第125話:新しき風
雲一つない青空の下、リュステリアの街はかつてない熱気に包まれていた。
「銀の天秤」の屋上。
そこから見下ろす広場には、入り切らないほどの領民たちが詰めかけ、期待に満ちた眼差しを上へと向けている。
アドルは一歩前へ出た。
隣には緊張で指先を震わせるエナと、それを見守るミーシャ、カミラ、ルルが並んでいる。
「皆、聞いてくれ」
アドルの声が、魔力によって街中に響き渡る。
ざわついていた広場が、一瞬で静まり返った。
「俺はこの街の領主を拝命した。だが、俺は政治の天才でもなければ、高貴な血筋でもない。ただの錬金術師だ。だから、街を動かす実務のすべてを、信頼するエナに託そうと思う」
アドルがエナの背中を優しく押す。
エナは深呼吸をし、震える声を振り絞って叫んだ。
「領主代行を務めます、エナです! 私は……皆さんの笑顔を守りたい。呪いに沈んだこの街が、もう一度光り輝く場所になるよう、命を懸けて働きます!」
一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が街を揺らした。
かつて領主ヴァルゴスに怯えていた人々の顔に、本当の希望が灯った瞬間だった。
◇
熱狂の演説から数時間後。
屋敷に戻った五人は、談話室のソファに深く腰掛けていた。
街の活気とは対照的に、部屋の中にはどこか冷徹で、厳しい空気が流れている。
「……さて、浮かれている暇はないな」
アドルの言葉に、全員が表情を引き締める。
五人で円陣を組んで勝利を祝った昨夜。
だが、その胸の内にあるのは、勝利への喜びよりも「無力」への危機感だった。
「フィアとの戦い。……俺たちは、負けていてもおかしくなかった。ミーシャとの共有距離が切れた瞬間、俺はただの無能になった」
「私もよ。二重螺旋でも、あの魔族を仕留めきれなかった……」
ミーシャが自分の右手を見つめ、唇を噛む。
ルルも、膝の上で小さな拳を握りしめていた。
「あたしも、五秒の魔法だけじゃ足りないなの。もっと……もっと凄いのを呼べなきゃ、アドルさんを助けられないの」
静寂が部屋を支配する。
今の自分たちのままでは、次に魔王軍の幹部――それも、フィア以上の実力者が現れた時、街を守り抜くことはできない。
「各々思うことはあるだろうが、今日は一旦休もう」
アドルがそういうと頷きながら各自、部屋へ散っていった。
◇
夜も更けた頃、アドルの執務室に控えめなノックの音が響いた。
「アドルさん……今、いいかな?」
扉を開けて入ってきたのはルルだった。
いつもなら元気に飛び込んでくる彼女が、今はどこか落ち着かない様子で、杖の端をぎゅっと握りしめている。
「ルルか。どうした、眠れないのか?」
「あたし……フィアとの戦いで分かったなの。あたしの『五秒』だけじゃ、もうみんなを助けられない。あたし、今のままじゃ嫌なの。おまけの召喚師じゃなくて、ちゃんとアドルさんの隣で戦えるようになりたいの」
ルルは机の上に、一枚の古びた羊皮紙を広げた。
冒険者ギルドの奥底に眠っていたという、禁足地「龍の里」の地図だ。
「ここに行きたいなの。ここにいる本物のドラゴンに会って、あたしの本当の力を試したい。……アドルさん、あたしを連れていってくれないかな?」
ルルの瞳には、これまでにない強い光が宿っていた。
アドルは地図を見つめた。
そこは強力な魔物が跋扈し、一流の冒険者ですら命を落とすと言われる危険地帯だ。
だが、ルルの震えながらも真っ直ぐな視線を見て、アドルは微笑んだ。
「一人で行かせるわけないだろ。……分かった。みんなで行こう。ルルが本当の力を手に入れるために、俺たちの力が必要だ」
「……! うん、ありがとうなの!」
ルルが部屋を後にしたのと入れ違いに、今度はミーシャが姿を現した。
彼女は窓際に歩み寄り、月光に照らされた自分の右腕をそっと掲げた。
「ルルちゃん、やる気ね。……アドルさん、私も相談があるの。私も自分の限界が見えたわ。二重螺旋は確かに強い。でも、魔族の幹部クラスには、放った後の一撃が足りない」
ミーシャは真剣な眼差しで、アドルを見つめた。
「だから私、日常のすべてを『修行』に変えようと思うの。この右腕に、常に魔力を練り続けるわ。食事をしている時も、歩いている時も、寝ている時でさえ……。魔力を極限まで圧縮して、右腕という『器』に貯め込み続けるの」
「日常を修行に? 待て、それは……」
「ええ。そうすれば、いざという時に今の私を超えた極大魔力の奥義を放てるはず。……しばらくは、この右腕に包帯を巻いて封印しておくわ。不用意に触れたら、それだけで魔力が溢れ出してしまうから。ねえアドルさん、この無茶なことしようとしている私を、支えてくれる?」
アドルは驚愕した。
それは二十四時間、常に魔力暴走の危険と隣り合わせになる、過酷極まりない自己研鑽だ。
だが、彼女の瞳に宿る決意は本物だった。
「……ああ。お前がその力を解放する瞬間まで、俺が隣で支えるよ」
◇
翌朝。
アドルは仲間全員を広間に集めた。カミラとエナも、二人の決意を聞いて表情を引き締める。
「ルルのために『龍の里』へ向かう。だが、それは俺たちの修行も兼ねているんだ」
アドルは懐から、かつての武道大会で情報を得た「属性付与」の資料を取り出した。
「俺は、この属性付与の錬金術に取り込む。これまでの『形』の錬成に加え、剣に炎を、鎧に雷を宿らせる『属性の付与』。これができれば、素材が乏しい状況でも戦力は跳ね上がる」
「属性付与……。アドルさんの錬金術が、さらに魔法に近づくのですね」
エナが感心したように呟く。カミラも武器を整備しながら力強く頷いた。
「ご主人様、私たち領主代行の仕事はありますが……この遠征、まずは皆で参りましょう。街の基盤が整うまでの数日間、不在でも回るようにギルドマスターと調整を済ませてきました。エナの初仕事としても、まずは現場をこの目で見ることが大切ですから」
「カミラさん……ありがとうございます!」
エナが勇気をもらったように微笑む。アドルは仲間たちの顔を見渡し、力強く号令をかけた。
「よし、決まりだ。一人で強くなるんじゃない。五人で、もっと高いところへ行く。……出発の準備をしよう! 目指すは『龍の里』だ!」
◇
数日後。
リュステリアの門をくぐる五人の背中には、以前のような悲壮感はなかった。
あるのは、己の限界を超えようとする静かなる熱意だけだった。
ミーシャの右腕には、分厚い包帯が幾重にも巻き付けられ、その内側で爆発的な魔力が脈動を始めている。




