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第32話:未完の館と、再演される悪夢

カミラに教えられた路地裏の最奥。陽光すら届かない湿った石畳を抜け、看板もなく、ただ古びた鍵の紋章が扉に刻まれただけの奇妙な店へと辿り着いた。

扉を叩くと、中から「入りな」という、錆びた鎖を引きずるような、ひどくしわがれた声が響く。

不動産商、モルガン。

そこにいたのは、天井まで届く山のような古書類と、出処不明の魔導具のガラクタに囲まれ、片眼鏡モノクルを不気味に光らせる小柄な老人だった。彼は俺たちを一瞥すると、挨拶もなしに一つの、歪にねじれた金属の塊を机に叩きつけた。

「カミラの紹介だろうが、俺は客を選ぶ。坊主、これが何か当ててみろ。正解なら、お前らが望む『いい物件』を拝ませてやるが……外せば即刻、この裏通りから消えな」

提示されたのは、単なる鉄屑ではない。複雑に絡み合った真鍮しんちゅうの歯車と、銀の細線が血管のように這う、掌サイズの球体だった。

俺は即座に【鑑定】を起動する。網膜に流れるデータ。だが、表面的な情報の裏側で、魔力の流れが迷路のように交差し、故意に「正体」を隠蔽するための偽装回路が組まれていた。俺は現代知識にある「差圧ロック機構」と、魔力の伝導率を照らし合わせる。

「……ただの魔導錠じゃない。これは、内部に真空の層を設けた『示差圧式・多層封印鍵』だ。外側から無理に魔力を通せば、気圧差で内部の記録媒体が砕けるようになっている。……そうだろう?」

モルガンのモノクルの奥で、細い瞳が驚愕に揺れた。

「……ほう。構造の欠陥だけでなく、物理的な『罠』にまで気づくか。……お前、ただの冒険者じゃねえな。いいだろう、特別ないわく付きを案内してやるよ」

案内されたのは、街の北端。

高くそびえ立つ煤けた塀に囲まれ、手入れの途絶えた庭の奥に不気味にそびえ立つ、巨大な三階建ての洋館だった。

「ここはかつて、王都と繋がりのあった有力商人の別宅だったが、今は市民から『呪われた館』と忌み嫌われている。基礎が歪み、壁のあちこちに魔力の奔流による亀裂が入っている。修繕しようにも、現代の並の建築士じゃ構造計算すらできん。だから格安、というより投げ売りだ」

内覧した館の内部は、想像以上に広大だった。十数人は余裕で住める部屋数に、重厚な石造りの厨房。そして何より、厚い外壁に守られ、魔法の衝撃さえも吸収しそうな地下室は、俺の錬金術の隠れ蓑として、そしてミーシャの「二重螺旋」の修行場として、これ以上ない隔離空間だった。

「……ミーシャ、どう思う?」

「……すごい埃だけど、建物の骨組みそのものは、ドランさんの店よりもしっかりしてるわ。アドルさんの【複製錬金】で欠損した建材を内側から補填して、私の【異空間保存】で一度ガラクタを全部飲み込んでしまえば……数日で、私たちの『城』になる」

ミーシャの瞳には、かつての「守られる側」だった頃の弱さは微塵もなかった。彼女もまた、この館に自分たちの未来の居場所を感じ取っていた。

「気に入った。モルガンさん、ここを買いたい」

俺がそう告げると、モルガンは意外そうな顔をし、それから口の端を吊り上げて笑った。

「威勢がいいな。だが、まともに買えば金貨が何枚あっても足りん。……知っているか? 商業ギルドに正式に所属する『登録商』であれば、税制の優遇とギルドの補助で、この手の不良物件は三分の一の価格で手に入るんだ」

その言葉に、ミーシャが鋭く反応した。

「……それなら、私が商業ギルドに登録します。アドルさんは冒険者として動くべきだし、私はドランさんの店の商品管理を通じて、商売のいろはを学びたいと思っていました。……二重の道を進むの。私たちが別々の道で力をつければ、それだけ守れる範囲が広がるから」

一方その頃。アドルたちが不在のドランの古道具屋に、音もなく「影」が入り込んでいた。

カウンターで一人、お茶を啜っていたドランの背後に、気配を完全に殺した男が立つ。領主ヴァルゴス直属の隠密部隊「黒犬くろいぬ」の一員だ。

「久しいな、大賢者様。路地裏の生活は、いささか酒の質が落ちたかな?」

ドランは振り返ることなく、静かにカップを置いた。

「犬の臭いが鼻につく。……用件は何だ。また主人の不機嫌でも届けに来たか?」

黒犬の男は、ドランの横に置かれた、アドルたちが残していった手作りの茶菓子を指先で弄んだ。

「……いい弟子を持ったな。若く、活きが良く、未来への野心に満ちている。……まるで、二十年前の『彼女たち』と同じように」

その言葉が落ちた瞬間、ドランの肩が微かに、しかし激しく震えた。

「……貴様ら、あいつらに少しでも手を出してみろ。今度こそ、俺はこの街ごと貴様らを焼き尽くすぞ」

「ククッ……。牙を抜かれた老いぼれが、よく吠える。……だが、忘れるな。我らが本気で狙えば、あの二人など明日には冷たい骸だ。……二十年前の悪夢を再演したいのであれば、好きに暴れるがいい」

男はそう言い残すと、陽炎のように掻き消えた。

一人残されたドランは、拳が白くなるほど机を握りしめた。ようやく灯り始めた、アドルとミーシャという名の「希望」。それを人質に取られるという、二十年前と全く同じ絶望の構図が、今まさに完成しようとしていた。

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