第132話 : 決意と対価の朝
眩しい朝日がカーテンの隙間から差し込み、アドルの瞼を優しく叩いた。
意識が浮上するにつれ、両腕に感じる重みと柔らかさ、そして鼻をくすぐる甘い香りで、昨夜の惨状が少しずつ脳裏に蘇る。
「……う、ん……。おはようございます、ご主人様」
隣でカミラが当たり前のような顔をしてアドルの胸元に頬を寄せた。
彼女はほぼ裸に近い寝巻き姿のまま、離れる気配を微塵も見せない。
一方、反対側にいたミーシャが微かに身を震わせた。
彼女は薄目を開け、自分がアドルの腕を抱きしめ、さらにカミラと川の字になって眠っている事実に絶句したようだった。
「なんで……私、ここに……っ」
ミーシャは混乱し、すぐにでも跳ね起きて逃げ出したい衝動に駆られた。
しかし、隣で勝ち誇ったような顔をしてアドルに密着しているカミラを見て、ミーシャの負けず嫌いに火がつく。
今ここで私が離れたら、この泥棒猫にアドルさんを独占されてしまう。
そう判断したミーシャは、真っ赤な顔のまま再び目を閉じ、寝ぼけたふりをしてアドルの腕に力を込めた。
「……おはよう、二人とも。飲みすぎだぞ」
アドルは苦笑しながら二人を優しく起こし、枕元に置いてあった水差しからコップに水を注いで渡した。
「ほら、これを飲め。少しは楽になるはずだ」
「……ありがとうございます、アドルさん」
ミーシャは水を受け取り、気まずそうに視線を逸らしながら飲み干した。
彼女は若干の自己嫌悪と、それ以上の優越感を胸に抱きながら、気分を落ち着かせるために立ち上がった。
「ちょっと、散歩に行ってきますね。外の空気を吸いたいから」
◇
屋敷の外、朝の冷たい空気がミーシャの頬をなでる。
彼女は歩きながら、昨夜の自分の行動を思い出しては顔を火照らせていた。
「またやってしまったわ……。アドルさんの前だと、どうしても理性が緩んでしまう」
だが、ミーシャの思考はすぐに戦いへと切り替わった。
龍の里で見せたルルの圧倒的な覚醒。
あの強さは本物だった。
「ルルちゃんは本当に強くなった。……私も、負けていられない」
ミーシャは右腕に巻かれた包帯をそっと撫でた。
内側では、常に魔力が荒々しく脈動している。
今の彼女の課題は、この高密度の魔力を練る行為を、呼吸と同じように当たり前のものにすることだ。
何事もないような顔をして生活し、その状態でなお余裕を持てるようにならなければ、あの巨大な魔力を真に制御したとは言えない。
「それに、今のままではまともに戦えないわ。右手は魔力を溜めるために封印する。なら、左手だけで戦えるようにしなければ……」
ミーシャは左手を掲げ、魔力を集中させた。
以前、リーネの元では利き手ではない右手での片手二重螺旋を特訓していた。
だが、今はそれだけでは足りない。
右手を使わず、左手一本で戦況を支配できるほどに精度を高める必要がある。
ミーシャは一人、静かな森の中で魔法の深淵と向き合い始めていた。
◇
一方、屋敷のリビングでは、アドルが朝食を終えたルルと話をしていた。
「なぁルル、すらたんモードの時は素手で戦うんだよな?」
「そうなの! すらたんが力を貸してくれると、身体が勝手に動くの!」
「ふむ、ならナックルのようなものを作ってやろうか?」
「なんなのそれ!?」
ルルが身を乗り出す。
アドルは手振りを交えて説明した。
「手にハメるグローブのような武器の一種だよ。すらたんの機動力を邪魔しないように、なるべく軽い素材で作るつもりだ。どうかな?」
「嬉しいなの! 是非お願いしたいなの! もっとカッコよく、もっと強くなりたいなの!」
「わかった。デザインはこちらに任せてくれ。ルルの個性に合うやつを錬成してみせるよ」
「やったなのー! やったなのー!」
ルルがはしゃいでいるところへ、エナとカミラがやってきた。
アドルはさりげなく二人の様子を伺う。
「エナ、代行の仕事の方はどうだ。何か行き詰まっていることとか、俺が手伝えるような悩みはないか?」
「そうですね……。街の復興自体は順調なのですが、やはり他領の商人や貴族との交渉が、少し神経を使います。私が若いせいか、どうしても言葉の重みが足りないと感じることがあって……」
エナは困ったように笑った。
アドルはその言葉を脳内のメモ帳に書き留める。
相手に有無を言わせない説得力、あるいは真意を見抜く道具。
サプライズの指輪の構想が固まっていく。
「そうか。あまり一人で抱え込むなよ。カミラはどうだ。家事や警備で、今の装備に不満はないか?」
「不満なんてありませんよ。でも……強いて言えば、街の警備範囲が広がったので、不審な気配をより早く、遠くから察知できれば、未然にトラブルを防げるなとは思っています」
「なるほど、広域の索敵能力か……」
カミラには千里の力を宿したイヤリング。
これなら彼女の機動力と合わさって最強の警備網になるだろう。
アドルは二人に悟られないよう、自然な様子で話を切り上げた。
そこへ散歩から戻ってきたミーシャを見つけ、アドルは声をかける。
「ミーシャ、ちょうど良かった。前に渡した癒しの首飾り、少しメンテナンスをしたいんだ。一度預かってもいいか?」
「ええ、もちろん。アドルさんに預けるなら安心だわ。……はい、これね」
ミーシャは疑うこともなく、首飾りを外してアドルに手渡した。
まさかそれが解体され、右腕の負担を減らす新しい包帯へと生まれ変わるとは夢にも思っていないだろう。
「よし、みんな今日はゆっくり休んでくれ。俺はちょっと工房に籠もるからな」
お風呂奉仕への最大級のお礼。
アドルは心の中でニヤリと笑い、工房へと続く階段を降りていった。




