第27話:支配者の焦燥と、無音の監視網
商都リュステリアの喧騒を冷たく見下ろす丘の上。この街の絶対的な支配の象徴である領主館の最奥、重厚な静寂に包まれた執務室にて、一人の男が深夜の報告に耳を傾けていた。
領主、ヴァルゴス・フォン・リュステリア。
かつて王都の熾烈な政争に敗れ、辺境の商都へと左遷された彼は、二十年という長い歳月をかけてこの街を「完璧な沈黙」の中に閉じ込めた。彼にとってこの街の住人は、人間ではなく、王都の権力の中枢へ返り咲くための階段を構成する駒に過ぎない。
そのヴァルゴスの前で、徴税人のギルバートが床に額を擦り付け、見苦しいほどに震えていた。豪華な黒檀の机の上には、アドルが量産した「品質C」の幻銀が、窓から差し込む冷ややかな月光を反射して、不気味なほどの輝きを放っている。
「……ほう。幻銀、それもこの純度か」
ヴァルゴスは上質な手袋をはめた指先で、銀の塊を弄ぶ。その冷徹な瞳には、素材の価値への感銘よりも、計画を乱す不確定要素に対するどす黒い不快感が滲んでいた。
「ギルバート。貴様、ドランが『自身の左眼を犠牲にした禁忌の術』でこれを作り出したと報告したな?」
「は、はい! あやつは確かに眼帯をしており、その身から溢れ出る魔圧は、全盛期の大賢者を彷彿とさせるものでした……! おそらくは、残された最後の命を削り、一度きりの奇跡を絞り出したものかと……!」
ギルバートの必死な弁明を、ヴァルゴスは氷のような一喝で切り捨てた。
「……馬鹿め」
冷酷な声に、ギルバートの肩が跳ねる。
「ドランの魔力回路は、二十年前に私の命を受けたバルダザールが、この手で物理的に、完膚なきまでに破壊したはずだ。再生など不可能な、絶対的な絶望を奴に与えた。……あの日から『種火』すら残っていないはずの廃人が、独力でこれほどの品を生み出せる道理がない。ドランを動かした、得体の知れない『外部要因』が必ずいる」
◇
ヴァルゴスは背もたれに深く寄りかかり、苛立ちを隠すように指を組んだ。
彼には、不確定要素を放置しておく時間がない。王都の政敵たちから、粛清権を帯同した「王宮視察官」が近々リュステリアに向かうとの密報が入っている。彼らが評価の基準とするのは、統治の完璧さ……すなわち、統治者の威厳を損なう「騒ぎのない静寂」だ。
二十年前に牙を折り、泥を啜らせて沈黙させたはずの英雄が、この極めて繊細な時期に再び暗躍を始めている。その事実だけで、ヴァルゴスが積み上げてきた帰還への功績が瓦解しかねなかった。
「……表立って動く必要はない。視察官が来る前に大きな騒ぎを起こせば、それこそ奴らの思う壺だ。今はただ、あの店を、ドランを、そして突如現れた『弟子』と名乗る者たちの正体を徹底的に洗え」
ヴァルゴスの背後の影から、音もなく一人の男が染み出すように現れた。領主直属の隠密部隊「黒犬」の一員だ。その姿には生命感がなく、ただ殺意だけが形を成したような異様な気配を纏っている。
「……まずは牽制だ。奴らの行動を物理的に制限し、外部との接触を一切断て。ドランが再び牙を剥こうとしているのか、あるいはただの偶然か……。目立った動きをさせぬよう、影から締め上げろ」
「御意」
影の男は、実体を持たない煙のように、あるいは夜の闇そのものに溶けるように消えた。
ヴァルゴスは手元の幻銀を握り潰さんばかりに力を込め、窓の外、暗く沈む路地裏を射抜くように睨みつける。
「……大賢者ドラン。貴様に二度目の春など、決して来させはしない。……今度こそ、その魂の根元まで根絶やしにしてくれる」
支配者の冷酷な意志が、夜の帳に乗って、ドランの店へと確実に忍び寄ろうとしていた。




