第115話:笑顔を求めて
銀の天秤の開店から数日が過ぎ、店はかつてない活気に包まれていた。
アドルの瞬きの錬金術によって修復された道具や、カミラが腕を振るう温かい料理は、重税に喘ぐ領民たちの心に静かな、だが確かな希望を灯している。そんな喧騒の中、アドルは店のカウンターで一羽の巨大な鷹、ピヨちゃんの翼を優しく撫でていた。
「よし、ピヨちゃん。今日から新しい仕事だ。頼めるか」
ピヨちゃんは鋭く、しかしどこか得意げに鳴いて応えた。
ルルが召喚したこの天眼のピヨちゃんは、卓越した索敵能力と通信機能を備えている。
アドルはこの能力を活かし、情報の遮断されたこの街で、迅速な配送と通信を請け負う郵便ビジネスを正式に開始したのだ。
街のあちこちに設置された簡易的なポスト。
そこに困りごとや届け物を投じれば、空からピヨちゃんが舞い降りて回収し、瞬時に目的地へ、あるいは銀の天秤へと運んでくる。
アドルは一通の手紙を筒に入れ、ピヨちゃんの脚にしっかりと括り付けた。
それは王都で命を救われ、再会を約束したシスター・マリアへの手紙だった。無事にリュステリアに戻り、反撃の狼煙を上げたことへの報告と、心からの感謝を綴り、アドルはピヨちゃんを空へと送り出した。
◇
日が落ち、客足が少し落ち着いた頃、一人の少女が店の扉を静かに叩いた。
ボロボロの服を纏い、泥に汚れてはいるが、その瞳には消えない炎のような意志が宿っている。
少女はカウンター越しにアドルを真っ直ぐに見つめ、堰を切ったように話し始めた。
「あの、ここで働かせてください」
少女の名はエナ。
彼女の父はかつて装飾品店を営んでいたが、ギルバートの理不尽な税によって店を奪われ、失意のうちに亡くなったという。エナ自身も父の遺志を継ごうとしたが、現実は過酷だった。
「自分一人では力が足りませんでした。資金力もない。この街を笑顔で溢れる街にしたいと、ずっとそう考えていたけれど、具体的に何をしていいかわからない。重税を払って店をやりくりするだけで限界。そんな日々を続けてきました」
エナは震える手で、自らの無力さを噛み締めるように語る。
「そんなときこのお店の噂を聞きつけ、ここ数日、お店の様子を見させてもらってたんです。なにより、お客さん達がみんな笑顔でした。私には出来なかった。みんなが笑顔でいることが、この店に来たら実現している。街全体はまだまだどんよりしているけれど、私が求めている未来はこのお店にある、そんな気がしていたんです。そんなことばかり考えていたら、このお店で働きたいと思って、ここに足が動いていました」
エナはカウンターに身を乗り出し、必死な形相でアドルに訴えかけた。
「自分一人では無理でしたけど、このお店のお手伝いさせてもらえませんか。少しでもみんなの笑顔を作る、そんな仕事の一端に触れていたいんです。だめでしょうか。事務処理は得意です。やれることはなんでもします。お願いします。」
アドルは、彼女の中に自分たちの歩んできた道を見た。
「君はこの街をどうしたい、将来の夢は何だ」
アドルの問いに、エナは迷いなく答えた。
「正直者が馬鹿を見ない街にしたい。父が愛したこの街を、もう一度笑顔で満たしたいんです」
アドルは小さく口角を上げた。
「いいだろう、君をこの店の店長候補として採用する。まずは俺と一緒に、この街の『常識』を変えていく準備を手伝ってくれ」
アドルの言葉に、深く深く頭を下げた。
◇
一方、リュステリアの領主府。
豪華な調度品に囲まれた執務室の中で、ギルバートは苛立ちを露わにし、目の前の報告書を床に叩きつけた。
「ふざけおって。あの錬金術師、今度は空にまで手を出したというのか。税を払わぬばかりか、勝手な流通網まで作りおって」
ギルバートの怒鳴り声が響く中、部屋の隅、闇に溶け込むように佇んでいた人影が、冷ややかな笑みを漏らした。それは魔王軍四天王の一角、フィアの息がかかった暗殺者だった。
「焦ることはないわ、ギルバート。彼が民の信頼を集めれば集めるほど、商業ギルドの連中は黙っていない。あなたが手を下すまでもなく、守銭奴たちが彼を噛み殺しに行くわよ」
ギルバートは忌々しげに鼻を鳴らした。
「商業ギルドか……。奴らもまた強欲な連中だが、アドルという不確定要素を排除するためなら、一時的に手を貸してやるのも悪くないな」
◇
銀の天秤の二階、工房の窓から夕闇を眺めていたアドルは、隣に立つミーシャに静かに告げた。
「ミーシャ、ダンジョンの調査は少し先送りにしよう」
「えっ、いいの? 黒犬の動きも気になるけれど……」
「ああ。今はまず、この街の盤石な基盤を作る。エナも加わった。これから俺たちは、この店を拠点にリュステリアの経済そのものを飲み込む。領主や商業ギルドが束になってかかってきても、一歩も引かない『マネーバトル』を仕掛けるんだ」
アドルの瞳には、かつてない冷徹なまでの情熱が宿っていた。
「奴らが金と権力で支配しようとするなら、俺は錬金術による圧倒的な価値と、民の信頼でそれを上書きする。この街を、文字通り俺たちの手中に収めるまで止まらないぞ」
「……わかったわ。アドルさんがそう決めたなら、私も最後まで付き合う。経済戦でも役に立ってみせるわ」
アドルとミーシャの視線が重なり、今まさに街の経済バトルが始まろうとしていた。




