第139話 : 傷痕と癒しの湯
ヴェゼルが塵となって消えた静寂の中、処刑場の中心に一つの宝箱がドロップした。
アドルは肩に短刀が刺さり、それを強引に固定した硬化樹脂が肉を圧迫している。
顔は紙のように白く、立っているのが不思議なほどだった。
「アドルさん……! すぐに、すぐに治療を……!」
ミーシャが震える手で包帯を解こうとするが、アドルは首を振って宝箱を指差した。
「……まずは、これだ。鑑定……」
重い蓋を開けると、中には禍々しい黒い光を放つ「刻印の鍵」が入っていた。
今後の戦いの鍵となるであろう不気味な気配。
アドルはそれを懐に押し込むと、壁際の転送石碑に触れた。
「シュゥィィィィ!」
石碑が青い光を放ち、地上へと道が繋がる。
一行が転送された先は、ダンジョンの入り口だった。
「……ここからは、歩きだ。屋敷まで、なんとか……」
アドルはミーシャの肩を借り、一歩ずつ重い足取りで街の中を進む。
血に染まったアドルの姿と、涙を流しながら歩くルル。
街の人々が息を呑んで見守る中、三人は夕闇に包まれ始めた街を通り抜け、ようやく屋敷へと辿り着いた。
◇
同じ頃、魔王城の第三の間。
「……ヴェゼルが、死んだか」
ゼノアの声が、冷たく響き渡る。
周囲の空気が凍りつき、床がその魔圧に耐えきれずメキメキと音を立てて砕けた。
「所詮はただの犬だったということか。だが、あの錬金術師……自らの身を餌にするとは。面白い。次は、さらに深い絶望を用意してやろう。我が魔軍の真の恐怖をな」
ゼノアの瞳に、赤黒い殺意が宿った。
◇
「ご主人様!!」
屋敷の門を潜った瞬間、カミラの悲鳴が響いた。
ボロボロになり、自らの身体を樹脂で固めて敵を拘束した無残な姿。
カミラとエナは顔面蒼白になりながら、崩れ落ちるアドルを抱き止めた。
「エナ、早く! 救急箱と、温かいタオルを! ミーシャ様、何があったんですか!?」
「ごめんなさい……アドルさん、私たちを庇って……」
ミーシャもまた声を震わせ、ルルは召喚から戻ったドラゴンの容体を思って呆然と立ち尽くしていた。
アドルは「みんな……無事……か……」と掠れた声で呟くと、そのまま深い闇へと落ちていった。
◇
翌日。
アドルが眠り続ける中、カミラは意を決して冒険者ギルドへと向かった。
ギルドマスターのガリクソンに、二十層までの踏破とボスの討伐、そしてアドルの負傷を報告する。
「二十層の主を討ったのか……! それなら、スタンピードの勢いは劇的に弱まるはずだ。カミラ殿、アドル殿に伝えてくれ。二十層までの掃除はギルドが引き受ける。一から十九層に湧いて出た残党は、我々が責任を持って討伐する。君たちは、次から二十層から再開できるよう準備に専念してくれ」
「……ありがとうございます。主人が目覚めるまで、私がこの街を死守します」
カミラは凛とした表情で応じ、屋敷へと戻った。
◇
アドルが目を覚ましたのは、倒れてから丸一日が過ぎた頃だった。
「……ここは……」
「アドルさん! よかった、気がついたのね!」
ミーシャが顔を覗き込ませる。
アドルは重い身体を起こし、ルルの方を見た。
ルルは元気がなく、その手元には実体化を維持できず、うっすらと光の粒子が漂っている。
「……ルル。ドラゴンはどうなった?」
「……かなり厳しいなの。致命的な一撃を肩代わりして……今は実体化もできるかできないかくらい弱ってるなの。今のままじゃ戦えないなの……」
ルルの瞳に涙が溜まる。
アドルは傷む肩を抑えながら、不敵に笑った。
「……なら、錬金術師の出番だな。カミラ、風呂を用意してくれ。ただし、お湯じゃない。キリッと冷えた水風呂だ」
「えっ? 水風呂ですか?」
カミラが首を傾げる中、アドルはふらつく足で工房へ降り、残っていた高純度魔石と希少な薬草の構造を鑑定した。
「瞬きの錬金……属性付与、高密度治癒成分……錬成!」
完成したのは、虹色に輝く粉末――「極楽治癒の温泉の素」だった。
それを持って大浴場へ向かうと、そこには半透明で青白い顔をした人型のドラゴンが座り込んでいた。
「……アドルよ。我をあの煮え滾るような熱湯に入れるつもりか? 我は氷の龍だぞ。あのような拷問、死んでも断る」
ドラゴンが消え入りそうな声で、だが断固とした拒絶を口にする。
アドルは苦笑しながら、冷たい水がなみなみと注がれた浴槽に、虹色の粉末を振り撒いた。
「わかってるよ。お前にはこっちの方が効くはずだ」
水面に虹色の波紋が広がり、冷気が心地よく室内に満ちる。
ルルに手伝われながら、ドラゴンがその水風呂へと身体を沈めた。
「……ほう。これは……」
ドラゴンの目が驚きに見開かれる。
アドルの作った特殊成分が水温をさらに下げ、同時に傷口へ浸透していく。
砕けた鎧のような鱗が再生し、失われた魔力が急速に補填されていくのが目に見えてわかった。
「……ふぅ。極楽だな。この冷たさ……我が故郷の氷河を思い出す」
人型のドラゴンが水中で静かに目を閉じる。
絆を深めた一行に、束の間の休息が訪れる。




