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第3話:指先の灯火と、重なる鼓動

洞窟の隙間から差し込む朝日の眩しさに、アドルの意識はゆっくりと浮上した。まどろみの中で一瞬、新宿の自宅のベッドにいるような錯覚を覚えたが、鼻を突く湿った土の匂いと、背中に伝わる岩肌の硬さが、ここがもはや元の世界ではないことを非情に突きつけてくる。全身を襲うのは、昨夜の激闘と素振りの代償である、鉛のように重い痛みだ。


「……ん、アドル……おはよう」


隣で丸まっていたミーシャが、微かな寝息を止めてゆっくりと身体を起こした。俺の上着を肩にかけたまま、まだ眠たげに目をこする彼女の姿は、チャット越しに深夜まで饒舌だった「ミーシャ」とはまた違う、ひどく無防備なものだった。三十代の精神を抱えながら、二十代前半の若々しい肉体を得た彼女の横顔には、朝日に照らされてどこか神秘的な輝きが宿っている。


「おはよう、ミーシャ。……身体、痛くないか?」


「大丈夫。……でも、お腹はすごく空いちゃった」


アドルは苦笑いしながら、昨夜作り上げた不格好な「品質C」の鉄鍋を手に取った。中には昨夜の残り物である、野草とキノコを煮ただけのスープが冷え固まっている。ミーシャの【異空間保存】から水と具材を取り出し、アドルの【複製錬金】で増やす。リソースの確保という点では、この一般人スペックの二人組は既に異常なほどの安定感を持っていた。まずはこの不味いスープを温め直し、空腹を満たしながら今後の計画を練ることにした。



「ねえ、アドル。落ち着いたところで……神様が言っていた『ステータス』、確認してみない?」


ミーシャの提案に頷き、アドルは意識を集中させた。自分のステータスを読み取るために「鑑定」と念じ、その結果を視界の端に表示させる。


アドル:Lv1 / 筋力 9 / 耐久 10 / 魔力 6 / 適性:片手剣・錬金 ミーシャ:Lv1 / 筋力 5 / 耐久 6 / 魔力 12 / 適性:火魔法・時空


「……本当に、ただの一般人スペックだな。平均を10だとするなら、俺たちは標準かそれ以下だ」


「私なんて耐久が6よ。まともに戦ったら一撃で終わっちゃうわね」


表示された数値は、英雄でも何でもない自分たちの現在地を残酷なまでに示していた。しかし、その中に希望はあった。アドルには片手剣と錬金の、ミーシャには火魔法と時空の適性が確かに記されていたのだ 。


「ミーシャ、君には火魔法の適性がある。使い捨てライターのガスを気にする生活から、一刻も早く抜け出せるかもしれない」


「魔法……。イメージが大事なのよね、やってみるわ」


ミーシャは焚き火の跡に向かって細い指先を伸ばした。現代社会で様々なキャリアを積んできた彼女の集中力は凄まじい。彼女は自分の内側にある「魔力」という未知のエネルギーを、指先に集めるように一点を見つめた。


「……集まれ。熱、光……。プチファイア!」


一度、二度。指先からは何も起きず、虚しく空気が揺れるだけだった。三度目。彼女の指先が微かに震え、真っ赤な顔で必死に「火」の概念を形にしようと足掻く。そして、四度目の挑戦だった。


パッと、小さなオレンジ色の火花が彼女の指先に灯った。ライターの火よりも力強く、命の鼓動のように揺らめく「魔法」の火だ 。


「できた……! アドル、できたわ!」


「ああ、すごいな、ミーシャ!」


歓喜に顔を輝かせたミーシャが、勢い余ってアドルの胸に飛び込んできた。柔らかい感触と、魔法を成功させた熱が、薄いシャツ越しに直に伝わってくる。チャットツールという文字の世界で何年も語り合ってきた二人が、今、この異世界の洞窟で互いの体温を分かち合っている。三十代の理性が、二十代の肉体が発する高揚感に激しく揺さぶられた。


「……あ、……ご、ごめんなさい!」


ミーシャが弾かれたように距離を取り、顔を真っ赤にして俯く 。アドルもまた、咳払いを一つして、意味もなく洞窟の壁を眺めた。



「……さて。魔法も成功したことだし、スキルの検証をしよう。特に、俺の【複製錬金】と君の【異空間保存】の共有機能についてだ」


アドルは居住まいを正し、真剣な表情で切り出した。神の説明によれば、アドルはミーシャの空間内の素材を直接消費できるはずだった。


「ミーシャ、少し離れてみてくれ。俺たちがどれくらい離れていても、俺が君の倉庫ストレージを使えるか、その『仕様』を確かめておきたい」


「分かったわ。実験ね」


ミーシャは頷き、ゆっくりと洞窟の外へ歩き出した。アドルは洞窟の入り口に座り、ミーシャの空間内に収められている枯れ枝の情報を脳内の「インデックス」で追い続ける。


三メートル。まだ鮮明に在庫が見える。 五メートル。変化はない。 八メートル。インデックスの表示が微かに明滅し始めた。アドルは集中力を高める。


「ミーシャ、そのままゆっくり……あと少しだ」


ミーシャが一歩、また一歩と遠ざかる。アドルの脳内にあるミーシャの空間へのアクセス権が、急速に不安定になっていくのを感じた。


そして、十メートル。


不意に、霧が晴れるように素材のストック情報が視界から完全に消失した。


「……ストップ! そこまでだ、ミーシャ!」


アドルの声に、ミーシャが小走りで戻ってくる。彼女が再び近づくと、何事もなかったかのように素材のリストが脳内に復活した。


「今、十メートルのところで完全にアクセスが切れた。……仕様確定だ。俺たちの『共同作業』には、この距離が絶対条件らしい」


「十メートル……結構近いわね。ずっと一緒にいないと、私の荷物をアドルが使えないってことだわ」


ミーシャは少し意外そうに、自分の足元とアドルが座っている場所の距離を測るように見つめた。十メートル。それは、戦場においては一瞬で詰められる距離であり、同時に互いの呼吸が伝わる距離でもあった。


「ああ。君が戦闘に巻き込まれたり、はぐれたりすれば、俺はただの石ころも増やせない職人に成り下がる。逆に言えば、この範囲内にさえいれば、俺たちは無限の兵站ロジスティクスを維持できる。……戦略の核が見えたよ」


アドルの脳内では、かつてIT業界で培った論理的思考がフル回転していた。不確定要素を「仕様」として受け入れ、その制限の中で最大の結果を出す。


不器用な魔法の火を囲みながら、二人は夜明けの森に響く声で、これからの戦略を練り続けた。英雄のような天賦の才はない。だが、培ってきた経験と、この不思議な絆が生み出す「十メートルの共有圏」という力がある。異世界の静寂の中で、二人だけの反撃の狼煙が、静かに、確実に上がり始めていた。



「……よし、方針は決まりだ。ミーシャ、まずはこの森を抜けるための『道』を探そう」


アドルは立ち上がり、昨日複製したばかりの、まだ少し重いこんぼうを握りしめた。これまでの人生を捨て、この世界を「アドル」として攻略する覚悟を固める。隣に立つミーシャも、指先に残る熱を確かめるように拳を握り、力強く頷いた。


「ええ。まずはまともなご飯と、安心して眠れるベッドを目指しましょう。アドルがいれば、怖くないわ」


冷たい朝の空気を切り裂くように、二人は洞窟を後にした。一歩一歩、泥濘に足を取られながらも、その足取りに迷いはない。生存、確保、そしてその先にある逆襲へ。異世界複製錬金術師の物語は、ここから本格的に加速していく。

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