第13話:折れた車軸と、大人の交渉術
カルンの村を出て三日。整備された街道を歩く俺たちの前に、一台の立派な馬車が立ち往生しているのが見えた。
周囲にモンスターの気配はない。だが、そこには戦闘とは別の、ひどく重苦しく、そして切迫した「トラブル」の空気が漂っていた。
「……困った。これでは日没までに間に合わん……。ああ、なんてことだ」
頭を抱えているのは、上質な旅装に身を包んだ小太りの男だ。身なりからして相応の商規模を持つ交易商だろう。その傍らでは、護衛らしき屈強な男たちが二人、困り顔で馬車の足元を覗き込んでいる。
俺とミーシャが近づくと、男は溺れる者が藁を掴むような、必死な視線をこちらに向けた。
「旅の方、失礼! もしや予備の車軸をお持ちではないか? あるいは、この近辺で腕利きの職人の心当たりはございませんか!」
俺は無言で馬車の状況を確認した。後輪を支える重厚な車軸が、根元から無残に折れ曲がっている。
巨体を支えるべき鋼の芯が、過積載か、あるいは何らかの衝撃によって限界を超えたのだろう。
「車軸の予備はないが、状況は見せてもらえるか?」
俺が【鑑定】を飛ばすと、網膜に詳細な構造情報が浮かび上がった。
【鑑定:ドワーフ工法による特注車軸(品質:C・損壊)】
「……特注品か。これでは代えの部品を見つけるのは、この街道筋では至難の業だな」
「その通りなんです! この馬車には鮮度が命の魔力素材を積んでいる。今日中に街のギルドに届けねば、私は多額の違約金を背負うことになる……! 破産だ、破産ですよ……!」
商人の名はカシム。中堅の交易商だという。
彼の焦燥しきった顔、そして滲み出る冷や汗。それは、かつて納期という名の怪物に追われていた頃の俺自身の記憶を疼かせた。
戦いだけがこの世界の試練ではない。こうした「物流の停滞」という静かな事故こそが、社会で生きる大人にとっては致命傷になるのだ。
◇
「……カシムさん、その折れた車軸を一時的に俺に貸してくれないか。……直せるかもしれない」
「本当かね!? だが、これは特別な鋼を混ぜたドワーフの……素人に扱えるような代物では……」
俺は返事を待たず、折れた部品を手に取った。
「所有」の意志を固め、レシピを脳内にロードする。
確かにドワーフの工法は頑強だ。だが、それは硬度を優先するあまり、外部からの振動や歪みを逃がす遊びがない。一度限界を超えれば、しなりもなく断裂する脆い構造だった。
「ミーシャ、素材を頼む。硬い樫の木と、昨日集めた鉄屑だ」
「はい、アドルさん。ここに」
ミーシャが手際よく、自身の空間から素材を足元に並べる。
俺は折れた車軸の構造を脳内で一度分解し、かつての世界で培った工学知識を組み込んだ。
応力集中を避けるための滑らかな曲線、そして芯材に粘りのある樫の木を使い、外側を強固な鉄で覆う「複合構造」。単なる形状の複製ではない、対象の欠陥を修正する**『想像錬成』**による最適化だ。
(……一発で決めるぞ。質量保存を意識し、構造の隙間を鋼の粒子で埋める……)
一回の錬成で完成するほど甘くはない。
十回、二十回と試行を繰り返す。設計の歪みが許容範囲を外れるたび、俺は失敗作を即座に分解して素材に戻した。精神が削れ、視界がチカチカと明滅する。
カシムたちが呆気に取られて見守る中、作業開始から一時間が経過した頃、俺の手元でこれまでで一番鋭い光が放たれた。
【鑑定:強化型複合車軸(品質:C+)】
「……よし。これで元より頑丈になったはずだ」
完成したのは、表面に波打つような積層痕を残した、無骨ながらも計算し尽くされたフォルムの車軸だった。
半信半疑だった護衛の男たちが手際よくそれを取り付けると、馬車は見事にその巨体を支え直し、車輪は滑らかに回転を始めた。
◇
「信じられん……! まさかこんな道端で、ドワーフ以上の仕事を見ることになるとは!」
カシムは感激のあまり声を震わせ、俺の手を何度も握りしめた。
俺はそれを冷静にいなし、本来の目的を切り出す。
「礼はいい。その代わり、俺たちを街まで乗せていってほしい。それと、街の情勢について詳しく聞かせてくれれば、それで十分だ」
「そんなことでいいのかい? お安い御用だ! ぜひ私の馬車へ。極上のクッションを用意させよう!」
馬車の中は、連日の徒歩の旅とは比べものにならないほど快適だった。
揺れを吸収するサスペンションこそないが、厚手の毛皮が敷かれたシートは極楽に近い。
ミーシャは【異空間保存】から出した、まだ冷たさの残る水と、村で予備に作っておいた「品質C」の干し肉をカシムに差し出す。
「……っ、これは! 保存食とは思えないほど瑞々しく、噛むほどに旨味が溢れる。君たちは一体何者なんだ?」
「ただの旅人ですよ。……それよりカシムさん、街の『ドラン』という男の店を知っていますか?」
カシムの話によれば、ドランはかつて商人ギルドで大きな派閥を率いていた伝説的な実力者だったらしい。だが、数年前に内部抗争か何かの責任を取って引退し、今は裏通りの一角で細々と雑貨店を営んでいるという。
「ドランか……。確かに商才は一流だが、偏屈で通っている。気に入らない客は門前払いにする男だ。だが、ボルグの紹介状があるなら話は別だろう。それに……」
カシムは窓の外、遠くに霞む巨大な城壁を見つめ、少しだけ声を潜めた。
「今の街は、魔物の活性化による物流の混乱でひどい物資不足だ。特に『まともに動く道具』が枯渇している。君のような腕利きの職人は、ギルドに登録すれば、どこに行っても金貨の山を築けるはずだよ」
馬車の窓から、夕日に照らされた商都の全景が見えてきた。
高くそびえ立つ重厚な石造りの城壁と、天を突く無数の尖塔。
俺たちの持つスキルが、この巨大な経済の歯車の中でどう機能し、どれほどの価値として換算されるのか。
「……着いたな、ミーシャ」
「ええ。いよいよ、本番ですね」
俺たちは馬車の心地よい揺れを感じながら、これから始まる「商都攻略」のシミュレーションを静かに、しかし熱を持って始めた。




