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第20話:分かたれた道、再開の意思

ギルバートたちが逃げるように去った後、店内に落ちた静寂は、先ほどまでの刺すような緊張感とは別の、どこか温かく重い空気を孕んでいた。ドランはカウンターに置かれたオルゴールを、壊れ物を扱うような手つきで、指先でそっとなぞった。

「……アドル。それに、ミーシャ。……感謝する。あんたたちが何者で、どんなバケモノじみた術を使ったのか……俺にはまだ想像もつかねえ。だが、俺がこの二十年、死んでも守りたかった思い出を……あんたたちが救ってくれた。この恩は、死ぬまで忘れねえ」

ドランは顔を上げると、俺たちをソファに座らせた。彼は震える手で、酒瓶ではなく、棚の奥から古びた茶葉を取り出し、ゆっくりとお茶を淹れ始めた。昇る朝日に照らされながら、ドランは遠くを見つめるような瞳で、静かに語り始めた。それは二十年前、この街「リュステリア」がまだ、希望という名の光に満ち溢れていた頃の物語だ。

当時、ドランは若干二十代にして「大錬金術師」と「大魔道士」の二つの称号を冠し、王国史上最年少の「大賢者」としてその名を轟かせていた。魔王軍の残党を退け、街の防衛システムを一人で再構築した彼は、民衆から「リュステリアの守護神」と崇められる英雄だった。

「……あの頃は、自分の力で世界を変えられると本気で信じていた。横にいる嫁の笑い顔と、生まれたばかりの娘の寝顔を守るためなら、神にだって喧嘩を売れると思っていたよ」

だが、英雄が光り輝けば輝くほど、その足元には深い影が落ちる。ある時から、街の空気が変わり始めた。商業ギルドは不自然な規制を強め、冒険者ギルドは「治安維持」という大義名分の下、領主直属の私兵のような動きを見せ始めたのだ。

ドランはその異変にいち早く気づき、賢者としての正義感から、真っ向から領主やギルドの不正を糾弾した。だが、それが地獄の始まりだった。ある夜、家に帰ると、そこには嫁と娘の姿はなかった。代わりに置かれていたのは、領主からの招待状。『正義を貫くか、家族の命を取るか。賢者様なら、賢明な判断ができるはずだ』。

「……俺は、それから半年間、生き地獄を味わった。領主の言いなりになって、毒の精製や呪いの武具の開発に手を貸した。すべては、二人の無事を確認するためだけにだ」

しかし、囚われの身であった嫁と娘は、ドランの苦悩を知っていた。彼女たちは、面会を許されたわずかな時間、ドランの手を握ってこう言い続けたという。『私たちは大丈夫。ドラン、あなたはあなたの信じる正しいことをして。……私たちを理由に、あなたがあなたを裏切る姿は見たくないの』。

その正義感の強さが、皮肉にもドランをさらに追い詰めた。家族を守るために悪に染まるか。家族を犠牲にして正義を貫くか。大賢者と呼ばれた脳髄を持ってしても、その天秤を均衡させる答えはどこにもなかった。結局、ドランがどちらの答えを出そうとも、運命は決まっていたのだ。街にとって、あまりに強すぎるドランの存在は、いずれ排除すべき「毒」でしかなかった。

ある朝、ドランが下された命令を完遂して家に戻ると、そこには変わり果てた二人の姿があった。救うために手を染めた悪事のすべては、あざ笑うかのように無意味となり、さらには領主によって「ドランが自らの研究の犠牲に家族を捧げた」という身の毛もよだつような冤罪が仕立て上げられていたのだ。

「……英雄だった俺は、一晩で『狂った賢者』に成り下がった。地位も、名誉も、魔法の杖も、すべてを奪われ……残されたのは、娘の声を記録したこの小さなオルゴールだけだった」

国は彼を殺しはしなかった。殺せばまた別の英雄が生まれる可能性がある。だから彼らは、ドランを「生ける屍」として路地裏に放り出し、酒と絶望でその魂を腐らせる道を選んだのだ。

「……許せなかった。爆発しそうな怒りで、何度もこの街を焼き尽くそうと思ったよ。だが、二人が望んだ『正しいこと』を、俺一人が生きて汚すわけにはいかなかった。……そう思っているうちに、いつの間にか、怒る気力さえ失くしちまったんだ」

ドランの声が、微かに震える。二十年分の沈黙が、お茶の湯気と共に消えていく。

ふと、ドランがテーブルに置かれたままの紹介状を愛おしそうになぞり、少しだけ目元を緩めた。

「……ボルグのやろう。こいつらを送り込んできたのは……そういうことなんだろ? 俺の目に、もう一度光を宿らせるために……」

ドランは懐かしむように、かつての戦友の名を口にした。

「お前たちに紹介状を渡したボルグはな、俺の古い戦友だったんだ。あいつが前衛、俺が後衛。よく二人で旅をして、死ぬような思いをしながらダンジョンにも籠った。本当に気の合う、最高の仲間だった。昔はあいつもこの街にいてな……」

だが二十年前、街が変わり始めた時、二人の道は分かたれた。

「俺は街に残って中から戦う道を選んだが、ボルグは『ここではもう生きていけない』と判断して、街を出て村を作る道を選んだんだ。……お互い、これじゃダメだっていう結論は同じだった。だが、進むべき道が違ったんだな。俺は結局、自分を過信してこんなことになっちまったが……」

ドランは深く息を吐き、俺たちを真っ直ぐに見据えた。

「……ボルグのやろうは、元気にしてたか? どんな風だった?」

俺は村でのボルグさんの姿を思い返した。頑固だが村人から慕われ、レオンやリナのような子供たちを温かく見守っていた、あの穏やかな、けれど力強い背中。

「……ええ。とてもお元気でしたよ。村の皆に頼りにされていて、私たちにも、この紹介状を『本当に困った時に使え』と持たせてくれました」

俺の言葉を聞き、ドランはしばらく沈黙した後、目元を乱暴に拭った。

「……そうか。あのタコ助……相変わらずお節介な奴だぜ。……お前たち、改めて聞く。本当に、この腐った街で、この俺の横で、生活を築くつもりか?」

ドランの眼差しは、先ほどまでの絶望した老人ではなく、真実を見通す賢者のものに戻っていた。俺とミーシャは、その問いの重さを十分に噛み締めながら、互いに顔を見合わせた。

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