第117話:崩壊する金貨、輝ける銀貨
リュステリアの街並みは、もはや平穏とは程遠い熱気に包まれていた。
表通りでは、連日のように領民たちが
「税を下げろ!」
「食べ物をよこせ!」
と声を上げ、領主府の衛兵たちと睨み合っている。
ギルバートがアドルを潰そうと画策した「素材の買い占め」は完全に裏目に出ていた。
市場から日用品が消え、唯一物が手に入る「銀の天秤」への道を衛兵が封鎖しようとしたことが、ついに民衆の堪忍袋の緒を引っこ抜いたのだ。
「いい加減にしろ! ギルバートの野郎、俺たちを飢え死にさせる気か!」
「アドル様はゴミを宝に変えてくれた! 邪魔をするな、どけ!」
怒号は止まず、石礫が飛び交う。
暴動寸前の光景に、衛兵たちの顔にも恐怖が混じり始めていた。
領主府の奥深く、その喧騒を苦々しく聞きながら、ギルバートは爪が剥がれんばかりに机を掻きむしっていた。
「……なぜだ。なぜこれほどまでに上手くいかぬ! あの錬金術師一人のために、私の築き上げた支配が……!」
ギルバートの瞳は血走り、強迫観念に囚われたように書類を書き殴っている。
彼はアドルを意識するあまり、商業ギルドに命じて強引な徴収を行い、無理な価格操作を強いた。
その歪みが、今や街の経済そのものを壊死させようとしていたのだ。
◇
その時、重厚な扉が無言で開かれた。
現れたのは、この街の真の主であり、圧倒的な魔圧を纏った男、ヴァルゴスだった。
「……ギルバート。随分と賑やかなことだな」
その静かな声は、外の怒号よりも鋭くギルバートの鼓膜を刺した。
ギルバートは椅子から転げ落ち、必死に頭を垂れる。
「ヴァ、ヴァルゴス様! これは、すべてあの錬金術師アドルの策謀でして、私はただ……!」
「言い訳はいい。お前に任せておけば街は潤うと思っていたが、この惨状は何だ。商業ギルドは機能停止、民は暴徒化。……そして、何より看過できぬのは『金』だ」
ヴァルゴスは懐から一枚の金貨を取り出し、床に放り投げた。乾いた音を立てて転がるそれは、本来なら一人の人間が数日暮らせる価値があるはずのものだ。
「この金貨で、今、何が買える? 市場に物はなく、商業ギルドは在庫を抱えたまま腐らせている。民が求めているのはその紙屑同然の金ではなく、あのアドルという男が作り出す『価値』だ。……ギルバート、次はない。事態を収拾しろ。できぬなら、お前がその暴徒の前に跪く番だ」
ヴァルゴスが去った後、ギルバートは絶望に顔を歪めた。もはや正常な手段では勝てない。彼は最後の手段として、商業ギルドの幹部たちを招集し、極秘の指令を下した。リュステリア全域における「公式金貨以外の取引禁止」と、銀の天秤への「法外な営業許可税」の即時課税である。
◇
一方、銀の天秤の二階では、アドルとエナ、そしてミーシャが新たな「一手」をテーブルに並べていた。
エナが持ち込んできたのは、商業ギルドからの非情な通告書だ。
「アドルさん、来ました。ギルバートは公式金貨での取引以外を違法とし、私たちの店に、売上の九割という滅茶苦茶な税を課してきました。金貨を持たない民衆を、完全に切り捨てにかかっています」
エナの報告に、ミーシャが憤慨して立ち上がる。
「九割だなんて、商売をさせる気がないじゃない! 街の人たちは金貨なんて持っていないのに……」
アドルは静かに通告書を手に取り、それを瞬きの錬金術で真っ白な灰に変えた。
「いいさ、ギルバートが『金貨』という名の古い鎖に執着するなら、俺たちはその鎖ごと断ち切ってやる」
アドルはポケットから、鈍い銀色の輝きを放つ一枚のメダルを取り出した。それは彼が厳選した伝説級素材の残滓を配合し、自身の魔力と「信頼」を刻み込んだ特製の錬金メダルだった。
「これが新しい『価値』だ。エナ、今日からこの店では領主の金貨は一切使わない」
「え……? でも、それでは……」
「このメダル一枚で、パンが十個、あるいは修復済みの道具一つと交換できる。俺がその価値を一生保証する。……民には、金貨を捨ててこのメダルを手に取れと伝えろ。重税に怯える必要はない。なぜなら、このメダルはギルバートの法律では測れない『俺たちのルール』で動くからだ」
エナの瞳が驚愕に染まり、次いで熱い期待に輝いた。それは、領主という絶対的な権力から経済の支配権を奪い取る、前代未聞の「通貨革命」の始まりだった。
「ピヨちゃん、空からチラシを撒き全領民に通達だ。……ギルバートの金貨を、ただの金属屑に変えてやろう」
アドルの冷徹なまでの宣言と共に、リュステリアの街に「銀のメダル」という名の新たな希望が放たれようとしていた。




