんだろうな……」
泥にまみれ、肩に食い込む荷物の重みを感じながら、俺はミーシャのサポートがいかに有り難かったかを痛感していた。効率を重んじる俺にとって、この「運搬」というボトルネックは耐え難い。
(一刻も早く、地下に工房を完成させないと。そうすれば、ここで拾った一個の種を、自宅で安全に量産できる……)
夕闇が迫る中、俺は泥にまみれた背負い袋を担ぎ、自分たちの「城」へと重い足取りで向かった。
一歩ずつ、着実に。
この孤独な重みこそが、愛する拠点を築くための土台になると自分に言い聞かせながら。




