第17話:裏通りの静寂を破る足音
階段の隙間から階下の様子を窺うと、鼻をつく安酒の腐臭に混じって、泥のついた革靴が床板を乱暴に踏みつける、苛立たしい音が店内に響き渡った。
「おい、ドラン! 期限だ。いつまで死んだふりをしてやがる、この老いぼれが」
現れたのは、派手な刺繍が施された高価な外套を羽織った男――徴税人のギルバートだ。その背後には、ガラの悪い用心棒が二人、威圧的に肩をそびやかして控えている。
ドランはソファからゆっくりと身を起こし、濁った瞳を徴税人へと向けた。その瞬間、空気が剥り付くように変わった。先ほどまで酒に溺れていた廃人のような佇まいが霧散し、かつて「賢者」とまで称えられた男の、鋭い牙が一瞬だけその輪郭を現す。
「……ふん。官憲の飼い犬は、鼻だけは利くようだな。俺の死に時でも嗅ぎ回りに来たか?」
「吠えるな、落ちぶれ。領主様からの最終通告だ」
ギルバートは下卑た笑いを浮かべ、机の上に一通の、どす黒い封蝋が施された書状を叩きつけた。
「お前が国に預けている――いや、正確には没収された娘さんの『声が流れるオルゴール』。あれの維持管理費が未払いになっている。明日の朝までに、金貨百枚を耳を揃えて払え」
金貨百枚。リュステリアの物価からしても、一介の職人が一晩で用意できるような額ではない。ギルバートはさらに追い打ちをかけるように、声を潜めて嘲笑った。
「払えなければ、明日の朝、あのオルゴールは解体して素材の『幻銀』に戻す。……あれはこの世界から消えつつある希少な銀だからな。娘さんの声ごと溶かして、領主様の新しい食器にするのがお似合いだ」
ドランの手が、微かに震える。それは恐怖ではなく、理不尽極まる要求に対する、魂の底からの激しい憤りだった。だが、彼は言葉を飲み込んだ。最愛の娘の唯一の形見を、文字通り人質に取られているのだ。
「……明日、だな。分かった。失せろ」
「はっ、いい返事だ。……おい、お前ら。明日の朝、確実に回収に来るぞ。もし逃げようとしたら、この掃き溜めごと焼き払って構わん」
徴税人たちが扉を蹴開けて去っていく。重苦しい、粘つくような沈黙が店を支配した。ドランは再びソファに崩れ落ち、震える手で空の酒瓶を掴もうとしたが、瓶は虚しく床を転がるだけだった。
◇
「……ドランさん」
俺とミーシャは階段を下り、彼の前に立った。ドランは俺たちを見ようともせず、低く唸るような、絞り出すような声で言った。
「……出てくるなと言ったはずだ。砂利……お前ら、今のうちにこの街から失せろ。ここには、希望なんて言葉は一文字も残っちゃいねえんだ」
俺はドランの視線の先にある書状を黙って手に取り、冷徹に状況を整理した。真っ当な手段で一晩に金貨百枚を用意するのは、今の俺たちの Lv. 9 というステータスをもってしても現実的ではない。
だが、奴らの狙いがオルゴールの素材である希少金属「幻銀」そのものにあるなら、話は別だ。
「ドランさん。俺たちはここで生き残るための、確かな拠点が欲しい。……そのために、あなたのそのトラブル、俺たちに解決させてくれませんか」
ドランがようやく顔を上げ、俺を射抜くように睨みつける。
「金貨百枚だぞ? 砂利が何を……」
「金を用意するとは言っていません。奴らが欲しがっているのは素材だ。……ドランさん、あなたの店に、その『幻銀』の破片、ほんの僅かでも残っていませんか?」
俺の言葉に、ドランの曇った瞳が微かに揺れた。
「……奥の棚に、昔使っていた古い錬金釜がある。その底に、こびりついた幻銀の残骸が……ほんの数グラムだけ残っているはずだ。だが、あんな微量じゃ、奴らは納得しねえぞ」
「十分です。俺にその釜を預けてください。……俺たちがここで安全に暮らすために、まずはドランさん、あなたの力が必要なんです」
俺は隣に立つミーシャと視線を交わした。彼女もまた、静かに、けれど強く、覚悟を込めて頷く。
俺の**【複製錬金】と、ミーシャの【異空間保存】**による共有。この二つの権能が組み合わされば、歴史から消えたはずの希少金属さえも、圧倒的な「物量」という暴力で再現できる。
「ミーシャ、今夜は徹夜になるぞ」
「はい、アドルさん。準備はできています」
俺たちはドランの呆然とした視線を背に受けながら、再び二階の『城』へと戻った。
商都リュステリアの歪んだルールを、俺たちのやり方でひっくり返す。そのための、初めての「仕事」が、静かに、そして熱く幕を開けた。




